あれ?こんなところに新幹線0系!?ヴィッセル神戸のまち
兵庫あれ?こんなところに新幹線0系!?ヴィッセル神戸のまち
まいどまいど! 神戸市に本拠地を置くサッカーチーム・ヴィッセル神戸。 ここではホームスタジアムとしてぎょうさんの試合が開催され、地域を盛り上げてはります。 場所は和田岬にあり、企業や工場が集中する界隈におます。 せやさかい、付近には鉄道車両の工場がおまして、鉄道ファン必見の場所ともなってまんねん。 ここでは日本全国の車両が製造され、東海道新幹線・山陽新幹線で活躍した0系や特急列車など、かつて活躍した鉄道車両が常時展示。 工場内では製造途中でおます最新型の車両の姿も。 そのほか、平清盛ゆかりの地としても知られ、周辺には平清盛ゆかりの場所がぎょうさんおまして、足跡を巡ることもできまんねん。 その他、和田岬には勝海舟の設計により建造され、徳川幕府の時代にも存在したという砲台の一つが現存し、見学することもできまんねん(但し、一般企業敷地内のため、要予約)。 周辺には昔ながらの飲食店も点在し、観光にもおすすめでっせ。
1906年、創業。 鉄道車両の製造部門があり、蒸気機関車を製造。 工場構内は、市道が貫通しているため、営業運転前の鉄道車両を見学することもできる。
兵庫区には、兵庫運河・兵庫運河支線・新川運河・苅藻島運河・新湊川運河があり、兵庫運河はその総称。 明治時代、神戸の貿易の拠点が兵庫港から神戸港へ移管。 神戸の商人神田兵右衛門、八尾善四郎が中心となって、運河を完成させた。 この工事により和田岬を避けて須磨・駒ヶ林方面と兵庫港との間を航行することが可能となった。 苅藻島(神戸市長田区)は、この工事で排出された土砂により大阪湾を埋め立てて造成された。
多くの鳥が一列に
寒い冬、日向ぼっこが目的なのか、鳥は一列に並び、羽を休めていた。
清盛くん
兵庫県は平清盛ゆかりの地。 平清盛の像は地域のシンボルとなっている。
駄菓子屋。 店内には昔ながらの駄菓子を販売している一方、100円で味わえるクレープも。 味はチョコやキャラメル、あんこ、バナナ、エッグなど。
ツナ
写真はツナ。
御崎公園球技場(ノエビアスタジアム)。 1970年、旧神戸競輪場跡地に神戸市立中央球技場として開場。 国内初の夜間照明を備えた本格的な球技専用の競技場。 日本サッカーリーグ時代は主にヤンマーディーゼルサッカー部、松下電器産業サッカー部の試合を中心に開催。 Jリーグ発足後、Jリーグカップでガンバ大阪が主催試合を行った。 2001年、W杯規格のスタジアムとしてオープン。 また、ヴィッセルがホームスタジアムと使用している。
祭神は天御中主大神、市杵嶋姫大神、蛭子大神。 別名、和田宮。 昔、蛭子大神が淡路島から船で本州に到着したところを「蛭子の森」とした。 蛭子の森は、西南約800mの場所に位置し、元々、神社が鎮座していた。 1173年、平清盛が市杵嶋姫大神(厳島神社の大神)を勧請。 また平清盛が兵庫津(大輪田泊)に大土木工事を起し経島を築き、6ヶ所勧請し、兵庫七弁天と称す。 1607年、日本から脱出して帰国した俘虜から日本の事情を聞いた朝鮮政府は、俘虜の送還問題もあったので、修好に応じた。 和平が成立し、通信使を日本へ派遣。
和田の明神
1658年、天御中主大神の坐す神輿が流れ着き、種々の神異をあらわし、それを知った尼崎城主が天御中主大神を主神にして社殿を造営。 和田の明神と呼んだ。1728年、石鳥居が大阪の菱垣廻船問屋より奉納。 1764年、朝鮮通信使が海上安全祈願。 1778年、与謝蕪村が隣松院にて俳諧の会を開く。 1863年、14代将軍徳川家茂が勝海舟と共に老中以下の幕僚を従えて和田岬に上陸、隣松院で昼食会を開催。
現在地に
1864年、和田岬砲臺が竣工、出納には神田兵右衛門が当った。 1889年、福沢諭吉が参拝。 1902年、三菱重工業の造船所の建設のため現在地に遷座。 1977年、三浦清太郎の碑を建立、兵庫県内の漁業関係者が奉納。
コロッケ、とんかつ、ハンバーグ、カツカレー、チキンカツカレーを販売する洋食専門のレストラン。 チキンカツ定食ではご飯と味噌汁。 テイクアウトも可能。
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和田岬の先端部分に設置された砲台跡「和田岬砲台」。 現在、一般企業の敷地内に位置している。 別名、臼砲台、石堡塔。 1863年、設計は勝海舟により着工。 1864年、完成。 当時、徳川幕府は神戸の川崎、舞子、和田岬、西宮の香櫨園、今津、淡路島の松帆に同型の砲台を建設。 現在、現存するのは和田岬と香櫨園(西宮砲台)のみ。