大須探検隊がゆく! 大須遺跡編。
愛知大須探検隊がゆく! 大須遺跡編。
昭和40年代~50年代はヤバイほど激しく衰退したアーケード街でした。 かつて栄華を誇った大須映画館群はいつの間にか姿形無く全滅し、商店街を歩く人もまばらでした。 しかし現在ではそんな大須も商店街の皆様の努力によってすっかり復興し、 名古屋観光といえば「大須」と答えが帰ってくる程メジャー級に成長しました。 反面、昔からあった店は復活すること無く次々と閉店し、大半が新しい店に変わってゆきました。 今回はかつて存在した映画館等の遺跡を巡り、更に大昔から存続しているショップを歩いて巡ります。 情報の大半は全く役に立たないかと思います。いっそ「役にたたないトリビア」としていかがでしょうか。 ちなみに「遺跡」は、現在存在しないもの。「史跡」は大昔からあるものになります。
今、少なくとも名古屋市内の公園から「富士山」がどんどん撤去され、絶滅しつつあります。そんな絶滅危惧レッドブック的存在である「富士山」が大須の公園に存在します。いつまでこの状態が保存されるのか見守ってゆきたいものです。
いつまで残るでしょうか
公園横を通る度、山がまだ健在なのかつい覗き込んでしまいます。富士山はやっぱココロの故郷ですね。
現在はマンションになっています。実は一番思い入れが深いというか、通っていた映画館で、主に洋画を上映していました。当時、ロードショー封切りではなく、ロードショー終了後に引き続き上映するといういわゆる「2番館」。しかも必ず2本~3本立て上映というコスパが高い映画館でした。新天地通りの映画館群が消滅した後も随分長い間営業していましたが、いつの間にか消滅していました。
この辺り、写真で言うところの「マウスコンピュータ」辺りからアーケードずっと奥の「メガロ」辺り迄が全て映画館群でした。順番の記憶がいい加減で申し訳無いのですが、奥から手前に向かて「日活」「東宝」「東映」「大映」だった筈。大映はご存知「ゴジラ」シリーズを観てましたし、東映では夏休みの定番「まんがまつり」を観に来ていました。
ここらが真ん中で
ご存知かと思いますが、東京上野のアメ横とは全く関係ありません。こちらは元々電気街としてオープンしかなり流行りましたが最近では中に入るとちょい寂しい感じ。
この辺りが「日活」
中華料理香蘭園の手前までが映画館群で、ここに間違いなく「日活」がありました。
現在は「シャポー・ブラン」という店になっています。こちらの映画館は正直あまり馴染みがありません。というのも、廃館末期には「ポルノ系」映画の上映館になっていて、当時高校生だった自分は利用したことが無かった、筈です。ところでここ、少し以前は「ベルヘラルド」だった筈なんだけど、店名が変わったんだろうかね。
現在は跡地にマンションが建ち、通りに面した部分は古着屋になっています。ここもまた「太陽館」同様、廃館末期には「ピンク系」映画を上映していたため、当時高校生だった自分は立ち寄ることが出来ない映画館だった、筈です。ちなみにこの周囲も以前とは随分変わってしまい、昔の面影は殆ど残っていません。
跡地は現在はマンションになっていて、岩井通りに面した店舗は居酒屋になっています。その昔、ボウリング場に行く人は不良と呼ばれ、補導員による厳しい包囲網が敷かれていました。小学生だった当時、友人達とつるんでボウリング場に足を踏み入れる事は一種度胸試しのような風潮がありました。そのボウリング場ですが、この周囲で「ペプシ」が手に入る唯一の場所だったし、閉鎖末期にはクレー射撃があったりと、それなりに出入りしていたものでした。
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2014年に廃業したばかりなので、まだ建物が残っています。長い間ここで頑張っていたのですが、とうとう時代の波に乗れませんでした。今後この建物がどうなってしまうのかまだわかりません。
まだ現役だった頃
本当にすぐ最近まで営業していた感じがしてなりません。地元からすると、あまり宣伝活動してなかったような気がするんですよね。
現在はコインパーキングになっています。かつて大須から矢場町や松坂屋方面に抜けるのに必ずこの道を利用していました。この辺りのキャバレーとしては大きめな箱だったと記憶しています。当時キャバレーとは何か知る由も無いので残念ながら全く興味がありませんでした。写真の一枚でも撮っておけばよかったですね。
伊藤みどり選手をはじめ、浅田真央選手、村上佳菜子選手など一流選手を輩出してきた名物スケートリンクです。今もあるか確認してませんが、実際に使用していたサイン入りのスケート靴等が展示されていました。ちなみに現在のスケートリンクは建てなおされた施設で、かつては上にマンションなどありませんでした。当時のリンクは観客席へ自由に出入り出来たため、夏休み等の暑い日はここに来て涼んでいたり、ゲームセンター目当てでしょっちゅう遊びに来ていました。
本当かどうか確かめた事がありませんが、日本国内において唯一の信号機だそうです。交差点中央に設置され、車両用の信号と歩行者用の信号が合体されています。確かに他で見たことがありません。実際の話、車両はほぼ問題ありませんが、歩行者用の信号が実に見難いのです。その為普及しなかったと、これは勝手な想像です。
店舗の正式名称「全快堂」です。へび屋さんなんて失礼しました。でもね、大昔からずーっとこの場所で営業していて、今では乾燥品しか扱ってませんが、以前はへびが動いてた記憶があるんですよね。子供心に不気味でなかなか近寄れない店でした。
コレがあだ名の由来
現在ウィンドウから見えるのは乾燥ものだけですが、かつてはココに生きたへびが居たと思うんですけどね。
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大昔からオモチャを購入するのはこの店でした。昔から地元に愛された店ですが、最近では何処でもオモチャが手に入る時代なのでどうかなと思ったら、キッチリ営業してました。店の上の看板って以前からこんなだったかしらん。
だるまやのすぐ近くにあるもう一つのオモチャ屋さん。昔から雰囲気というか、だるまやと比較するとイマイチマイナーな雰囲気があるんですね。しかし今だに共存してるのはマジに凄いと思います。ちなみに向こう隣のせんべい屋は昔は文具店でしたね。よく購入しました。
かつての第一アメ横は「電気街」というより「電子街」という一面もあり、このようなパーツセンターは電気屋の主力商品のひとつであったはず。ところが時代でしょうか、これらパーツセンターが次々に閉鎖され、今でも残っているのが第二アメ横1階の一部なんですね。この空間に足を踏み入れるととても懐かしい空気を感じられます。
記憶している中で、大須観音エリアにおいて古着の店が開店したごく初期の店。看板に「1988」とあることからその年のオープンだったのかも。例の「へび屋」さんの南側にオープンした古着店と同時期くらいではないかと思います。この店舗が出来てから雨後の筍のように店舗が増え、いつの間にかこの辺りは古着屋の店が多いエリアになり、若者を含む客が増えたきっかけではなかったかと記憶しています。
今回の内容は知ってる方が少ない情報でしたので、ここはやはり大メジャーの大須観音を出さざるを得ません。言うまでもなく名古屋において観音様といえば大須ですね。地下鉄は「大須観音駅」がありますが、お時間があれば「上前津」から歩いたほうが参道っぽくて面白いです。
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