書店・本屋?金沢文庫のナゾ
神奈川書店・本屋?金沢文庫のナゾ
まいどまいど! 芸能界で活躍する小田和正さんの出身地として知られる神奈川県横浜市の金沢区。 金沢区の玄関口の一つである金沢文庫駅を一歩出れば、昔ながらの雰囲気漂う商店街。 金沢文庫駅から一駅の場所にある金沢八景は江戸時代、景色が美しいことから観光名所として発展。 かつては料亭や旅館が立ち並んでいたとか。 そんな金沢八景は明治憲法ゆかりの地として知られ、「憲法草創の碑」。 さらに瀬戸神社や琵琶島神社ではぎょうさんの伝説が残ってまんねん。 古代、現在の泥亀町から釜利谷東にかけての一帯は入り江で、狭い水路によって平潟湾に繋がっていたといい、水路は罪穢を流し去る神聖な場所として海神が祀られたんやて。 周辺は「瀬戸神社旧境内地内遺跡」とも。 発掘調査では縄文海進期の波蝕台や縄文土器、古墳時代の土師器や貝塚、室町時代から江戸時代にかけての貝塚や陶磁器、遺構などが発掘。 瀬戸神社の境内社である琵琶島神社が鎮座する琵琶島はかつて、琵琶の形をしていたといい、横浜市の横浜市登録地域文化財「地域史跡」に登録。 北条政子や源頼朝らと縁も。
横浜最古のアーケード商店街としても知られ、商店街には飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 また化粧品・コスメを販売している小田薬局は日本のニューミュージックシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、元オフコースのリーダーでボーカリストの小田和正さんの実家であるとか。
金沢文庫
そもそも「金沢文庫」という地名の由来は学問好きであった武将・北条実時が鎌倉時代、私設図書館「金沢文庫」を金沢郷の居館に建設したことから。
化粧品・コスメを販売している薬局。 日本のニューミュージックシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、元オフコースのリーダーでボーカリストの小田和正さんの実家であるとか。 小田和正さんは幼少時代、横須賀中央のバイオリン教室に通っていたとか。 関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、聖光学院に進学。 高校3年生の時に学園祭「聖光祭」にて小田、鈴木、地主道夫、須藤尊史の4人で演奏を披露。 オフコースとしてレコード・デビュー後も小田と鈴木は母校を訪れ、聖光祭にて演奏を披露していたとか。
神奈川県金沢区の平潟湾に浮かぶ琵琶島。 かつて琵琶の形をしていたといい、横浜市の横浜市登録地域文化財「地域史跡」に登録。 当地には北条政子によって近江(滋賀県)琵琶湖竹生島の都久夫須麻神社から弁財天を勧請した琵琶島神社(琵琶島弁財天)が鎮座。 陸から伸びた参道と小橋で結ばれている。 また、源頼朝によって三嶋大社から大山祇神を勧請した瀬戸神社の境内社。 平潟湾の風景は「平潟落雁」として金沢八景の一つであった。
神奈川県神社庁の献幣使参向神社。 別名、瀬戸三島明神。 祭神は大山祇神、須佐之男命、菅原道真公、徳川家康公など11柱。 古代、現在の泥亀町から釜利谷東にかけての一帯は入り江で、狭い水路によって平潟湾に繋がっていた。 水路は罪穢を流し去る神聖な場所として海神が祀られた。 周辺は「瀬戸神社旧境内地内遺跡」とも。 発掘調査では縄文海進期の波蝕台や縄文土器、古墳時代の土師器や貝塚、室町時代から江戸時代にかけての貝塚や陶磁器、遺構などが発掘。 1180年、源頼朝は伊豆で挙兵、加護をもらった伊豆三島明神をこの地に勧請し、社殿を建立。 室町時代、鎌倉公方が瀬戸神社を参拝する慣例も。
琵琶島神社
付近の琵琶島神社は境内社である。
江戸時代、金沢八景は観光名所として発展。 瀬戸橋付近には「東屋」をはじめとする料亭や旅館が立ち並んでいた。 1887年、伊藤博文、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎は東屋で明治憲法の草案づくりをした。 ある日、草案原稿の入った鞄の盗難事件が発生後、夏島にある伊藤博文の別荘で草案づくりは続けられた。 以後、金子堅太郎により東屋の庭に「憲法草創の碑」が建立するも東屋の廃業により、現在地に移転。