
おのぼりさん・おくだりさんがすれ違う西条を散策
愛媛おのぼりさん・おくだりさんがすれ違う西条を散策
まいどまいど! 登拝者は登山道で出会ったとき、下りの人は上りの人に「おのぼりさん」と挨拶をすると上りの人は「おくだりさん」と返答する(逆も同様に)挨拶法がある石鎚神社。 石鎚神社は西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社で古くから日本七霊山の一つとも。 真言宗石鈇派総本山の寺院・前神寺。 標高約1980mの霊峰石鎚山の麓に鎮座(西日本最高峰)しており、その立派な本殿も圧巻。 一度は訪れて見る価値ありの観光地がここにおまっせ。
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西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社。 山麓に鎮座する本社(口之宮)、山腹の成就社(中宮)と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の4社の総称。 石鎚山総本宮と称する。 祭神は石鎚毘古命。 石鎚大神は、伊邪那岐命と伊邪那美命の第二子で、天照皇大神の兄にあたるとも。 祭神は神徳を仁智勇の玉持ち神像(和魂 にぎみたま)、鏡持ち神像(奇魂 くしみたま)、剣持ち神像(荒魂 あらみたま)の三体の神像に現す。 祈願の作法:二拝→二拍手→心中祈願→二拍手→二拝 玉串拝礼の作法:玉串を持ち心中祈念→玉串を神前に供える→二拝→二拍手→一拝 石鎚山は古くから日本七霊山の一つ。
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「おのぼりさん」「おくだりさん」
紀元前63年、崇神天皇第35年石鎚の峯に神を勧請。 役小角(神変大菩薩)が導き、寂仙法師が石土山として開山。 文徳天皇・高倉天皇・崇徳天皇・後醍醐天皇など歴代天皇が納めた仏像や経巻が伝わる。 1920年、夏山開き大祭(石鎚神社臨時祭典)が行われる。 登拝者は登山道で出会ったとき、下りの人は上りの人に「おのぼりさん」と挨拶をすると上りの人は「おくだりさん」と返答する(逆も同様に)挨拶法がある。
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真言宗石鈇派総本山の寺院。 石鈇山、金色院と号する。 本尊は阿弥陀如来。 富士山(静岡、山梨)、立山(富山)、白山(石川、岐阜)、大峰山(奈良)、釈迦ヶ岳(奈良)、大山(鳥取)に並ぶ日本七霊山の1つ。 標高約1980mの霊峰石鎚山の麓に鎮座(西日本最高峰)。 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん 詠歌:前は神後は仏極楽のよろずの罪をくだくいしづち 納経印:当寺本尊、奥前神寺石鈇山蔵王大権現、四国(東予)七福神・寿老人 発祥より千年法灯を守ってきた山岳寺院であったが、江戸時代以降、麓の西田に本拠を移転、神仏分離令により廃寺後、再興。 柴燈護摩は節分・お山開き開闢・閉闢の年三回。
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役の行者(役小角)
役の行者(役小角)が石鎚山の頂上を目指すも諦めて下山する途中、斧(鈇)を砥石で磨ぐ老人に出会う。 行者は挫折してはならないと言い聞かせて登り着き、修行。 釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済するため合体し石鈇蔵王権現となって現れたのを感得。 その後、行者が下山して「わが願い成就せり」と云ったともい。 その尊像を彫って祀ったのが当寺の開基。
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空海(弘法大師)
石仙堂を建て常住舎とも。 弟子の寂仙が山頂への登山道を整備。 桓武天皇が病気を患った時、常住舎で平癒の祈願、成就して七堂伽藍が建立、勅願寺とし「金色院前神寺」の称号を下賜、石仙には菩薩号を賜ったとも。 空海(弘法大師)が修行、当寺を巡錫。 江戸時代、札所としての便宜をはかるため麓の橘郷に出張所として里寺納経所で通称里前神寺を設置、本寺を通称として奥前神寺と呼んだ。
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白砂青松の瀬戸内沿岸に位置する宿泊施設。 施設内では温泉やレストラン、売店などがある。 「日本の渚100選」にも選定された桜井沿岸と瀬戸内の多島美、西日本最高峰の石鎚山も一望できる。