ちょっとDeep台湾 街全体が博物館。タイムスリップした気分になれるレトロな街・大渓を歩く1日旅
海外ちょっとDeep台湾 街全体が博物館。タイムスリップした気分になれるレトロな街・大渓を歩く1日旅
「大渓」は桃園県東部の山沿いエリアで、「大渓老街(オールドストリート)」や「大渓豆干(台湾岩豆腐)」などが有名な所。 「大渓」には中華民国初代総統「蒋介石」にゆかりある所やお茶の葉工場など、他にも魅力的なスポットがありますが、今回は1日ゆっくり見て回れる「大渓老街」付近の見どころをご紹介します。 19世紀初め、台湾5大家族である「板橋林家」が「大渓」に移り住み、この地を繁栄させるべく水田整備などを行い、また、お隣の「復興区」で伐採された木材や樟脳などの内陸水運が開始されると、物資の集散地となり商業地として発展。 近年では、このエリアをひとまとまりの文化区として、建築物の保存と環境の整備が行われ、街全体が「壁のない博物館」となっていて、清時代・日本統治時代の歴史建築は「大渓木藝生態博物館(以下、木博館。月曜日、旧暦旧正月期間休館)」が管理行っています。 また、「客家(漢民族の1つ)」の文化に触れる新しい観光ブランド「浪漫台三線(台湾の西側山間部を走る台湾省道)・客家ロマンチック街道」のスポットの一つとしても注目されています。 是非、散策しながら「大渓」の歴史に触れてみてくださいね。
このプランの行程
バス
台鉄桃園車站(駅)から徒歩2分位のところに桃園客運と言うバス会社のバスターミナルがあり、そこから「大渓」行きで約45分。 「李騰芳古宅」の最寄り駅は「観音寺」。 下車して徒歩約15分です。 近くにシェアサイクルステーションもあるので自転車をレンタルしての移動もオススメですよ。🚲
約150年前の建物。 とても豪華な民家で、見ごたえあります。
21分
自転車での移動なら約5分です。
5分
バロック式や大正スタイルの建物が並んでいるオールドストリート。 まるでタイムスリップしたかのような気分です。
3分
3分
台湾かき氷が食べれるお店。🍧 観光途中でちょっと休憩です。
2分
1分
商売繁盛の神様として「關聖帝君(関羽)」が祀られています。 ここの神様のお祭りは、桃園県の無形文化遺産に指定されています。
5分
公園の展望台の眺めは素敵ですよ。
17分
欄干が「大渓老街」の建物がモチーフになっていてかわいい。
2分
お隣には土俵がありますよ。
16分
おいしい地元の「客家料理」がリーズナブルにいただけます。
2分
日本統治時代に建てられた木造の建物が多く残るエリア。 まるで日本にいるかのようです。 ここでは観光の情報を集める事も出来ます。
2分
「大渓」で作られるいろいろな家具の紹介があります。
2分
堂々とした外観が印象的な建物です。
1分
1分
「大渓」の歴史や文化の展示がしてあります。
2分
3分
6分
毎日列ができている地元グルメのお店です。
バス
このプランのスポット一覧
その「李騰芳氏」の邸宅「李騰芳古宅」は、1864年に落成したもので、現在、建物の敷地範囲は狭くなっていますが、「口」の字の形で作られている「四合院」という建物は保存状態もよく、台湾を代表する古跡に登録されている民家の一つです。 清の時代に「李騰芳氏」のご先祖がここ「月眉」に定住し開墾をはじめ、その後の1865年に「李騰芳氏」は「科挙(清朝役人登用試験)」に合格、地元でも影響力のある人物となります。 そのため、このような立派な建築が残っており、屋根の左右が反って尾っぽがあるのも、お偉い人が住んでいる家の象徴だそうです。
李騰芳古宅
入口を入ると石碑のようなものが2つありました。 これは「科挙」の試験に合格した「挙人」が持つ旗杆座(旗竿台)だそうです。 ここに旗を掲げていたんでしょうね。。🏁
李騰芳古宅
内部は一部のお部屋で、小さなお子さんでも、遊びながら楽しくここの歴史が学べるような工夫がされていました。 もちろん、当時の様子を今に残す展示と説明がもあります。
李騰芳古宅
建物の中央にある「肇慶堂」。 先祖が祀られているこの部屋は天井も高く、威厳がある空間です。 お部屋の外の、柱や斗栱部分に施されてある、彫刻も大変見ごたえがあります。
李騰芳古宅
ここの周りは田んぼ。 たわわに実った稲穂に囲まれるように「李騰芳古宅」があります。
「月眉古道」は、農業が盛んだった「月眉」と高台の上にあり商業地である「大渓」の街を結んでいたトンネル通路で、約140年前に造られました。 「月眉古道」はそう長くなく、現在は歩きやすいよう階段に整備されているので、上りでも5分かからず通り抜け出来ます。 以前は、「月眉」に住む農民の方が、収穫された農作物をもって「月眉古道」を通り「大渓」で販売、生活用品等を購入して帰っていた。とのことで、とても重要な道だったというのが分かります。
月眉古道
勾配が少し急ではありますが、「月眉エリア」から「大渓」に行く場合は、ここ通れば遠回りせずに「和平老街」付近の通りに行くことができます。 自転車をご利用の方でも、階段の脇に自転車用のスロープがあるので押しながら行くことができます。
大渓に暮らす人達の台所である「大溪區第一公有零售市場」。 市場は2階建ての建物で、食料品はもちろん、日用品、衣類など、なんでも揃っています。 市場に入っているほとんどのお店が、午前中の営業なので、興味がおありの方は早い時間に来ることをお勧めします。 食べ物の屋台やお店は、午後も営業しています。 「焼きビーフン」や「台湾式焼きそば」なども味わうことが出来ますよ。
大溪區第一公有零售市場
露店のお店も、市場付近にたくさん並んでいます。 果物や野菜、お肉などはもちろんのこと、いろんなものがここで購入できます。 夏に行った時には、水着や浮袋も店頭にぶら下がっていました。
清の時代から、ここの付近で伐採された木や樟脳などの河川舟運を行い、物資の集散地として商業で栄えた「大渓」には、今も約100年前に実施された「都市計画」の一環として整備され、造られたバロック式、大正スタイルなどの建築がたくさん残されています。 その建築はかつて、個人宅や店舗などとして使用されていました。 「大渓」には昔の面影を残す老街が幾つかあり、中でも「和平老街」は賑やかで、「台湾かき氷」のお店や地元名産の「豆干(台湾式岩豆腐)」、「木製品」のお土産店などが並んでいます。 ペディメントが連なる街を歩くと、まるでタイムスリップしたかのような気分になります。
大渓老街
街を歩いていると「豆干」という言葉をよく見かけます。 「豆干」とは、台湾や中国で食される水分が少なく硬めに作られた豆腐で、その形は小さめで平たく、煮物や切ったものは炒め物などに使われているポピュラーな食材です。 「大渓」にはその「豆干」の加工品を販売しているお店がたくさんあり、写真の「黄大目」というブランドの「豆干」は「大渓」を代表するお土産の一つです。
大渓老街
ペディメントの形とレリーフのデザインはそれぞれ異なりますが、建築当初、同一人物が所有していた所は同じデザインのものも一部で残存しています。 写真は「新南(中山)老街」にある建物。 レリーフには、「富貴花」が咲く横を蝶や小鳥が舞い、その上にバナナの葉に立つ獅子とさらにその上から遠くを眺める「麒麟」が彫刻されています。 後世も繁栄が続くよう、縁起の良いものがデザインされています。
大渓老街
「大渓老街」に残る建物の中で、もっとも豪華なものは「新南(中山)老街」にある「建成商行」。 大渓の大富豪「簡阿牛」という方の住居跡で、ペディメントには「建成商行」をローマ字読みした「KEN SEI SHO CO」と書かれています。 現在、建物正面の壁と柱しか残されていませんが、それでもその建築の豪華さは一目瞭然です。
大渓老街
建築の中には、ペディメント部分に文字がなく、彫刻が細かく施されてるものもあります。 この建物は、柱がイオニア式に造られ、エレガントさが漂っています。
「大渓」の観光の途中で、休憩するならここをお勧め。 「日發熱滷豆干•粉條綠豆冰」では、台湾式かき氷や冷たいお飲み物、暖かい「煮込み豆干」をいただけるので、暑い日でも寒い日でも立ち寄ることが出来ますよ。 お店はもちろん約100年前に建てられた、歴史建築です。
日發熱滷豆干•粉條綠豆冰
ここの看板メニュー「粉條綠豆冰」。 「粉條」とは、「緑豆」から作られるちょっと太めの「春雨」のようなもの。 それに、甘く煮込んだ「緑豆」と「ゼリー」をトッピングしていただく台湾かき氷。 地元の人からも人気の一品です。
日發熱滷豆干•粉條綠豆冰
看板メニューの「粉條綠豆冰」の他にも、暑さやのどの渇きをいやすメニューがあります。 「マンゴーのフローズンドリンク」や酸味さっぱり「檸檬愛玉(レモン愛玉ゼリー)」なども人気メニューだそうです。
日發熱滷豆干•粉條綠豆冰
ここでも「豆干」の加工品や特製の調味料などがずらりと並んでいます。 お値段もリーズナブル。 ちょっとしたお土産にもいいですね。
日發熱滷豆干•粉條綠豆冰
店内の壁には「和平老街」にある建築の特徴と店名が記された地図が貼ってあります。 気になるペディメントレリーフの建築があれば、ここで場所を確認してから見に行くことが出来ます。
「大渓福仁宮」は、1813年に建立された「漳州人」の守護神である「開漳聖王」を祀る道教のお宮。 「開漳聖王」は、唐の時代の有名な高級将校で、中国福建省漳州や広東潮汕、漳州から台湾に渡ってきた人たちからの信仰が厚く、香港などの東南アジアでも祀られています。 「大渓福仁宮」は、桃園県内の「開漳聖王」を祀るお宮で最大規模だと言われています。
大渓福仁宮
お宮は2階建てになっていて、後殿の2階には航海の神様「媽祖様」が祀られている「大渓天后宮」もあります。 写真は1階の本殿。 柱の龍の彫刻は力強く、素晴らしく、赤い提灯は大変幻想的です。
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「大渓普済堂」は1902年に建立された、中国の小説「三国志」に登場し、台湾では商売の神様として信仰される「関聖帝君(関羽)」を祀ったお宮。 「関聖帝君(関羽)」のお誕生日農歴の6月24日には、1916年より毎年盛大な誕生祭「大渓普済堂関聖帝君生誕慶典」が行われ、「大渓」の街は大変賑やかになります。 そのお祭り「大渓普済堂関聖帝君生誕慶典」は、2011年に桃園県の無形文化遺産に指定されています。
大渓普済堂
本堂には、「関聖帝君(関羽)」の他にも、学問の神様「文昌帝君」、オランダ東インド会社を台湾より駆逐した「延平郡王祠」等も祀られています。
「中正公園」は、1912年に整備された公園で、1927年には台湾の景勝地を投票で選ぶ「台湾八景十二勝」の1つに選ばれた所でもあります。 造られた当初は「大嵙崁公園」と呼ばれ、1920年の都市計画の際に「大渓公園」に改名、1975年より「中正公園」と呼ばれるようになりました。 2016年に、公園の景観と環境を改善する大規模な整備工事が行われ、緑も増え、公園内遊歩道や展望台等もつくられ、お散歩しやすい公園となりました。🌳 博物館エリアにもとても近いので、是非、立ち寄って見てください。
中正公園 展望エリアからの眺め
中正公園からは「大漢渓」を望むことが出来ます。 以前、この河は「大嵙崁渓」といい、伐採した木材や産物などの輸送に利用され、「大渓」が物資集散地として発展するのに大きく貢献してきました。 現在は、水位も下がり、一部で川底が見えていますが、ここから見る「大漢渓」の景色は素晴らしいですよ。
中正公園 陀螺(独楽)廣場
「中正公園」にある独楽のオブジェ。 公園だけではなく、「大渓」では街のあちこちで独楽のオブジェや絵を目にします。 それは、「大渓」は木工芸が盛んで、余った木材で独楽を作り、子供たちに遊ばせた。というのが由来で、現在では、独楽は「大渓」の代名詞にもなっています。
「大渓橋」はかつてより、「大渓」から他のエリアへ行くための大切な交通ルートで、早期、清の時代に造られた「大渓橋」は、大きな石を積んで竹板をつなげて造られていたそうです。 日本統治時代になると、ケーブルを使った約280メートルの吊り橋に造り替えられ、その形は現在の「大渓橋」に似ていたそうです。 現在のものは、約20年に造られた鉄筋コンクリートのもの。 車両が通る橋は別の所に造られているので、現在、「大渓橋」は人、自転車専用として使用されています。
大渓橋 エレベーター
「大渓橋」は、「中正公園」の下の所にあるので、このエレベーターを利用するのが便利。 体力に自信がある方は、エレベーターの横に「大渓橋」と「中正公園」をつなぐ階段があるので、そちらをどうぞ。(笑)
大渓橋
橋の入口は、洋館型のアーチがあり豪華です。 「大渓老街」の洋式の建築に合わせたデザインになっていますね。
大渓橋
橋の左右の欄干は、「大渓老街」の街並みをモチーフにしたデザインで造られていてとてもかわいい。 多くの人が、ここで記念撮影をしていました。
「大渓神社」は、1932年に「昭和天皇」のご即位を記念して「大渓公園」の中に建てられ神社で、「開拓三神」と「北白川宮能久親王」を祀っていました。 戦後、拝殿建築は撤去され、その土台の石垣の上に、公園に来た人の休憩場所「超然亭」が造られましたが、以前の神社の面影は残っていますね。
大渓神社跡
狛犬は当時より残されていて、神社跡前に置かれています。 当時の灯篭の竿が5基、拝殿の石垣の所に置かれていて、それには「大渓神社」に寄進したと思われる企業名や個人名、日にち等が彫られています。
大渓神社跡
参道は整備され、灯籠も復元されて旧神社跡の前並んでいます。 以前は鳥居が2つ、参道の横には手水舍もあったそうです。
大渓神社跡横 相撲広場
神社跡の横には、土俵があります。 以前は、ストリートパフォーマンスなどを行うイベント広場になっていましたが、2017年に復元されました。 復元された後は、1年に1度、「相撲大会」等が行っているそうです。 台湾で土俵を見れるなんて! これからもずっと、ここで日台交流が続くといいなぁ。
「中正公園」からほど近い所にある「大渓」を代表する「客家料理」のレストラン。 「客家」とは、漢民族の1種で、特有の言葉や文化があり、「大渓」のある「桃園県」では、その文化を多く見ることが出来ます。 約30年前、「渓友縁風味料理餐庁」が創業した当初は、露店の小さなお店でしたが、お客様の声を聴き、研究を重ねオリジナル料理を創作、コンテストなどにも参加、近年は連続して「桃園県」の優良レストランに指定されています。 「客家委員会」からも推薦されるレストランで、リーズナブルにいただけるのも魅力です。 毎週火曜日は定休日。
渓友縁風味料理餐庁
ここの人気料理「金牌包二奶(台湾式豚バラスライスバーガー)」。 ビジュアルがかわいくて大変特徴的! 二つ折に蒸された豚まん生地に、しっかり味付けされた豚バラスライスとピーナッツパウダーを挟んでいただく一品で、「梅干扣肉(客家高菜)」も少し加えるとさらに美味! 一皿の量が多いので、少人数の場合はいただけないのが残念! また、1日で提供できる数に限りがあり、事前予約が必要ですのご留意下さい。
渓友縁風味料理餐庁
「客家料理」を代表する料理と言えば「客家小炒」。 「豆干(台湾式岩豆腐)」を切ったものとスルメイカ、豚肉、セロリなどを炒めたもので、濃いめの味付けでご飯が進む一品です。 是非、味わってみてください。
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「壹號館」は、1920年に建てられた「大渓小学校(大溪公學校)」校長宿舍だった建物。 近年まで「大渓中学校」の英語教師の方がここで暮らし、その奥様がここで「お裁縫教室」を開いていて、玄関横に「溪光縫紉補習班(渓光裁縫教室)」という看板を掛けていたとのことで、今でも「大渓」の奥様たちの思い出の場所になっているそうです。 現在、「壹號館」は「木博館」のサービスセンターになっており、「木博館」の紹介はもちろん、「大渓」の情報発信センターとなっています。
壹號館
内部は壁やふすまは取り除かれ広々としていて、床もフローリング。 玄関横のスペースでは、木で作られたかわいいお人形の「大渓」の「廟會(神様のお祭り)」が展示されています。
壹號館
畳の部屋は閲覧室になっていて、「大渓案内」等をここで読むことが出来ます。 畳に座る週間の無い、台湾の方の為に、丸太を切った椅子がありました。 畳がすれて傷まないか、ちょっと心配にもなりました。💦💦
壹號館
以前押し入れだったと思われるところには、「大渓」の観光資料がたくさん並んでいます。 無料で配布されている資料ですので、観光前にここで情報収集されるのもイイですよ。
「木家具館」は、1921年に造られた「大渓公会堂」だった建物。 赤レンガと木造が融合した洋館で、当時は地元の集会や講演会、宴会、記念式典、文芸教育などのスペースとして利用されていました。 また、昭和天皇がまだ皇太子だった1923年に「台湾行啓(台湾訪問)」で「桃園角板山」という所を視察される際、休憩所としてお立ち寄りになられた所でもあります。 戦後は、中華民国初代総統「蒋介石氏」の招待所として、後には記念館として使用、今でも建物入口部分は「総統 蒋公紀念堂」の文字が残されています。 現在は、「木家具館」となり、「大渓」で生産される家具の紹介するスペースとなっています。
木家具館
中に入ると「大渓」の家具生産についての説明がありました。 「大渓」で作られる家具は主にカスタムメードで、利用者の希望に沿ったものを作っているそうです。 私だけの家具、うれしいですね。
木家具館
もちろん、製品の展示もあります。 自分の生活にあったものを見つけることが出来ます。
木家具館
家具デザイナー、製作者の紹介もあります。 全員「大渓」で活躍する人たちです。 気に入ったものがあれば、連絡が出来るようになっています。
1935年に警察の剣道、柔道の道場として造られた「大渓武徳殿」。 戦後は、中華民国初代総統「蒋介石氏」の招待所の一部として、また、後には「中華民国憲兵隊」の駐屯設備として使用されていました。 憲兵隊が移転した後、2001年に建物の修復工事が行われ、保護され、現在は「木博館」の一つとなり、期間限定の特別展示館となっています。
大渓武徳殿
天井はあえて建築構造が見えるようになっています。 骨組みや屋根の部分までその造りを見ることが出来ます。
大渓武徳殿
しっかりと造られた建物側面にある木造のドア。 色もデザインも堂々としています。
大渓武徳殿 付属建築
「武徳殿」から続いている渡り廊下の建物。 通常では付属建築内には入ることはできませんが、不定期の特別イベントが行われる際開放される場合もあるとのこと。 私は、残念ながらまだここを渡ったことはありません。💦
「六廿四故事館」は、1942年に造られた「大渓農会倉庫」で、お米倉庫でした。 戦後は、「中華民国憲兵隊宿舎」、後に「大溪農會食塩肥料倉庫」等に使用されました。 現在は、桃園の無形文化遺産にも指定されている「大渓普済堂関聖帝君生誕慶典」の展示会場として、「廟」とここでの暮らしとの関係や「廟會(神様のお祭り)」等について紹介しています。 展示館の名前にある、「六廿四」とは中国の小説「三国志」に登場し、台湾では商売の神様として信仰される「関聖帝君(関羽)」のお誕生日、農歴6月24日からとったもの。 ここでは、迫力ある展示を見ることが出来ますよ。
六廿四故事館
「大渓普済堂関聖帝君生誕慶典」のお祭りでは、「関聖帝君(関羽)」の息子である「関平将軍」も街を巡ります。 厳しい表情ながらも微笑みのあるお顔が大変印象的です。
六廿四故事館
「大渓普済堂関聖帝君生誕慶典」のお祭りの際は、側近や主簿として「関聖帝君(関羽)」にお仕えしていた人物も「将軍」となり街を巡ります。 その大きさを迫力は見ごたえがあります。
六廿四故事館
「廟會(神様のお祭り)」で、街を巡る時は「ライオンダンス」や「ドラゴンダンス」を見ることが出来ます。 写真は「ライオンダンス」のライオンで、ダンス中は口を大きく開くだけでなく、瞬きをするライオンもいてキュートですよ。
六廿四故事館
内部の壁には、「中華民国憲兵隊宿舎」時代の名残りでしょうか。 「主義」「領袖」「国家」という、まあまあ固い言葉が書かれてあります。 時代を感じますね。
藝師館
「六廿四故事館」の横にある「藝師館」は、1941年に建てられた「警察宿舎」で、戦後は中華民国初代総統「蒋介石氏」の招待所などとして利用されました。 現在は、「大渓」の木工芸家についての紹介や木工芸品の展示が行われています。
「大渓歴史館」は、4棟が連なる木造の長屋建築で、1937年ごろに建てられたもの。 建築当初は「大渓郡役所警察」の宿舎として利用され、戦後も「警察宿舎」として引き続き使用されていました。 ここ周辺には、他にも「警察宿舎」として使用されていた建物が何棟が残っているので、このエリアは「警察宿舎群」と呼ばれています。 「大渓歴史館」では、「大渓」の歴史やここの風習などについての紹介、展示されています。 「大渓」に来たら、是非立ち寄っていただきたい展示館の一つです。
大渓歷史館
内部は4棟が通り抜けできるように改装されていて、各所に「大渓」についての展示品が配置されています。 特に、「大渓老街」の建物の作りについての紹介は大変興味深かったです。
大渓歷史館
一番奥の展示エリアには、日本統治時代から残されている物がありました。 小学校の先生と生徒さんのクラス写真や賞状、修了証など、当時のここでの暮らしを垣間見ることが出来ました。
歓迎庁
「大渓歴史館」の横には「歓迎庁」と「弾薬庫」跡があります。 共に小さな建物ですが、「歓迎庁」でも特別展示会などが行われています。
歓迎庁
現在は「厝邊警察任務中(お隣の警察、ただいま任務中)」という展示が行われていて、警察年表や当時の写真、制服などを見ることが出来ます。
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6棟が連なる木造の長屋建築は1901年に建てられ、建築当初は「大渓郡役所警察」の、戦後は「中華民国警察大渓分局」の職員宿舎として利用されました。 2015年に歴史建築に登録された後リノベーションが行われ、「木博館」の1つとして2021年に1棟が「六連棟生活庁」として開放されています。 現在は「厝邊警察的生活(お隣の警察の暮らし)」という展示が行われています。
六連棟生活庁
中に入ると「警察宿舎」として利用されていた時の様子を見ることが出来ます。 純和風の内装を期待していたのですが、畳の部屋を1つだけ残し、他の所の床はタイル張りに改装されていました。
六連棟生活庁
キッチン、ダイニングのスペース。 宿舎として利用されていた写真も展示してあり、当時と同じように一昔前の台湾のご家庭が再現されています。 なんとなく、懐かしい気持ちになりました。
六連棟生活庁
長屋建築は、1棟が「六連棟生活庁」として開放されている他、何棟かが交流の場所として不定期で開放、イベントなどが行われています。
工藝基地
「六連棟生活庁」の前スペースは、小さいですが広場になっていて、ここでも、不定期でイベントが行われています。 そこには「物產小舖」というショップもあり、ドリンクや記念品などの購入もできます。
「鳳飛飛」とは人名で、「大渓」出身の女性歌手の名前。 「鳳飛飛」さんは1972年に歌手デビューし、司会者や女優としても活躍、「大渓の娘」や「帽子の歌姫」の愛称で親しまれ、台湾だけでなく中国大陸や東南アジアでも人気を博しましたが、大変残念なことに2012年、病気により香港で他界。 他界後も、ファンの人たちが「大渓」で不定期の記念イベントなどを行っているそうです。 「鳳飛飛故事館」は、そんな「大渓」方より根強く愛されている「鳳飛飛」さんの、生前の活躍を紹介する記念館です。
鳳飛飛故事館
この建物も日本統治時代に建てられた「旧大渓郡役所警察課長官舎」で、戦後は「中華民國警察大渓分民長宿舍」として使用されていました。 2015年に歴史建築に登録された後リノベーションが行われ、「木博館」の1つとして2021年に「鳳飛飛故事館」としてオープンいたしました。
鳳飛飛故事館
建物の入り口横には女の子のオブジェが立っています。 可愛らしいですね。
鳳飛飛故事館
内部には「鳳飛飛」さんにまつわるものが展示、紹介されています。 生前に活躍した頃の年表やポスター、掲載された雑誌などが、館内いっぱいに展示されています。
鳳飛飛故事館
レコードのジャケットです。 リリースされた歌は70曲を超えているそうです。 デビュー初期の表情は初々しい。☺️
工藝交流館
「鳳飛飛故事館」前には、日本統治時代及び戦後も警察官の宿舎として使われていた建物があります。 現在は「工藝交流館」として、展示会や交流会のイベント会場として使用されています。
営業を始めて約55年という、ほとんど毎日列ができる「煮込豆干」のお店「老阿伯現滷豆干」。 「豆干」とは、台湾や中国で食される水分が少なく硬めに作られた豆腐で、その形は小さめで平たく、煮物や切ったものは炒め物などに使われているポピュラーな食材。 この近くを歩くと、いい匂いが漂ってきてどうしても食べたくなってしまいます。 お値段は大変リーズナブルで、少量注文もできるのでとても便利。 お得な盛り合わせセットもあるので、大人数の場合はその盛り合わせセットに、食べたいものを追加注文することをお勧めします。 是非、地元グルメも堪能してみてください。
老阿伯現滷豆干
有名店だけあり、メディア取材や芸能人もここにきていますね。 味は保証付きです。
老阿伯現滷豆干
煮込みは「豆干」だけではありません。 「押し豆腐」や「ゆで卵」などもあり、よく味がしみ込んでいます。 少し辛めの特製ソースをつけて食べるとまた違った味わいを楽しめますよ。
「台鉄桃園車站(駅)」は「桃園県」の交通の中心駅ではありますが、MRTは現在建設中なので、いろんなところに移動するのは、まだちょっと不便。 バスを利用して「桃園」の観光名所に行かれる場合は、「台鉄桃園車站(駅)」から徒歩約2分の「桃園客運桃園總站 」というバスステーションから出発するのが便利。 路線によっては本数が少ないので、事前にお時間を調べてからお出かけされることをお勧めします。