「あさが来た」のモデル広岡浅子の六本木邸宅と設計のヴォーリズを巡る。
東京「あさが来た」のモデル広岡浅子の六本木邸宅と設計のヴォーリズを巡る。
ザ・AZABUってタウン誌があるのですが、それに広岡浅子とヴォーリズの記事が載っていました。そこで、五代友厚を師と仰ぐ明治の女性実業家広岡浅子が晩年東京に構えた邸宅跡を中心に、その設計士である明治の大建築家ヴォーリズの東京での足跡を巡るややマニアックなプランを作ってみました。
「あさが来た」のモデルとされる広岡浅子(1849-1919)さんの東京、麻布材木町の邸宅があったのがこのハリウッドビューティプラザの場所です。この邸宅の設計はアメリカから伝導のために来日しついには日本に帰化までするウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)によります。
広岡浅子
なんと明治時代の女性実業家で教育者として日本女子大の設立にも尽力した今でもそうはいないスーパーウーマン。普通選挙も無い時代にこんな女性がいたとは。 17歳で豪商加島屋に嫁いで、経営危機から奮闘し炭坑経営や加島銀行、大同生命の創業に参画したというから凄い!
「あさが来た」白岡あさ
波瑠さんが演じる白岡あさ。
ハリウッドビューティプラザ
現在のハリウッドビューティプラザをヒルサイド側から見たところです。
駅側
六本木駅側からの入り口はこちらです。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
建築家でありながら、メンソレータムを日本に普及させた実業家(Wikipediaより)です。プロテスタントの宣教師でYMCA活動などにも従事してたそうです。 建築家としてはものすごい数の学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅などの建築を手がけています。現存する代表作で話題のものとしては大丸心斎橋店などもそうですし、山の上ホテルもそうですね。
同じくヴォーリーズの設計による港区の作品の1つがこの南部坂教会です。教会は寄付での立て替えが主なので、立て替えが行われにくく、このように名建築が残りやすいですね。
外観
こじんまりした外観が素敵です。
礼拝堂
白を基調とした素敵な作りです。
港区のインターナショナルスクールとしては歴史も古く知名度も高い西町インター。松方正熊氏の娘でライシャワー博士夫人の妹、松方種子女史が創立したインターナショナルスクールで、ヴォーリズが設計した大正時代の松方正熊男爵邸がそのまま使われています。こちらもヴォーリズ港区作品。
1933年にヴォーリズが設計した校舎を、デザインを踏襲したスタイルで改装したのが現在の校舎です。スパニッシュ・ミッションスタイルというそうなのですが雰囲気は残っています。写真は中等部・高等部の建物です。
本部、大学院
鳥居坂に近いこちらはエントランスの屋根が特徴的です。
1903年建築のミラー礼拝堂が震災などで危険となり代替のサンダム館も火災で焼失と不幸の重なりから1915年に建設された礼拝堂で、こちらは100年越えの素敵な礼拝堂で明治学院白金キャンパスのシンボルともいえます。
ヴォーリズも結婚
大正8年6月3日に、ヴォーリズ自身もここで一柳満喜子さんと結婚式を挙げています。卒業生の結婚には貸し出してくれますので、明治学院の同窓の方は検討されてみたら?
ベストビュー
ベストビューはこちらかな?
記念館
隣に建つ建築も気になります。でもこちらはヴォーリズではありません。
記念館解説
解説がありました。
インブリー館
明学の開校時に教鞭を執った宣教師の住居建物として建てられたインブリー館。長く住んだインブリーの名が付けられています。こちらもヴォーリズ建築ではありません。
インブリー館解説
解説がありました。
広岡浅子が設立に尽力し、その後事業を一人娘の亀子の婿の恵三に譲ったあとは、若い学生とともにここで学んだとも言われています。
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