こんな高速道路見たことあらへん!ビルの中にまさか。売れても占い登竜門のまちを散歩しまひょ
大阪こんな高速道路見たことあらへん!ビルの中にまさか。売れても占い登竜門のまちを散歩しまひょ
まいどまいど! 福沢諭吉はん言いましたら、名門校として知られている慶応義塾、一橋大学、東京大学医科学研究所を創設した人物でおまして、平成を代表する日本銀行が発行する日本銀行券1万円札の肖像にも描かれはりまんな。 そんな福沢諭吉はんは、大阪市福島区(旧摂津国大坂堂島浜)生まれ。 幼少時代を大阪で過ごし、緒方洪庵先生が講師を務める適塾(大阪市中央区北浜)に通っていた。 適塾は後に、大阪大学医学部と統合。 そんな福島区では、これまで有名人物を多く輩出してきた。 日本初のカー用品店として知られるオートバックスの住野敏郎さん、牛丼チェーンの吉野家の松田栄吉さん、芸能面では上方落語界の重鎮として知られる月亭八方・八光さん。 そして、今では、大阪市北区から、ほたるまち(大阪市福島区)に移転したABC朝日放送のおひざ元としても知られてはりまんな。 そんな福島区にはまだまだ魅力がいっぱい。 さあ、探偵ナイトスクープの探偵になったつもり?(笑)で、歴史ある福島界隈をわてと一緒に散策しまひょ!
大阪を代表するスポット「ほたるまち」には、「文化・情報」「にぎわい」「居住」という3つの機能がある。 左に見える建物は、「文化・情報」として、ABC朝日放送。 右に見える建物は、多目的ホールの堂島リバーフォーラム。 このほか、「にぎわい」として、スーパーマーケット、レストラン、カフェ、スポーツジムの商業施設(堂島クロスウォーク)がある。 さらに「居住」として、超高層マンションThe Tower Osakaとリバーレジデンス堂島が建設された。 「文化・情報」「にわぎい」「居住」の3つの機能を持った「ほたるまち」の今後の発展が期待されている。
ABC放送で活躍するキャラクターのエビシー。 電波に誘われて中之島を訪れたという。 身長は1008mm。 性別は男の子。 年齢は6歳。 チャームポイントは1本髪の「6(シックスカール)」。 故郷は琵琶湖で現在は中之島の堂島川の川底に住んでいる。 好きな芸能人はABC放送のテレビ番組「おはよう朝日です」で活躍するウサギのマスコットキャラクター「朝 おき太」くん。 趣味は、ABCのテレビ・ラジオ。 好奇心旺盛で、やんちゃでいたずら好き。 目標は吉本興業が主宰する漫才コンクール「M-1グランプリ」出場。 口癖は、語尾に「シー」をつける。
ABC放送社屋
2019年4月27日から29日まで大阪府大阪市福島区にある朝日放送系列のABCテレビ社屋のリバーデッキにて「フード&スマイルフェス~ほたるまちマルシェ~」が開催された。
番組体験など
「おおさかNo.1グランプリ」で受賞した農家による大阪産の農産物の販売「大阪産フェア」や近畿地方を中心とした地産野菜の販売、親子参加型の「ファミリークッキング~家族でカレーをつくろう~」、番組「M-1グランプリ」のVR体験やニュースキャスター体験、「旅サラダ」とコラボした「旅サラダマルシェ」、本物そっくりのたこ焼きやスイーツなどの食品サンプルを手作り体験できる「ワークショップ」などが楽しめる。
アウトドア
社屋の10階にある「スカイテラス」「スカイテラス芝生ガーデン」として一般開放され、キャンプに必要なテントやアウトドアグッズの体験ができる。 入場料は無料。 体験料は一部有料。
スカイテラス
スカイテラスからは中之島界隈を一望することができる。
スカイテラス
スカイテラスからは中之島界隈を一望することができる。
淀川から分流してきた大川は大阪市内中心部を流れ、大阪市役所がある中之島で、堂島川と土佐堀川に分流する。 その堂島川に面した場所に石碑が建立。 中津藩豊前国中津藩(大分県中津市)の蔵屋敷で下級藩士・福澤百助と妻・於順の次男(末子)として生まれ育った。
堂島川に面して建てられている。 2008年5月2日に開館した。
大阪府大阪市福島区にある遊歩道。 正式名称は、福島浜緑道。 道の愛称である「Red & Blue Street」は一般公募によって決定。 由来は、医学博士・トランペット奏者・レストラン経営の手嶋祥一が大阪市福島区の一部地域である「ほたるまち」をJazzの街にと、自ら率いるJazzバンド名「Red&Blue echo」から。 Redは動脈、Blueは静脈を意味する。
長崎県を拠点に活動していた大村藩(肥前国彼杵郡大村)が大阪市福島区に蔵屋敷を建立。 1861年、大村藩に所属していた松林飯山氏、三河刈谷藩の松本奎堂氏、仙台藩の岡鹿門氏らが中心となって塾を開校。 3名の名前を一字ずつ取って「雙松岡(そうしょうこう)」とした。 尊王攘夷思想を理由に、大坂町奉行所によって閉鎖に追い込まれた。
石碑
松林飯山氏は、大村藩の藩校「五教館(現在の長崎県立大村高等学校)」の学頭となった。 「五教館」出身の楠本長三郎氏は、大坂帝国大学(現在の大阪大学)の第2代総長に就任。 楠本博士ら長崎県人会は「雙松岡跡」に石碑を建立した。
- アプリで地図を見る
堂島川沿いの田蓑橋付近にある。 もともと、蛸の松は、堂島川沿いの玉江橋付近にあった。 その松の木は、福島正則によって植えられたとされ、浅野氏が毎年、扶持十石を与えて維持したという。 1911年に枯れた。
日本初のカー用品店として知られる現在のオートバックスセブンを創業した。 住野敏郎氏は、米国を視察した際、カー用品総合専門店を、日本でも実現できないか、という発想から生まれたと言う。 1947年、大阪市福島区で自動車部品の卸売を目的として、「末廣商会」を創業。
ここには、当時のにぎわいを描かれている。 江戸時代、大阪は水運の利便性の高さから商工業都市として発展した。 全国から年貢米や特産物が集まり、各地へと運ばれた。 「天下の台所」とも呼ばれ、栄えていた。 全国から堂島・中之島付近に多くの蔵屋敷が建ち並ぶようになった。 蔵屋敷とは、諸藩が年貢米や特産物を管理・販売した施設のこと。 1872年、蔵屋敷は、約130件以上あったと言う。
907年、村人によって菅原道真を祀る小祠を建てたのが起源。 祭神は、菅原道真、相殿神、大国主命、事代主命、少彦名命 境内社は、吉高稲荷神社 祭神は、宇賀御魂大神
豚肉を使用した焼肉、しゃぶしゃぶ、鍋などの専門店。 店内はカウンター席とテーブル席。 メニューは、しゃぶしゃぶ、すき焼き、子持ちこんにゃくなど。
犬鳴ポークの焼きしゃぶサラダ
大阪府泉佐野市で生産され、大阪唯一のブランドポーク「犬鳴豚」を使用。 犬鳴ポークの焼きしゃぶサラダ。
豚テリ丼
豚テリ丼。
- アプリで地図を見る
かつて、この付近にあったとされる老松。 源平合戦において、この老松の下で源義経と梶原景時が論争した事で知られる。 1185年、源頼朝から平家追討の命を受けた源義経が摂津国の港・渡邊津に軍を集めた。 源義経と梶原景時がこの地で出会う。 暴風雨のため、景時は出航を見合わせようとするが、義経は出航する。 義経勢は阿波国勝浦に到着し、平家の軍が居た屋島を急襲した。 現在、逆櫓の松址碑が建てられている。
駅前なので、通勤客・通学客でにぎわっている。 主に、飲食店や雑貨屋などが立ち並んでいる。
焼鳥、唐揚、鴨などの専門店。 店内はテーブル席のみ。 やきとり番長は、「海千山千番長」として大阪府東大阪市や大阪市北区、福島区、中央区などに出店。
番長からあげ
メニューは、番長からあげ、もも肉鉄板焼き、鶏皮ポン酢など。
河内鴨
「河内鴨」をはじめ、朝引きの国産鶏「河内鶏」など大阪名産の味を堪能できる。
1934年、矢部又吉氏の設計によって完成した。 矢部氏は、ベルリン工科大学卒業し、大正時代、ヨーロッパ派として活躍した。 特徴は、円弧を描いた正面で、古代ギリシア建築に多いイオニア式柱の建築物。 現在は、一般企業が入居している。
飲食店や居酒屋、スーパーマーケット、宿泊施設などが立ち並ぶ商店街。 2019年、ふくまる通りとして町開き。 1898年、西日本旅客鉄道(JR西日本)の前身にあたる西成鉄道が福島駅を開業。 1905年、阪神電鉄が福島駅を開業。 1959年に西日本旅客鉄道が高架化、1984年、阪神電鉄が地下化。 2019年、飲食店や居酒屋、スーパーマーケット、宿泊施設などあらゆる個性が融合して一体となったこの通りに訪れた人の「フフフ」という笑い声が響き合い、たくさんの「福」があふれる通りとしてにぎわうようにとの願いを込めて「ふくまる通り57」と名付けた。
- アプリで地図を見る
刺身や揚げ物、煮つけなどを味わうことができる海鮮居酒屋。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
季節になると藤の花が咲き誇る。
ホテル阪神では、宿泊はもちろん、レストランでお食事も楽しむことができる。 地下1階はラグザスクエア。 いろんな飲食店が集まる中、見つけたお店。
豚骨の鈴木、辛口の鈴木、カレー豚骨の鈴木、塩の入江、醤油の入江など
店先に置かれた券売機を眺めていると、 鈴木、入江と書かれた名前が目につく。 豚骨の鈴木、辛口の鈴木、カレー豚骨の鈴木、塩の入江、醤油の入江など価格は700円~1000円程度。
豚骨の鈴木
店内に入るとカウンター席とテーブル席があり、全24席。 「豚骨の鈴木」を待っていると、海苔とチャーシュー、メンマ、ネギが乗って登場。 チャーシューは分厚い3枚。 麺はストレート(替え玉も可能)。 鈴木や入江と言う名前がめっちゃ気になるこのお店。 次回は、佐藤、高橋、田中、伊藤、山本、渡辺(苗字ランキング参考)などに出会ってみたい(笑)。
居酒屋などの飲食店が立ち並ぶ。 JR福島駅からも近いので、多くの通勤客でにぎわっている。 「一番街」と「二番街」がある。
通称、ビーハイブ(Bee Hive)。 建物は円形の平面計画でダブルコア形式を採用。 このビルの5階から7階には、区分地上権の設定で阪神高速道路11号池田線梅田出口が貫通している。 エレベーターで、4階の次は8階となっているので、途中、降りることができない。 高速道路は建物に一切接地せず、完全に独立している。 この土地の地権者は、明治初期から薪炭業などを営んでいた。 社屋が老朽化したため1983年に改築することになったが、都市計画によって高速道路が通ることになっていたため建築許可が下りなかった。 地権者側は譲れなかったため当時の阪神高速道路公団交渉し、ビルに高速道路を通すことで決着した。
- アプリで地図を見る
1981年、日本将棋連盟の関西将棋会館として建てられた。 ここでは、将棋道場、将棋教室、対局室などが設けられている。 関西所属の棋士の対局はここで行われることが多い。 日本将棋連盟が保有している将棋関連の資料は現在、大阪商業大学アミューズメント産業研究所に移管される。
西淀川区史によると、大和田街道は1908年に竣工した西成大橋が、1926年の淀川大橋の竣工に伴い撤去されるまでの街道名称であった。 そして、当時の国道2号線であり、阪神間を直結する最重要路線であったと言う。 街道の起点は、難波橋北詰(大阪市北区)で、西成大橋を渡り、新淀川右岸堤防道から姫島郵便局・遍満寺前を通り大島橋を渡る。 ここから大和田に入り西折斜行して新千船橋から出来島に入り千北橋を渡る。 そして佃を横断して左門殿(さもんど)川南堤に至り、辰巳橋から終点の大物(尼崎市)に達する経路であった」と言う。
大阪市福島区にある商店街。 約300mある商店街の目玉は、「占い」である。 通称「売れても占い商店街」とも呼ばれている。 マスコットキャラクターは、「うららちゃん」。 商店街の名の通り、占いの看板を掲げる店が多い。 商店街の先には如意山了徳院(浦江の聖天さん)がある。 現在、占いイベントには、他府県からも来客があり、また占い師にとっての登竜門ともなっている。
正式には、如意山了徳院と呼ばれている。 創建時期などの詳細は不明である。 1736年、再興の伝えがある。 戦災で多くを焼失したが、現在も残る山門は、寺院建築丸角流の代表作である。 この付近は「かきつばた」の名所として知られ、芭蕉の句碑が残っている。