
西宮に2つある「野球の聖地」をハシゴしよう!
兵庫西宮に2つある「野球の聖地」をハシゴしよう!
兵庫県西宮市…大阪市と神戸市の間に存在する人口50万人弱の都市。 ここには“野球の聖地”阪神甲子園球場が存在します。 しかし、西宮市にはもうひとつ“野球の聖地”があるのです。 その名は「阪急西宮ギャラリー」。 1988年まで存在した阪急ブレーブスと、2001年まで存在した阪急西宮球場の記録と記憶を残すミュージアム。 甲子園と西宮…二つの“野球の聖地”をハシゴしてみませんか?
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現在「西宮ガーデンズ」の立つ場所には、かつて「西宮球場」というスタジアムが存在していました。 落成は昭和12(1937)年。 阪急グループの祖である小林一三翁の発案で大阪阪急野球協会、後の阪急ブレーブスが発足した翌年のことです。 それから半世紀後の昭和63(1988)年、阪急電鉄はブレーブスをオリックスに売却。 空き家となった西宮球場は2002年に閉鎖、解体されます。 そして2008年に西宮ガーデンズが開業するわけです。
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「阪急西宮ギャラリー」は西宮ガーデンズ5階、TOHOシネマズ西宮OSの隣にあります
「阪急西宮ギャラリー」には西宮球場や阪急ブレーブスの記録や記念物が展示されています。 また、阪急電鉄や阪急百貨店の歩みに関する資料も併せて掲示されています。
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1983年当時の西宮北口駅周辺を再現した1/150のジオラマがドーン!
左側エリアの中央には1983年当時の西宮北口駅周辺を再現した1/150ジオラマがドーンと鎮座しています。 模型は手が込んでいて当時の雰囲気を彷彿とさせてくれます。 1983年当時のパ・リーグといえば暗黒時代もいいところで、観客数は絶望的な少なさ。 しかも西宮球場では競輪も開催されていたので、スタジアム周辺は一種「男の世界」的な荒んだ雰囲気が横溢していたそうです。
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ペナントや盾、トロフィー…阪急ブレーブス栄光の歴史がここに!
ジオラマの隣にはガラスケースの中に、いにしえのユニフォームや日本シリーズで優勝した時のペナントやトロフィーなど、ブレーブスの栄光を象徴する品々の数々が所狭しと陳列されてます。
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西宮球場が最も輝いた1975~1977年の3年連続日本一
阪急ブレーブスは1936年の発足から1988年に売却されるまでの52年間で日本一3回、パ・リーグ優勝10回を誇る強豪チームでした。 特に1975~1977年の3年連続日本一は西宮球場が最も輝いた時期でした。
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"花の44年組"山田久志、福本豊、加藤英司の3選手は特設ブースで紹介!
阪急の黄金時代を築いた"花の44年組"山田久志、福本豊、加藤英司の3選手については、個人所蔵のバットやトロフィーを借り受けて展示するという熱の入れよう。 今でも福本氏や加藤氏は阪神戦やオリックス戦のメディア中継で解説を務め、そのトボけた味わいが話題になったりしてますが。 今の姿しか知らない若い人たちには、どれだけ両者が偉大な選手だったか知ることのできる稀少な場所です。
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ギャラリーには野球だけでなく鉄道やイベントなどの資料も!
ガラスケースの中には昭和9(1934)年に梅田/神戸間25分特急運転を実現したことを誇示するレトロなポスター。 その手前には特急運転に投入された920型車両の1/20スケール模型が展示されています。 その右には昭和25(1950)年に西宮球場近辺で開催された「アメリカ博」のポスター。 手前にはアメリカ博の宣伝用に塗装された800型車両の1/20スケール模型の姿も。
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阪急百貨店は最初、マーケットだった!?
ギャラリーの右側エリアには主に阪急百貨店など阪急グループに関する内容が展示されています。 鉄道系百貨店の草分け阪急百貨店も、創業時の阪急マーケット時代は店員が元鉄道マンの素人ばかりだったとか。
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屋上庭園「スカイガーデンズ」に遺された西宮球場の記憶
西宮ガーデンズ屋上の庭園「スカイガーデン」に設置されているスタンドは、どこか野球場を彷彿とさせます。 それもそのはず、西宮球場のスタンドをイメージして設計されているのです。 その左端下部の地面にはホームベースがあしらわれてます。 かつて西宮球場でホームベースがあった場所を今に伝えているのです。 阪急電鉄にとって西宮球場とブレーブスが、いかに大切な存在だったかアピールしているかのようです。
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阪神タイガースの本拠地にして、春と夏には高校野球の全国大会が開催される、言わずと知れた“野球の聖地”。 タイガース戦のみならず、高校時代に母校の応援で訪れたという方も多いことでしょう。 プロ野球チームの本拠地は全国に12球場あるのですが、ここの独特さは唯一無二!
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ただいま阪神電車甲子園駅は大改装中!
最寄り駅は阪神電車甲子園駅。 設置されたのは大正15(1926)年7月16日といいますから、90年弱の歴史があります。 現在、大規模改修工事中ですが、開業90周年を迎える2016年度には完了の予定です。
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駅と球場の間にある名物の売店たち
阪神本線甲子園駅前から球場正面に向かう通路の右側に並ぶ、お土産屋さんや食堂。 昔からある一角で建物の規模そのものは変わらないのですが、来るたびに外装や品揃えがパワーアップしているように思えます。
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球場の誕生から90年!
球場名の由来は完成した大正13(1924)年が、十干と十二支それぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う年だったことに因むそうです。 落成当初は「甲子園大運動場」と呼ばれていたとか。 ちなみに球場名が甲子園球場から阪神甲子園球場に変わったのは昭和39(1964)年2月14日のことでした。
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名物のツタは…ただいま育成中!
甲子園球場名物といえば外壁を覆うツタでした。 大正13(1924)年12月に初めて植栽されたそうです。 平成18(2006)年秋からリニューアル工事のため一旦伐採されました。 工事終了後に再び植栽され、現在また順調に生育しています。
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高校野球の記念碑「野球塔」を見逃すな!
大正13(1924)年8月13日に「第10回全国中等学校野球大会」…今の夏の高校野球選手権大会。 翌14(1925)年3月31日には「第2回全国選抜中等学校野球大会」…今の春の選抜高校野球大会。 それぞれ甲子園で初めて開催されました。 高校野球の歴史を後世に残すため、球場外周南側には「野球塔」というオベリスクが立っています。
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甲子園歴史館で触れる高校野球とタイガースの歴史
野球塔のすぐ近く、レフトスタンドの下に「甲子園歴史館」があります。 ここには甲子園球場、高校野球、タイガースの歴史が一堂に展示されています。
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タイガースショップは東京にもあります!
歴史館の隣にあるタイガースショップも人で溢れています。 ちなみにタイガースショップは東京にもあります。 それも東京ヤクルトスワローズの本拠地神宮球場と、地下鉄銀座線外苑前駅を結ぶ神宮スタジアム通りのド真ん中に。 神宮球場も阪神戦だとタイガースの本拠地みたいな様相を呈するので、あまり違和感ないのですが。
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甲子園は高校野球のために生まれた球場だった!
阪神タイガースの前身、大阪野球倶楽部の誕生は甲子園球場の設立から11年後の昭和10(1935)年12月10日。 もともと甲子園球場は中等野球を開催するために建設され、プロ野球は後付けだったわけですね。
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西宮球場の跡地に建設された「阪急西宮ガーデンズ」。 敷地面積7万平方メートルにも及ぶ西日本最大級のショッピングモールです。 阪急百貨店、スーパーイズミヤ、TOHOシネマズOSをはじめ、大小様々な店舗が軒を連ねています。
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梅田から特急で10分ちょい!最寄り駅は「阪急西宮北口駅」
阪急梅田駅から特急列車で10分余りで西宮北口駅に到着。 南口方面出口から伸びるペデストリアンデッキを歩くこと5分ほど。 西宮ガーデンズへ雨に濡れずにアクセスできます。
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ガーデンズへ行く前に「西宮北口ものがたり」で歴史に触れる
西宮ガーデンズへ行く前に、道を挟んだ向かい側の広場へ。 ここには「西宮北口ものがたり」という3つの逸話が紹介されています。 一つ目は「高畑町遺跡」。 西宮市で初めて出土した奈良時代の遺構について解説しています。 二つ目は「阪急西宮球場」。 三つ目は「ダイヤモンドクロス」。 かつて神戸本線と今津線は西宮北口駅構内で線路が平面で交差していました。 「ダイヤモンドクロス」とはこの平面軌道交差のことです。
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西宮北口の象徴だった「ダイヤモンドクロス」は今もここにある
鉄道の平面軌道交差はダイヤを組む上で非常に厄介な存在。 全国の高速鉄道でも唯一ここにしかありませんでした。 それゆえ西宮北口駅名物として、鉄道ファンのみならず西宮市民にも愛されていたそうです。 しかし1970年~80年代の旅客輸送量激増とともにダイヤモンドクロスは安全保安上のネックとなり、昭和59(1984)年に廃止。 撤去されたダイヤモンドクロスの一部をここに埋め込み、保存しているわけです。
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駐車場の片隅にひっそり佇む「こども会記念碑」と「後援会記念樹」
阪急百貨店南側出入口の南駐車場。 側壁の植え込みに2つの記念物が佇んでいます。 ひとつは「ブレーブスこども会記念碑」。 西宮球場時代からありましたが、球場解体の際に撤去。 西宮ガーデンズの建設に際し再び戻ってきました。 もうひとつは「ブレーブス後援会記念樹」。 目立たない場所ではありますが、こうして歴史的記念物を保存してあるところに阪急の律儀さを感じます。
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数多あるグルメスポットから敢えて選ぶとしたら…新宿中村屋のインドカリーを是非!
4階南モールの「新宿中村屋 Olive House」は「昭和2年から愛され続けている新宿中村屋のインドカリー」を味わえる兵庫県唯一の店。 東京新宿の老舗洋食店中村屋のインドカリーは、イギリスから伝わったカレーが幅を利かしていた当時の日本で初めて提供された本格派インドカレー。 また、インド独立運動の闘士ラス・ビハリ・ボースとの関係など日印外交史ともゆかりの深い、カレーを超越した存在なのです。
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