広島まちなか散策記
広島広島まちなか散策記
6月末、広島市にプロ野球交流戦「広島vs北海道日本ハム」を観戦に行きました。 ついでといっちゃ何ですが、市中心部も散策してきましたよ! 広島城に原爆ドーム、そしてMAZDAスタジアム! グルメは牡蠣に穴子、広島焼き、そして新顔の汁なし担々麺。 また、広島は日本三大杜氏“安芸杜氏”でも有名な酒どころ。 地酒を片手に生牡蠣や穴子の活造りに舌鼓を打てば、その旨さに思わず涙目…。 Perfumeの登場で話題を呼んだ公式ガイドブック「泣ける!広島県」そのままの旅です。
広島市のシンボルともいえる広島城は、天正17(1589)年、毛利輝元が築城を開始しました。 その前年に上洛して豊臣秀吉に謁見した輝元は、京の聚楽第や大坂城を目の当たりにして近代城郭の必要性を痛感。 中国地方一帯を治めることができる城と城下町建設のために選んだ城地こそ、祖父元就が重視した瀬戸内海際の湾頭。 「広島」と命名されたのは、この時だったとも伝わっています。 築城開始から2年後の天正19(1591)年、輝元は広島城へ入城。 ただ、完成していたのは本丸など主要部分だけで石垣や堀は未完成のまま。 その後も工事は進められ、ようやく慶長4(1599)に落成します。
広島城遠景
翌5(1600)年に関ヶ原の戦いで西軍は破れ、総大将の輝元は「周防・長門」の二国に追いやられる羽目に。 中国120万石から防長37万石へ、徳川家康の手で毛利家は一介の田舎大名に“格下げ”と相成りました。 取り潰しに遭っても不思議ではなかったのですが、名家好きだった家康の“お目こぼし”に与ったんでしょう。 その“情け”が300年後に仇となるわけで、歴史とは面白いものです。
御門橋と表御門
二の丸へ続く御門橋を渡り表御門へ。 平成元(1989)年、広島城築城400年を記念して二の丸の整備がスタート。 戦前から残された写真や図面、発掘調査を基に、江戸時代の姿を現代に蘇らせる計画でした。 平成4(1992)年に御門橋と表御門が先行して完成し、同6(1994)年には残る平櫓、多聞櫓、太鼓櫓も完成。 平櫓から西へ多聞櫓が続き、一番奥に太鼓櫓が立つという配置。 内部の見学は無料、土足厳禁です。
表御門と平櫓
毛利家に代わって新たな広島城の主となったのは豊臣恩顧大名の筆頭格、福島正則。 石田三成と対立し、関ケ原の戦いでは東軍に属して勝利に貢献。 家康は論功行賞で旧毛利領の安芸・備後両国を与えます。 正則は城郭の整備を進めるとともに、町割りを改造して商業を勃興させるなど、現在の広島市の原型をほぼ確立させました。 広島市にとって正則は結構な恩人じゃないかと思えるのですが、毛利家に比べると扱われ方が地味です。
多聞櫓と太鼓櫓
多聞櫓を奥まで進み太鼓櫓へ。 昔はここから時間を知らせていたそうです。 太鼓楼には太鼓が置かれ、誰でも自由に叩けます。 福島正則は元和4(1618)年の城普請を幕府から咎められ、お取り潰しと相成りました。 新城主の浅野長晟(ながあきら)は元和5(1619)年に入城。 正則が整備した諸制度を補強して藩の統治機構を完成させました。 浅野家は11代にわたって芸備42万石を支配し、明治維新を迎えます。
天守閣
二の丸を後にして本丸へ。 毛利輝元が建造した天守閣が明治維新後も破却されず残され、戦前には文化財として国宝に指定。 城郭には天守閣だけでなく数多くの建物が遺されていましたが、すべて原爆により悉く灰燼に。 現在の天守閣は昭和33(1958)年に再建された鉄筋鉄骨コンクリート製の復元天守閣。 往年の姿を彷彿とさせるべくコンクリの外壁は木材で覆われています。 内部は復元天守閣によくある郷土博物館です。
広島大本営跡
天守台には広島大本営の跡があります。 明治27(1894)年、ここに日清戦争を指揮する大本営が建造されました。 明治天皇以下、諸大臣から帝国議会議員まで東京から一斉に移転し、戦時中は広島が一時的な首都に。 日清戦争終結後に大本営は解散するも建物は残され、戦前は国の史跡に指定されていました。 無論、現在では礎石だけが往時の面影を今に伝えています。
今や“世界遺産”となった原爆ドーム。早朝から内外問わず大勢の観光客が訪れています。 原爆ドームが広島県物産陳列館として開館したのは大正4(1915)年4月のこと。 設計者ヤン・レツルは主に母国チェコと日本で活動し、彼の“作品”は両国にしか残されていません。 特に日本では聖心女子学院や上智大学、雙葉高等女学校など東京の名門クリスチャン学校の校舎をデザインしましたが、すべて関東大震災や東京大空襲で滅失。 戦後まで残っていた宮城県営松島パークホテルと宮島ホテルも火災で焼失しました。 レツルが日本国内で設計した建物のうち現在まで残っているのは皮肉にも広島県物産陳列館、つまり原爆ドームだけなのです。
取り壊されていたかも知れない世界遺産
原爆ドームは残されるべくして残された建物では決してありません。 高度経済成長期、原爆ドームは存続の是非が問われ続けていました。 被爆の悲惨な記憶を思い起こさせるという理由から取り壊すべしという意見も根強かったのです。 それに対して広島市の人々が下した決断は“保存”。 その後3度に及ぶ保存工事を経て今に至ります。
2015年は100周年&70周年
2015年は広島県物産陳列館が落成してから丁度100周年。 1945年の原爆投下から70周年とダブルで節目の年に当たります。 原爆ドームの役割は単に核兵器の恐ろしさを後世に伝えるだけに留まりません。 戦後日本が焦土の中から再出発した、まさに“原点”でもあるはず。 昨今の集団的自衛権行使や原発再稼働といった“愚行”と向き合う上でも、日本人は原爆ドームの存在意義を再認識してみるべきではないでしょうか?
最近、女性ファン“カープ女子”が大量増殖中の広島東洋カープ。 その本拠地「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム 広島」はユニークな形状をしています。 広島駅から続く道は球場の専用スロープへとつながり、そのままメインゲートを通ると幅広で段差のないコンコースが客席の外側をグルリと取り囲んでいます。 階段がなく車椅子でもスムーズにアクセスでき、なかなかバリアフリーを考慮した設計。 「スタジアム」とは「観客席を備えた大規模な競技場」の意味ですが、ここマツダ“スタジアム”は競技場というより、アメリカで野球場のことを指す「ボールパーク」という表現がピッタリです。
一塁側内野スタンド
新球場建設に当たって担当者は国内外の野球場を徹底的に調べ上げ、その結果を元に斬新な野球場を設計。 近年のメジャーリーグ界は本拠地球場に採算性を重視した多目的型ドームを避ける傾向にあります。 このトレンドに乗ってマツダスタジアムも屋根のない全面天然芝のオーソドックスな専用野球場になりました。
フィールドは全面天然芝
建設用地の都合上、左右非対称の設計にならざるを得ませんでしたが、それを逆手に取り国内では他に類を見ないユニーク形状になりました。
BBQだって楽しめる!
観客席は砂かぶり席や寝そべり席、パーティー席、テラス席、バーベキュー席などバラエティに富み、一人でも大人数でも用途に応じてチョイスできるのは秀逸。 野球を楽しむという目線から評価すれば、間違いなく日本一の“ボールパーク”ではないでしょうか?
隠れた広島名物「カープうどん」
前身の広島市民球場が開場した 1957年から営業している隠れた広島名物「カープうどん」。球場に来てこれを食べない人はモグリと呼ばれるとか呼ばれないとか?
広島といえばお好み焼き。 その発祥の店と云われているのがココ、みっちゃん総本店です。 人気店ですが開店直後に入ったせいか行列が出来ているわけでもなく、カウンターに余裕で着席できました。 そば入りスペシャルを注文すると店員が「鉄板?皿?」と尋ねてきます。 鉄板はコテで直接食べるスタイル、皿は乗っけられ運ばれるスタイル。 食べ慣れている人なら鉄板でいいのでしょうけど、不慣れな観光客の自分は皿で注文。 ビールをグビグビ飲みつつ、目の前で焼き上がる過程をジッと凝視。 目の前で幾つもの具材が焼かれ、重ねられ、一つの料理へと変貌していく一連の流れは広島お好み焼きならでは!
「皿」を選ぶとこんな感じです
焼きあがったお好み焼きが皿に盛られ、目の前に運ばれてきました。 確かに鉄板から直接コテで食べたほうが、アツアツを楽しめそう。 おたふくソースのコッテリ味が効いたお好み焼きを、冷たいビールで流し込む…まさに至福の組み合わせ。 バランスの取れた味わいは老舗ならでは。 広島お好み焼きの“基準”としては申し分ないかと思います。
広島はもとより中国地方最大の繁華街、流川。 呑み屋を探してブラブラしていた時、たまたま見つけたのがこの居酒屋。 満席で入店まで15分ほど待たされましたが、それだけ人気店という証でしょう。 飛び込みで入った割には待たされていないほうかも知れません。 店構えを見てピンと来た直感、まさに「当たり!」でした。 少々値は張ったものの、それ相応の価値は十分あったと思います。
穴子は生け簀から板前に直送!
カウンターにいたお客さんのほとんどが注文していたのが穴子の活造り。 刺身にされても穴子は頭をヒクヒクさせているほどの活きの良さ。 その身は白く、コリコリした味わいは淡白で、淡麗な純米酒「亀齢」と良く合います。
中骨は素揚げでせんべいに
穴子の残った中骨は素揚げしてもらい「せんべい」に。 今度は呉の地酒「雨後の月」と共に味わいます。 素揚げした穴子の香ばしさを、雨後の月のフルーティーな味わいがスーッと洗い流していきました。
焼牡蠣と日本酒のマリアージュ
牡蠣料理は焼牡蠣とカキフライの2品目。 うち焼牡蠣をチョイスします。 その香ばしく濃厚な風味が、これまた濃厚な純米酒「竹鶴」と絶妙なマリアージュを見せてくれます。
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