
あかん!徳島ごっついおもろすぎる!
徳島あかん!徳島ごっついおもろすぎる!
まいどまいど! 「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々・・・」という唄で知られる徳島県を代表する伝統芸能の一つ「阿波おどり」の地元を散策に出かけまひょ。 徳島県には阿波おどりの他、淡路島との境目に位置する鳴門海峡では渦潮も有名。 農産物ではすだち、ニンジン、サツマイモ・鳴門金時などが有名で、道の駅では鳴門金時のオブジェがお出迎え。 さらに鳴門金時の総菜パンやUFOキャッチャーが出現するなど、これからますます面白い! 畜産物では阿波牛、阿波ポーク、阿波尾鶏が有名で、阿波おどりを連想させる面白さ。 ベートーベン作曲の第九のふるさとではドイツ村も!? 徳島県ではその他、大歩危小歩危、土柱、スリル満点のかずら橋など見どころが満載。 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら・・・徳島に遊びに出掛けまひょ!せやないと損するだけだっせ。 渦潮や阿波おどり、サツマイモ・鳴門金時だけやない徳島の魅力をバババ!と皆さんにご紹介していきまひょ! ほな、まいどおおきに!
徳島県徳島市と愛媛県松山市とを結ぶ国道11号沿いにある道の駅。 2022年、徳島県で18番目として開駅。 駅名「くるくる」の由来は鳴門海峡の渦潮と千客万来の意味が込められている。 コンセプトは「(体験型)食のテーマパーク」。 施設内では鳴門市特産のさつまいも「鳴門金時」をはじめとする地元特産品が並ぶ。 入り口にはさつまいものオブジェが設置されている。 屋上広場には鳴門市の特産品をモチーフとした遊具も。
なると金時キャッチャー
オリジナルクレーンゲーム「なると金時キャッチャー」。 なると金時に見立てた長さ約15cmのぬいぐるみを取ると「鳴門金時カレー」や「さつまいもラテ」など5種類の商品から一つ選んで交換できるとか。
「道の駅 くるくるなると」内にあるベーカリーショップ。 総菜パンや食パン、プリンなどを製造販売している。 2022年、開業。 鳴門名産のサツマイモを使用したおいもあんぱんが人気。
おいもあんぱん
特にサツマイモの形をしたパンの中にはサツマイモがぎっしり。
徳島ロータリークラブ70周年記念事業として整備。 現在は休憩所として親しまれている。 屋根は阿波踊り女性の「鳥追い笠」がモチーフ。 2棟は「同行二人」、踊りの動きを表現。 ベンチ、床は眉山にちなみ、目、眉をイメージ。
阿波国(徳島県)を発祥とする盆踊り「阿波おどり」関連の展示、実演を行う文化施設。 コンセプトは伝統芸能の阿波おどりが年間を通じて楽しめること(阿波おどりは通常、毎年8月のお盆期間に開催)。 施設のモチーフは阿波おどりの高張り提灯。 1999年、逆台形な外観に設計され、開館。
郵便ポスト・阿波おどり
徳島市内には郵便ポストが設置され、その一部には阿波おどりの像が建立。
大きさの異なる麵が特徴のうどん。 ドイツの作曲家ベートーベンが作曲した第九をモチーフにしたドイツ・ソーセージ入りのホットドックなどを味わうことができる。 ホットドックは音符をイメージしたとか。
交響曲第9番 ニ短調 作品125は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1824年に作曲した。 独唱と合唱を伴う交響曲。 ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。
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第一次世界大戦中のドイツ人・オーストリア・ハンガリーなどを含む捕虜収容所(板東俘虜収容所)の記念施設。 とくしま88景に選定。 1972年、創設。 捕虜の人権尊重と自主的な運営を許し、地元民との交流も活発に行われたため多くのドイツ文化が伝えられた。 その一つとして音楽の分野ではベートーベンの第九がこの収容所において日本国内初演された。 大麻比古神社ではドイツ人らによる石造りのアーチ橋(ドイツ橋)も残っている。
土柱は礫や砂からなる段丘礫層(土柱礫層)が風雨により侵食され柱状になったもの。 土柱が生成される条件として直立した崖をつくる礫層があることや、頂部に侵食抵抗性のある地層があること。 悪地地形の一種。 日本では「世界三大土柱」として、チロル(ティロル)地方(イタリア)・ロッキー山脈(アメリカ)と並ぶ。
昔ながらの雰囲気が残り、名勝地として知られる。 通称、うだつの町並み。 四国八十八景8番、とくしま88景、にし阿波お勧めビューポイント100選、都市景観100選、日本の道100選、美しい日本の歴史的風土100選に選定。 阿波歴史文化道に指定。 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。 「うだつと白壁の町並」で昭和61年度手づくり郷土賞(人と風土が育てた家並)受賞。 江戸時代から昭和時代にかけて伝統的建造物が85棟建ち並ぶ町並みは約430m続くかつての本通りに位置する。 1700年代以降の民家遺構が多く保存され、町家の中で最も古いものは1707年。
うだつの町並み
1585年、徳島藩主の蜂須賀家政は、第一家老の稲田植元を阿北の要衝・脇城に入城させた。 この地域が舟運の利用に適した吉野川と、近畿地方に続く撫養街道と、讃岐国に通じる街道が交わる交通の要衝であることに注目し、各地から商人を集めて阿波藍づくりを奨励、藍商を中心とした商人の町づくりを図ったとも。 江戸時代、通商産業が盛んになり、阿波特産である藍の吉野川中流域の集散地として繁栄。