夏目漱石の一生をたどる早稲田&雑司が谷散歩
東京夏目漱石の一生をたどる早稲田&雑司が谷散歩
今回紹介するのは、漱石誕生の地から終焉の地(現在は漱石公園)まで早稲田をぶらぶら歩き、東京に残された唯一の都電に乗って漱石が眠るお墓へお参り・・・という漱石の生涯をたどる最短1時間ちょっとのショートコースです。
漱石が9年間を過ごした「漱石山房」の跡。同時に、1916年12月9日、ここでその一生を終えた「漱石終焉の地」でもある。この地では『三四郎』『それから』『門』『こころ』『道草』そして未完の最終作『明暗』という名作の数々を執筆した。入口には漱石の胸像があり、園内には漱石山房のベランダ回廊部分を復元した建物、「道草庵」というミニ資料館、そして漱石や遺族が飼っていたネコや犬、小鳥などの供養に建てられた「猫塚」がみどころ。
夏目漱石と、幼くして亡くなった三女が眠る墓がある。「こころ」でも重要な舞台として登場する。また、ジョン万次郎・小泉八雲・永井荷風・金田一京助・竹久夢二など著名人のお墓も多いので、霊園管理事務所や豊島区のホームページにある霊園マップ片手に「有名人の墓探し」も楽しい。
東京メトロ「早稲田」駅の2番出口からすぐ。いまは外食チェーン「やよい軒」となっているが、実はここ、漱石が1867年に生まれた場所だ。奇しくも漱石終焉の地となる漱石公園とは最短距離で徒歩10分ちょっと。 目の前の坂道は「夏目坂」と呼ばれているが、これは漱石にちなんだものではなく、ここの名主だった父親が自分の姓を付けて呼んだのが定着したことに由来する。 漱石の一生をたどる散歩の前に、誕生の地にある「やよい軒」で腹ごしらえというのも面白い。
かつて都内を網羅していた都電も、いまや早稲田~三ノ輪橋を結ぶ荒川線が唯一残るのみ。チンチン、と音をたてて発車することから「チンチン電車」の愛称も。漱石が眠る雑司が谷霊園の最寄り駅「都電雑司ヶ谷」までは早稲田から6~7分。運賃はどこまで行っても170円。ICカード乗車なら165円。ときどき、漱石が生きていた明治大正時代を思わせるレトロ感覚たっぷりの外観を持つ車両が運行されるので、時間が合えばこのレトロ号に乗ってみたい。
漱石終焉の地から都電早稲田駅までの途中にあるのが早稲田大学。時間があるなら、大隈講堂など早大を代表する建築物を眺めて歩きたい。特にオススメが、キャンパス内にある早稲田大学坪内博士記念演劇博物館。「エンパク(演博)」の愛称で知られる。坪内博士とは明治時代に活躍した小説家・坪内逍遙(1859~1935年)のこと。漱石とはほぼ同時代人だ。日本だけでなく世界中の演劇・映像の貴重な資料が入場無料で見られる。