受付担当は、となりのトトロ
東京受付担当は、となりのトトロ
まいどまいど! 国民的人気アニメ「となりのトトロ」や「天空の城ラピュタ」などの名作で知られるスタジオジブリが運営する三鷹の森ジブリ美術館が東京都の三鷹市におまっせ。 そもそも三鷹の森ジブリ美術館は当時の宮崎駿監督が発案したといい、随所にディズニー作品のトイ・ストーリー、ファインディング・ニモ、フォー・ザ・バーズのキャラクターが隠れてまんねん。 その他にも受付には「となりのトトロ」に登場するトトロがいたり、屋上にも「天空の城ラピュタ」に登場するロボット兵とも記念撮影ができまっせ(美術館内の一部に記念撮影禁止有)。 また、三鷹の森ジブリ美術館のまわりにある井の頭恩賜公園は緑豊かな公園として知られ、古くから市民憩いの場、かつては徳川家光も訪れたといい、人気観光地の一つともなってはりまんな。 さらに日本の童謡として有名な「ちいさい秋みつけた」のメロディーが生まれた場所でもあり、皆さんもぜひ「ちいさい」何かを見つけてみまへんか。 その他、三鷹市は文豪の太宰治、三木露風、山本有三、森鷗外、近藤勇らにもゆかりがおまして、かつての時代を体験してみてはいかがでっしゃろか。
井の頭恩賜公園の西園内にある三鷹市立のアニメーション美術館。 正式名称は三鷹市立アニメーション美術館。 2001年、スタジオジブリの宮崎駿が発案し、ジブリ関連の作品を展示、公開する施設として開館。 建物も宮崎駿による断面スケッチを元にデザイン。 館内には、ディズニー作品のトイ・ストーリー、ファインディング・ニモ、フォー・ザ・バーズのキャラクターが隠れている。
ロボット兵(『天空の城ラピュタ』
その他、「となりのトトロ」のネコバスルーム、屋上のロボット兵(『天空の城ラピュタ』)、ラピュタ中枢部の石、トトロのニセ受付、カフェ「麦わらぼうし」、売店「マンマユート」など。
井の頭池を中心とした東京都立公園。 1917年、開園。 武蔵野市では三宝寺池(石神井公園)、善福寺池と並ぶ武蔵野三大湧水池の一つ。 日本さくら名所100選に選定。 井の頭池の南東端からは池を源とする神田川が流出。 また井の頭自然文化園、三鷹の森ジブリ美術館などが位置している。 園内の御殿山遺跡からは縄文時代の竪穴式住居遺跡、旧石器時代の石器や、敷石住居も出土。 井の頭という名称の由来は徳川家光によって神田上水水源が「井之頭」と命名。 自ら小刀で弁財天の傍らのこぶしの木にその名を刻んだとも。 御殿山は、家光が鷹狩りに訪れ、井の頭池を見渡す場所に御殿を造営したことに由来。
三鷹という地名も
三鷹という地名は歴代の徳川将軍が鷹狩りに訪れて楽しんだ場所であったとか。 江戸時代、神田川が改修されて神田上水が引かれ、井の頭池が水がめとなった。 当時の商人や歌舞伎役者が寄進した石灯籠、宇賀神像などが残る。 鳥居も存在したが明治時代、神仏分離令の際に撤去され、鳥居の柱石は後に井の頭池と神田上水の間の水門に転用。
弁財天へも
弁財天への参道は現在も史跡として整備され、「黒門」と呼ばれる鳥居も。 1889年、宮内省(宮内庁)御用林。 1913年、帝室御料地から東京市に下賜。 1917年、恩賜公園として一般公開。 水泳場、児童用徒渉池(丸池)、ボート場を開設。 従来の水泳場を廃し、25m水泳場、徒渉池(子供プール)を新設、小動物園が開園、中之島淡水魚生園(水生物館)を新設。
平安時代、六孫王経基が最澄(伝教大師)作の弁財天女像を安置のため、当地に建立。 弁財天の縁起には源平合戦の頃、源頼朝が東国平定を祈願し、その大願成就の後に改築。 鎌倉時代、元弘の乱の際、新田義貞と北条泰家との対戦の兵火で弁財天が焼失。 江戸幕府三代将軍徳川家光により弁財天が再建。 大盛寺は天台宗の寺院で山号は明静山。 院号は円光院。 本尊は薬師如来。 都立井の頭恩賜公園内・井の頭池にある井の頭弁財天の別当寺(本坊)でもある。 創建時期など詳細は不明。 井の頭弁財天堂は、源経基が創建。 源頼朝が再建、別当となる坊舎を建設。 本尊の弁財天像は789年、僧で最澄の作。
我こそ弁天の化身だ
「我こそ弁天の化身だ」と申して池に入水し白蛇になった松原の3枚鱗が首にある娘を偲んで供養のために作られた宇賀神像、狛犬、石橋、石燈篭など。
井の頭公園は江戸時代、徳川家光が鷹狩りに訪れるなど人気行楽地の一つであった。 井の頭恩賜公園を代表する井の頭池は十数万年前には存在したと考えられ、遺跡には旧石器時代の槍の先やナイフなどが発見。 縄文時代になると井の頭池周辺で住居が増え、村を形成したとも。 当時の石で作られたペンダントや文様の入った耳飾りも。
日本の童謡「ちいさい秋みつけた」の作詞はサトウハチロー、作曲は中田喜直。 1955年、日本放送協会の番組「秋の祭典」の楽曲の一つとして作曲。 当初、番組限定曲であったが、ボニージャックスの歌唱でレコーディングされ、LP「サトウハチロー童謡集」収録。 「第4回日本レコード大賞」で童謡賞を受賞。 サトウハチローは東京都文京区弥生に居住、庭にははぜの木を植え、紅葉する情景を見て作詞。 2013年、三鷹市にゆかりのある中田喜直の生誕90周年を記念して歌碑が建立。 中田喜直は「夏の思い出」「雪の降るまちを」等も作曲、「ちいさい秋みつけた」のメロディーは井の頭恩賜公園を散策していた時に思い浮かんだとか。
東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の停車駅の一つ。 1929年、鉄道省の三鷹信号場として開設。 三鷹電車区の前身にあたる中野電車庫三鷹派出所が開設、三鷹電車庫として独立。 1930年、三鷹駅が開設。 1949年、日本国有鉄道が発足。 1987年、国鉄分割民営化に伴いJR東日本となる。 2010年、開業80周年記念イベントが開催、発車メロディを「めだかの学校」に変更。 発車メロディ「めだかの学校」は三鷹市出身で作曲家の中田喜直の代表作をアレンジ。 駅前ロータリーには彫刻家・北村西望の作「武蔵野市世界連邦平和像」が設置。 バス停には宮崎駿監督の代表作「となりのトトロ」のキャラクター「トトロ」が。
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三鷹市やその周辺の観光案内や情報発信を中心に行っている。 三鷹市は武者小路実篤、三木露風、山本有三、太宰治など多くの文豪が暮らした「文士の街」として知られ、市内各地にゆかりの地が点在する。 この他、森鷗外、近藤勇ゆかりの禅林寺も。 また、武蔵野市にまたがる井の頭恩賜公園、調布市と小金井市にまたがる野川公園。 2001年、井の頭恩賜公園内には三鷹の森ジブリ美術館が開館。
玉川上水はかつて、江戸市中へ水を供給した上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つ。 1653年、多摩の羽村から四谷までを建設。 多摩川の羽村取水堰から取水、武蔵野台地を東流、四谷大木戸「水番所」(水番屋)を経て市中へと分配。 すべて露天掘りで水番所以下は木樋や石樋を用いた地下水道。 1722年、新田開発によって野火止用水や千川上水など多くの分水(用水路)が開削されて武蔵野の農地へも水を供給。
玉川上水
井の頭の水を利用する為に鈴木・秦(久我山)の両豪族によって井の頭池から高井戸の区間が掘削、更に高井戸から北沢用水として上北沢方面へ分水。 江戸幕府により江戸の飲料水不足を解消するため多摩川からの上水開削が計画。 工事の総奉行には老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(忠克)、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負った。
日本の小説家・太宰治のゆかりの地。 太宰治の代表作「走れメロス」「津軽」「人間失格」など。 太宰治は1909年、青森県北津軽郡(五所川原市)生まれ。 父・源右衛門は貴族院議員(多額納税)。 1925年、級友との同人雑誌などに小説・戯曲・エッセイを発表。 1927年、弘前高等学校(新制弘前大学の前身の一つ)に入学。 1930年、東京帝国大学仏学科入学。 1936年、単行本「晩年」(砂子屋書房)刊行。 1939年、杉並区の井伏鱒二宅にて挙式。 山梨県甲府市に移住し、東京府北多摩郡三鷹村下連雀に転居。 1947年、東京都の三鷹市内には小料理屋「千草」があり、2階を仕事場としたとか。
2008年、小説家として活躍した太宰治に関する直筆原稿の複製や書籍、雑誌などの資料を保存、公開することを目的に開設。 2008年は太宰治没後60年にあたり、翌年の生誕100年を記念した。 太宰治はかつて東京都三鷹市にて居住して執筆活動を行っていたといい、太宰が通った伊勢元酒店の跡地にあたる。 また、「十二月八日」にも取り上げられた。
乞食学生は小説家として知られる太宰治の作品の一つ。 四月なかば、ひるごろの事である。 頭を挙げてみると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。・・・ と刻まれている。 1949年、太宰治は近くの玉川上水で自らその39年の生涯を終えた。 太宰を偲び、故郷である青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を石碑とした。
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三鷹市と隣接する武蔵野市を流れている玉川上水の南側歩道「風の散歩道」。 風の散歩道は三鷹駅から井の頭公園の間に位置する。 玉川上水は1653年に整備された。 散歩道沿いには山本有三記念館や太宰治の玉鹿石、作品の一説が刻まれた説明板が設置。
昭和時代、当地で居住していた作家の山本有三の生涯や作品を展示、紹介している公立博物館。 1936年、山本有三は当地で家族とともに1946年まで居住。 建物は1926年に竣工した洋館で三鷹市有形文化財に指定。 1919年、吉祥寺駅が開設され、駅周辺は南井之頭田園住宅として開発、関東大震災以降、東京郊外への住宅移転が盛んになり、その一角で商社役員や大学教員を務めた実業家・清田龍之助の住宅として建設。 1931年、住宅は競売にかけられ、山本有三は1936年、武蔵野村(武蔵野市)吉祥寺から当地に転居。 戦時中、空襲による被害を免れたが、進駐軍に接収されたため山本一家は転居。
三鷹市山本有三記念館
1951年、進駐軍の接収解除後、国立国語研究所三鷹分室が置かれた。 1956年、山本が敷地と建物を東京都に寄贈後、東京都立教育研究所三鷹分室「有三青少年文庫」として使用。 1996年、三鷹市山本有三記念館となった。
小笠原商店が製造販売するクラフトビール。 2016年、小笠原商店が設立。 岩手県から上京し、ビアバーを開業。 いつかはブルワリーを立ち上げたいと一念発起。 コンセプトは「クラフトビールを初めて飲む方・飲み始めの方が驚き、ビール好きになるビールを造る」。