
芦原橋と今宮には
大阪芦原橋と今宮には
まいどまいど! 西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の停車駅として知られておます芦原橋と今宮駅。 どちらも穴場の場所として知られておますが、この駅周辺にはどんな名所がおますねやろ?と興味を持っている地元・大阪人もぎょうさんいたはるのとちゃいますやろか。 場所は西九条・弁天町でもなく、新今宮でも天王寺駅でもない途中の穴場。 果たしてどんな名所がおますやろか。 早速、散歩してみまひょ。
大阪市浪速区にある道標。 道標には、「この道は、旧渡辺村と大阪市中をつなぐ唯一の道でした」と刻まれている。 1700年代、この地に存在した渡辺村は、大阪天満組に属し、皮革の流通を中心に商工業が発展してきた。 当時、大阪市内中心部と渡辺村を結ぶ道はこの道のみと言う。
太鼓屋又兵衛の屋敷跡。 江戸時代から「太鼓屋又兵衛」は太鼓の全国ブランドとして知られている。 1616年、「太鼓屋」の屋号は、大阪城の「時太鼓」を作った渡辺村の平八が、その功労のよって「太鼓屋」の屋号を許されたことに始まると伝えられている。 17世紀後半には、「太鼓屋又兵衛」の名が登場します。 渡辺村では古くから、太鼓や履物の生産、皮革の流通などがとても盛んだった。 「太鼓屋又兵衛」の名はこの地域の産業を象徴するものである。 また、この浪速玉姫公園は、桜、ケヤキなどの木が茂る緑豊かな公園です。 この公園には、段差がないので、老若男女問わず利用できる。
明治時代、錦絵に描かれた坐摩神社の夏祭りの様子が描かれた。 大太鼓や蒲団太鼓などがあり、難波神社の夏祭りでは、競って担いで、町の中を練り歩いたと言う。 1945年、大阪大空襲で焼失。 難波神社の夏祭りは、7月21から22日の2日間行われ、蒲団太鼓が使用される。 かつて、この地域では、渡辺村と呼ばれていた。 1500年代、大阪の城下町形成の過程の頃から移転を繰り返していた。 1700年代、この地に定着したと言う。 江戸時代、大阪天満組に属し、皮革の流通を中心に商工業が発展してきた。 明治時代、西濱へと名称を変更し、その後、浪速となった。 現在も和太鼓の伝統や技が受け継がれている。
2003年、地上3階建としてオープン。 営業時間は、6時から10時。13時から25時。 料金は、大人360円となっている。 施設内は、炭酸風呂や寝湯、泡風呂、電気風呂、露天風呂などがある。
大阪市浪速区の浪速東3公園内にある碑。 1922年、全国水平社が部落差別の撤廃を目指して、京都の岡崎公会堂で結成された。 大阪では、「西濱水平社」が結成された後に、全国水平社の本部が置かれ、部落解放の中心地となった。 1983年、西濱水平社は結成して60年を迎えた。
大阪市浪速区にある大阪人権博物館。 人権に関する博物館として知られる。 1985年に開館した。
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主に、飲食店が立ち並ぶ。
大阪市浪速区にある立葉町公園内にある像。 1950年頃、大阪市議会で議長を歴任した政治家。