
天神祭のおひざ元!すべらんうどんとバッテラを味わう食いだおれのまちの休日
大阪天神祭のおひざ元!すべらんうどんとバッテラを味わう食いだおれのまちの休日
まいどまいど! 京都の祇園祭、東京の神田祭に並ぶ日本三大祭りの一つ「天神祭」は、大阪天満宮とその周辺で行われまんねん。 開催期間中は大川に大きな船が浮かび、花火が盛大に打ち上げられる。 大阪天満宮すぐそばには直線距離にして約2.6km。 日本で一番長い商店街として知られる天神橋筋商店街には、約600の商店が立ち並んではりますぅ~。 1丁目から6丁目までの全エリアでアーケードが設置されてるさかい、雨の心配はおまへん。 天神橋筋一丁目を天一(てんいち)、天神橋筋六丁目を天六(てんろく)と呼び、地域の人々に親しまれてきてまんねん。 かつては大阪市中央区法円坂に日本最古の本格的な首都「難波宮」が造営され、日本の中心地として栄えていた。 このときに、その参詣道としての役割を果たし、商店街として発展してきたとか。 今回は吉本興業発祥の地として知られる天満天神繁昌亭、行列のできるコロッケ屋さん、居酒屋さん、銭湯など、天神橋筋商店街とその周辺の魅力をまとめました。 今も昔も変わらへん「あきんど」のまち「なにわ」の魅力ぜひ堪能してってや。 今回は天神橋筋1丁目付近から3丁目付近までのご案内でっせ~。
650年、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営。 そのとき、西北に守護神として大将軍社を創建したのが始まり。 毎年7月24日から25日にかけて開催される天神祭は京都・祇園祭、東京・神田祭と並ぶ日本三大祭の一つ。 また住吉祭、愛染まつり(または生國魂祭)と並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。
本殿
901年、菅原道真がこの地に鎮座していた大将軍社に参詣した。 903年、天神信仰が始まる。 949年、大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。 そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立。
西山宗因向栄庵跡
大阪天満宮の周辺に碑が2基建てられている。 肥後国八代城の家老である加藤正方に仕えていた宗因。 その後、宗因は連歌師里村家に出入りした。 1647年、里村家の推挙により、大坂天満宮連歌所宗匠となる。 1656年、天満宮の傍らに向栄庵(有芳庵)を開いた。 1674年、宗因千句を出した。
天満天神の水
江戸時代、天満天神の水は大坂四清水の一つとして数えられた。 参勤交代の途中、藩主が大坂に立ち寄った際、大坂四清水の一つとして滞在先に取り寄せるほど愛されたと言う。 戦後の都市開発や地下鉄の開通に伴って地下水は枯れたとみられていた。 2013年、近隣の商店街と関西大学の連携プロジェクトを通して地下70~80mから良質の水が汲みあげられた。 天神祭をはじめ、七夕神事のお祓いの水として活用する。
鳳神輿・玉神輿
鳳神輿・玉神輿は、日本三大祭の一つに数えられる「天神祭り」で使用される神輿で、普段は大切に保存されている。 天神祭りは、一年に一度の大きなイベントとして知られ、古くは951年頃に始まったとされる。 会場は、主に、大阪天満宮と大川で催され、毎年7月24日、25日は宵宮・本宮にあたり、多くの観光客でにぎわう。
恵方巻発祥の地・大阪で
2月3日、大阪天満宮では節分恒例イベント「海苔チャリティーセール in 大阪天満宮 巻き寿司千人いっせい丸かぶり」が開催されていました。 先着1000人に無料で巻き寿司が配付され、揃って恵方を向いて丸かぶりを行うという。
恵方巻発祥の地・大阪で
恵方巻発祥の地・大阪で1000人がその一年の恵方を向いて丸かぶり。 この日も多くの観光客、参拝客でにぎわっていました。
天満天神裏と天満八軒
江戸時代、大阪天満宮の境内は現在の国道1号線まで広がり、寄席や演芸場、飲食の小屋が約50件建ち並び、人形浄瑠璃・新内節・浮かれ節・軽口(落語)・神道講釈などの諸芸が人気で遊興地であった。 明治時代、上知令によって大工門から北側は境外地となり、やがて天満天神裏と呼ばれた。 次第に歌舞伎や女義太夫・落語・軍談、楊弓場等の小屋や飲食店で賑わいを見せ、寄席小屋は天満八軒と呼ばれ、大阪の演芸史にも残る。
1549年、フランシスコ・ザビエルによって、日本にガラスが伝来した。 その後、ヨーロッパからガラス製品が輸入され、長崎県にガラス製法が伝わった。 播磨屋(本名は久米清兵衛)が長崎でガラス製法を学び、天満で玉屋を開いた。 1772年、日本で初めて、ガラス玉細工が製造され、日本一のガラス製造都市となった。
「そもそも、「うどん」の発祥は、大阪では?」との説もあり、これらを含めれば、大阪で食べる「すべらんうどん」とは、縁起がいい。 星合茶屋は、休憩場所として気軽に利用できるだけでなく、うどんやそばなどを中心とした軽食も楽しめる。
おろしブッカケ
うどんの麺の真ん中に縦の大きな切込みが入れられている。 これは、箸だけでなく、たとえフォークで食べても「引っかかりやすい!」麺。 メニューは、定番の「きつねうどん」のほか、「天うどん」や「カレーうどん」、「たこ焼きうどん」など。
お土産にすべらんうどん
家でも簡単に調理ができるお土産用の麺もあるので、贈り物にも最適!
豊臣時代、天神橋は架けられた。 由来は、大阪天満宮が管理していたことから。 中でも天満橋・難波橋とともに、浪華の三大橋として親しまれた。 明治初期、木橋が大水害で流失し、鉄橋に架けかえられた。 この橋は、ドイツより輸入されたトランス橋で当時全国で最も長径間の道路橋であった。 現在の橋は松屋町筋の拡張に合わせ昭和9年に3連の軽快な銅製アーチと両端をコンクリートアーチより成り、全長210.7mで架設されている。
全国の天満宮及び、天神社で催される祭り。 菅原道真の命日にちなんだ縁日。 どんどこ船日本三大祭(京都の祇園祭、東京の神田祭)の一つ。 また、四天王寺別院の勝鬘院愛染堂の愛染祭、住吉大社の住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つ。 期間は6月下旬吉日~7月25日の約1ヶ月間に渡り諸行事が行われる。 951年、天神祭は大阪天満宮が鎮座した6月1日より始まったとされている。 この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというもの。 天神祭は続いてきたが、江戸時代から日本三大祭の一つと呼ばれるようになる。
天神祭奉納日本国際ドラゴンボート選手権
ドラゴンボートとは、10~20人の漕ぎ手が乗船する横の幅が狭くて非常に長い船のこと。 船の両端には龍の装飾で、中国に由来。 太鼓のリズムに合わせて、競いあう。 各チームが天満橋下のスタートの位置に着く。 スタートの合図が鳴ると、各チームのボートが一斉に動き出し、レースはオープン、混合、女子、シニアにわかれ、予選を勝ち抜き、準決勝、決勝へ。 敗者復活戦も随時、行われた。
さあ、ここが天神橋筋一丁目。 地元では、天一(てんいち)と呼ばれている。 ここから、ぼちぼち、歩いてみよう!
満歩状
「天神橋筋ぶらり歩き」はNPO法人「天神天満町街トラスト」が主催する「まちおこし」の一環。 1丁目から6丁目までの約2・6kmの道のりを歩くと満歩状をもらうことができる。
ぶらり歩きをするにあたって
天神橋筋商店街指定の場所にて説明書と証明書をもらう。
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「天神橋筋ぶらり歩き」はNPO法人「天神天満町街トラスト」が主催する「まちおこし」の一環。 1丁目から6丁目までの約2・6kmの道のりを歩くと満歩状をもらうことができる。 ここが、スタート地点またはゴール地点。
1923年、地上4階、地下1階として建設された。 施工者や設計者などの詳細は不明である。 スクラッチタイルの外壁が特徴である。 現在は、アートギャラリーなどに利用されている。
別名、テラスかんなん。 2020年、南天満公園内に竣工。 天神祭の運営を担う菅南地域の集会所として開設。 天神祭とは大阪の夏の風物詩の一つとして知られ、大阪天満宮の「陸渡御」と神楽を乗せた奉安船が大川を行き来する「船渡御」が目玉。 設計はスタジオ宙一級建築士事務所。
ケーキを中心とするスイーツの専門店。 テイクアウトのみ。 デリス タルト&カフェ ファクトリー店は「まいどおおきに食堂」「ザ・どん」「串家物語」「つるまる」「手作り居酒屋かっぽうぎ」などを運営するフジオフードシステムの本社ビル1階に位置する。
はちみつロールケーキ
はちみつロールケーキ
場所は、日本一長い商店街として知られる天神橋筋商店街の1丁目にある。 アクセスは、京阪電車の天満橋駅、北浜駅、なにわ橋駅すぐ。 たこ焼き8個入り400円から。 フワフワに焼き上げた本場の「たこ焼き」。 お持ち帰りや店内でも食べることができる。
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2021年、タレントのコロッケさんがプロデュースするコロッケ店が開店。 テイクアウトのみ。 コンセプトは、自身の芸名「コロッケ」に因み、「家庭の食卓を少しでも明るくしたい、笑顔をお届けしたい」。
コロッケのころっ家
コロッケさんは2021年2月、1号店を東京・新小岩に開店、関西地域では初出店となる。 店頭にはコロッケさんをデフォルメした特大フィギュアが設置。
コナモン文化
メニューは、かぼちゃのドーナツコロッケ、明太クリーミーコロッケ、コロッケバーガー、メンチカツバーガーなど。 同店限定オリジナルソースとして、大阪の「コナモン文化」を意識したソースを開発。
オープニングセレモニー
開店初日には、エプロンを着用したコロッケさんが登場し、岩崎宏美さんや五木ひろしさんなどの物まねを披露したオープニングセレモニーも。
1899年、川端康成は、この地で生まれた。 日本の小説家として知られ、一時期、大阪市東淀川区に住み、大阪府茨木市へ移った。 そして、茨木市立豊川小学校、大阪府立茨木高等学校、東京帝国大学文学部国文学科を卒業した。 菊池寛に認められ、文壇入りし、横光利一らと共に文藝時代を創刊し、新感覚派の代表として活躍した。 有名な作品としては、伊豆の踊子、雪国や千羽鶴、古都などが知られている。 1968年、日本人として初めてとなるノーベル文学賞を受賞した。
店内の商品はすべて、「大阪のええもん」「大阪のええとこ・ええもんの再発見」がコンセプト。 外観は、大阪弁の提灯で、「あんじょう(いい具合)」「ほたえる(ふざける、つけあがる)」「いらう(触る、いじる)」などと書かれている。 店内奥では、落語専門の寄席「天満天神繁昌亭」のお土産コーナーもある。 他にも、「満月ポン」「雀の玉子」「ひやしあめ」などのお菓子や「天満の昆布」「堺の醤油」「吹田の酢」「柏原の綿実油」「河内ワイン・梅酒」「地焼酎」「てぬぐい」「天満切子」などが販売されている。
お寿司といえば、「マグロやサーモン、タコ、イカなど多種多様の寿司がチェーンコンベア上に乗せられて店内を循環する回転寿司というシステム」、「木製の箱を使用して鯛、海老、穴子などの具材を乗せて押した押し寿司「箱寿司」」は、くいだおれのまち・大阪が発祥として知られ、特に東大阪市の元禄寿司前には「回転寿司発祥の地」として石碑も建立されています。 そして、大阪にはもう一つの発祥があります。 それが「バッテラ」。 バッテラは1891年、寿司常の創業者「中恒吉」さんが大阪湾で捕れた「コノシロ」を使って考案したのが始まりとして知られ、当時は舟型の寿司型で締めていたとか。
バッテラとコノシロ
当時はボートの形に似ていたことから、お客さんが「bateira(バッテーラ)」と呼ぶようになった。 バッテーラとは、ポルトガル語で小舟、小型艇という意味。 以後、「バッテーラ」を「バッテラ」と呼ぶようになり、コノシロの値段が高騰したことで鯖を使用するようになり、舟形よりも箱型の方が押しやすいことから現在の形に変化してきたという。
バッテラと巻き寿司を味わう
店内は、カウンター席のみで、比較的に落ち着いた雰囲気で楽しむことができます。 また、お持ち帰りも可能ということで、巻き寿司とバッテラをお持ち帰りすることにしました。 開けてみると、押し寿司のように酢飯と鯖が敷き詰められ、鯖の旨みが口の中いっぱいに広がりました。
トンテキなど豚肉を味わうことができる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 メニューはロース、バラなどの他、定食も。
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お昼も過ぎて、暖かい日差しが町を包んでいるなか、すでに長い行列が。 ダウンタウンの浜田雅功さんと東野幸治さんが出演する関西の人気番組ごぶこぶで取り上げられた。 コロッケが70円、ミンチカツ120円という安さが魅力。 大阪では、メンチカツのことをミンチカツと呼ぶ。
コロッケとミンチカツ
ミンチカツは、サックサクの衣に、中はふんわり。 アッツアツで、手に持っているだけでも、熱が伝わってくる。 コロッケも、サックサクの衣に、中はふんわり。 でも、噛めば噛むほど、甘い味が口の中、いっぱいに広がる。 平成という時代の中で昭和の香りが残る今回のお店。
江戸時代、大阪天満宮の境内は現在の国道1号線あたりまで広がり、寄席や演芸場、飲食の小屋が約50件建ち並び、人形浄瑠璃・新内節・浮かれ節・軽口(落語)・神道講釈などの諸芸が人気で遊興地であった。 明治時代、上知令によって大工門から北側は境外地となり、やがて天満天神裏と呼ばれた。 次第に歌舞伎や女義太夫・落語・軍談、楊弓場などの小屋や飲食店でにぎわいを見せ、なかでも寄席小屋は天満八軒と呼ばれ、大阪の演芸史にも残っているとか。
店内に入るとカウンター席とテーブル席。
人気メニュー「 かけうどん(かけそば)玉子丼セット」
玉子のトロッとした食感に、うどんのツルッとした食感。 合間に水を飲みながら、楽しむひととき。
ここにはかつて、天満堀川が流れ、夫婦橋が架かっていた。 1655年、現在の天神橋四丁目は、夫婦町と呼ばれていた。 地名の由来は、付近に二つの池(夫婦池)があったことから。 1929年、堺筋に天神橋筋六丁目に阪急電車が乗り入れるようになった。 現在、堀川は埋め立てられ、真上には阪神高速道路が通っており、当時の面影とにぎわいを碑だけが物語っている。
様々な展示物・催し物が開催され、多くの人が訪れる。 ここは、天神橋筋商店街の3丁目商店街振興組合が運営する地域活性化を目的としたフリースペースで、話題となっている。
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1923年、開園。 園内には、扇町プールがある。 かつてここには、大阪プール(現在は大阪市港区八幡屋公園に移転)が存在した。 現在は大阪プールのスタート台(飛び込み台)がモニュメントとして公園内に残されている。 マウンテンスライダーなどの大型遊戯施設もある。 1598年、天満堀川が開削された。 商人や寺社が誘致され、にぎわった。 江戸時代、刑場があり、堀川監獄(大阪監獄署)が設置された。 1920年、大阪監獄が堺市へ移転。
第25回 ワン・ワールド・フェスティバル
「第25回 ワン・ワールド・フェスティバル」が開催。 ここでは、NPO、NGOが中心となって国際協力の大切さを広め、かつ具体的なアクションに繋げられるような参加型×交流型イベント。 北区民センターでは展示やワークショップ、セミナーなどを開催。 扇町公園にはトルコ、中国、タイ、メキシコなどの世界の料理が出店。 モンゴルのゲルも登場。 その一角で、2025年の誘致を目指す日本万国博覧会のブースも設。
天満堀川妙見堤跡
扇町公園内にある碑。 1598年、天満堀川は大川から北に向かって開削された。 1838年、当初は扇町付近まであったが、樋之口まで延長された。 扇町付近は妙見堤と呼ばれ、桜の名所としてにぎわっていたとか。
1997年、扇町公園内に地上13階、地下2階として開館。 オーストリアの芸術家フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサーがデザインした「こどもの街」が話題を呼んでいる。
ハチエモン
関西テレビのマスコットキャラクター「ハチエモン」。 関西テレビとキッズプラザ大阪の出入口にはハチエモンが飾られ、来場者を出迎えてくれる。