昔話・おとぎ話の金太郎に会いに行こう!
兵庫昔話・おとぎ話の金太郎に会いに行こう!
まいどまいど! 昔話・おとぎ話の主人公として知られる金太郎。 実は兵庫県川西市にゆかりがある人物として知られ、満願寺には金太郎が眠るお墓があるという。 早速、満願寺に行ってみまひょ。 広い境内に自然豊かな環境が印象的でおます。 京都府福知山市にも足を運んだというその雄姿は境内の絵馬にも描かれ、今でも絵馬には金太郎が描かれておます。 また、川西市は炭酸でおなじみの三ツ矢サイダー発祥の地として知られ、市内に鎮座する多田神社では三ツ矢サイダーの歴史を紹介。 自動販売機も設置され、三ツ矢サイダーの歴史、味に触れる。 その他、源氏とも深い縁があり、川西市内にある駅前には源満仲の像が設置。 記念撮影を楽しむこともできまっせ。 その他、自然豊かな環境に恵まれた山間の場所に登場した一庫ダム。 ダムによって形成されたという湖も景勝地として知られ、遠方からぎょうさんの観光客が訪れる人気の場所であるとか。 また、マラソンも開催され、ゆったりじっくりと自然に触れあうこともできまんねん。 そしてしばらく山奥に車を走らせると知明湖キャンプ場が見えてくる。 自然環境に恵まれた場所で楽しむキャンプも贅沢。
兵庫県川西市で活躍するキャラクター。 川西市は、源氏発祥の地として知られ、平安時代に活躍した武将坂田金時(幼名・金太郎)がモチーフ。 年齢は、3歳。 性別は、男の子。 正確は、陽気で明るい。 趣味は、猪名川で魚釣りや自然の中をお散歩。 好物は、イチジクや桃。
ファッション・雑貨・レストランなど約50店舗が立ち並ぶ商業施設。 また、施設内にある「わくわく広場」では旬の食材や地元で製造された食品、全国から取り寄せた食料品なども販売。
阪急電鉄宝塚本線、能勢電鉄妙見線の停車駅の一つ。 1910年、箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)が宝塚まで開通。 1913年、能勢電気軌道(能勢電鉄の前身)が開業、能勢口駅として開業。 1917年、池田駅前駅まで路線を延伸。 1965年、市名を駅名に入れてほしいと川西市が要望、能勢電気軌道の駅を川西駅に改称。 京阪神急行能勢口駅・能勢電気軌道川西駅を川西能勢口駅と改称。 1975年、阪急日生ニュータウンが販売開始。 1978年、能勢電鉄日生線が開通、能勢電鉄沿線での住宅開発が進展。
きんたくんのテーマソング
1981年、当駅から川西国鉄前駅までの区間は駅前再開発工事に伴って廃止。 2010年、能勢電鉄ホームの発車メロディを川西市のキャラクター「きんたくんのテーマソング」に変更。
JR西日本福知山線(宝塚線)の川西池田駅前にある像。 清和源氏、六孫王経基の嫡男。 多田源氏の祖。 別名、多田満仲。 平安時代、都で武官貴族として活動した武将。 960年、平将門の子が入京したとの噂が広まり、検非違使や大蔵春実らと共に捜索。 武蔵権守の任期を終えたが、邸宅が強盗の倉橋弘重に襲撃され、捕獲。 965年、左馬助在任時、多公高・播磨貞理らと共に村上天皇の鷹飼に任命。 藤原千晴と共に伊勢国に固関使に任命、辞退。 969年、安和の変で、源連らによる皇太子・守平親王(円融天皇)廃太子の謀反があると密告。 左大臣・源高明が失脚し、満仲の三弟・満季が対立する有力武士・藤原千晴の一族を追捕。
正五位下
満仲は密告の恩賞により正五位下に昇進。 藤原摂関家に仕え、摂津国・越後国・越前国・伊予国・陸奥国などの受領を歴任。 左馬権頭・治部大輔を経て鎮守府将軍に至る。 973年、武装集団によって自宅が放火・襲撃、周辺の家屋約300軒にも延焼。
多田新発意
住吉大社に参籠時、神託により多田盆地に入部、所領として開拓、武士団を形成。 坂上党の棟梁坂上頼次を摂津介に任命、山本荘司に要請して西政所、南政所、東政所を統括。 986年、花山天皇退位事件で花山天皇を宮中から連れ出した藤原道兼を警護。 満仲と藤原兼家は一条天皇の摂政に就任。 多田の邸宅において郎党16人及び女房30余人と共に出家して満慶と称し、多田新発意と呼ばれた。
宗派は高野山真言宗。 満願寺町は川西市の飛地で、周囲は宝塚市に属する。 奈良時代、聖武天皇の勅願によって勝道上人が日本全国に満願寺を創建。 当寺は摂津国満願寺。 山号で山の名である神秀山の由来は、スサノオノミコトが高天原から出雲国に追放の際、最初に地上に降り立った山であったことから。 平安時代、多田院を創建した源満仲が帰依し、以来、源氏一門の祈願所として発展、多田三山の一院となった。 鎌倉時代、後醍醐天皇によって勅願寺となった。
境内
室町時代、源氏一門・足利将軍家の祈願所となり、四十九の坊院が存在。 江戸時代以降、衰退して明治時代には本坊円覚院のみとなった。 山門にある仁王像は多田院が神仏分離によって多田神社になった際、当寺に移された多田院南大門の仁王像。
金太郎伝説
金太郎の幼名は、坂田金時。 現在、昔話、童話の題名「金太郎」としても親しまれている。 一説によると静岡県駿東郡小山町の金時神社にも伝説が残る。 956年、金太郎は彫物師十兵衛の娘・八重桐と、京で宮中に仕えていた坂田蔵人との間に生まれた。 京から故郷に戻った八重桐は生み育て、金太郎は足柄山で熊と相撲をとって親孝行。 976年、足柄峠で源頼光と出会い、その力量を認められて家来となった。
金太郎伝説
名前は、坂田金時に改名し、京で渡辺綱、卜部季武、碓井貞光とともに頼光四天王の一人となった。 990年、丹波国の大江山(京都府福知山市)に住む酒呑童子が京で悪事を繰り返し、源頼光と四天王らは大江山に出向き、神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って酒呑童子を退治。 1012年、坂田金時は九州の賊を征伐するため筑紫(福岡県)へ向かう途中に病死。 境内には墓が残る。 絵馬は熊と金太郎が描かれている。
六孫王神社(京都府京都市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)と並ぶ「源氏三神社」の一つ。 かつて、天台宗・真言律宗の寺院の多田院であった。 祭神は、源満仲、曾孫・源義家ら五公。 源満仲は六孫王源経基の長男で安和の変を契機に中央政界における武門としての地位を築き、諸国の受領を歴任。 摂津守を務め、郎党と共に摂津国多田に入部し原初的武士団を養成。 晩年は出家して多田院を創建。 源頼光は満仲の長男で藤原摂関家に仕え、諸国の受領を歴任。 酒呑童子や土蜘蛛の退治伝説で知られ、摂津国の地盤を継承した摂津源氏の祖。
河内源氏の祖
源頼信は満仲の三男で藤原摂関家に仕え、諸国の受領や鎮守府将軍を歴任。 平忠常の乱を平定、源氏の東国進出を支えた。 河内守を務め、同国に地盤を築いた河内源氏の祖。
多田院鳴動
鎌倉時代、西大寺の忍性が造営奉行に任じられ再興、宗旨は天台宗から真言律宗に改宗。 室町時代、清和源氏の将軍足利尊氏の崇敬を受けた。 二代将軍足利義詮によって尊氏の分骨が多田院に納められ、歴代足利将軍の遺骨が分骨。 満仲の廟所は大事件の前触れとして廟が震える「多田院鳴動」があった。 戦国時代、織田信澄の軍勢によって焼失、荒廃。 江戸時代、四代将軍徳川家綱によって再建、歴代徳川将軍の位牌が納められた。
天下第一武勇之士
源頼義は頼信の長男で諸国の受領や鎮守府将軍を歴任、前九年の役を平定、東国で名を刻む。 源義家は頼義の長男で通称、八幡太郎。 諸国の受領や鎮守府将軍を歴任、東国における武門の棟梁的存在として後三年の役を平定。 天下第一武勇之士と称された。 970年、清和源氏発祥地で、居館を構えた清和源氏の祖摂津守源満仲によって子源賢を開山とする天台宗寺院・多田院鷹尾山法華三昧堂(通称、多田院)を建立。
清和源氏発祥地
多田院を中心とする多田荘の開発に取り組んだ。 本尊の丈六釈迦如来像は満仲、文殊菩薩像は頼光、普賢菩薩像は頼親、四天王像は頼信がそれぞれ願主となって作られた。 997年、満仲の没後、多田院に葬られ、廟所と満仲像を祀る御影堂が建立。 以後、多田源氏の没落、戦乱、災害等により衰微。
源氏まつり
五代将軍徳川綱吉によって「贈正一位多田大権現」の神号が満仲に送られた。 明治時代、政府による神仏分離令により神社に移行。 南大門にあった金剛力士像が付近の満願寺へ、鐘楼は奈良県奈良市の西大寺へ移築。 毎年4月、源満仲や源頼光、源頼信、源義家から源実朝までの歴代の源氏の武将の武者行列「源氏まつり」が行われ、巴御前や静御前らは公募によって女性が扮する。 清和源氏の武士がほぼ全員登場。
三ツ矢サイダー
アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」専用の自動販売機が設置。 兵庫県川辺郡多田村字平野(兵庫県川西市平野・多田銀山)で平野鉱泉が発見。 摂津三湯の一つで炭酸泉の湯治場「平野の湯」があったが、江戸時代に衰退。 明治時代、イギリス人理学者ウィリアム・ガランによって再発見工場を建設。 1884年、三菱財閥の三菱商会が炭酸水「平野水」を販売。
三ツ矢平野水
明治屋が採取権を得て、源満仲伝説から「一本矢礦泉」に改名後、「三ツ矢平野水」に改名。 三ツ矢平野礦泉が製造・販売、帝国礦泉株式会社(三ツ矢平野礦泉合資会社)が設立。 1921年、三ツ矢シャンペンサイダーに改名。 加富登麦酒が帝国礦泉株式会社と日本製壜を吸収合併、日本麦酒鑛泉株式会社を設立後、大日本麦酒株式会社と併合。
三ツ矢サイダー
太平洋戦争ではサイダーを軍需品として製造、工場を軍需工場として貸出、1946年まで製造中止。 1946年、製造再開、1968年に「三ツ矢サイダー」に改名。 大日本麦酒株式会社はGHQの過度経済力集中排除法により、アサヒビールと日本麦酒株式会社に分割され、三ツ矢サイダーはアサヒビールが継承。 1971年、透明炭酸飲料で業界初の缶入りを発売。 1954年、源泉の自噴量が減少、発祥地の平野工場は閉鎖
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兵庫県川西市内を流れる一級河川の淀川水系一庫大路次川に建設された一庫ダム。 管理は独立行政法人水資源機構。 高さ約75mの重力式コンクリートダムで、目的は一庫大路次川及び合流先の猪名川・神崎川沿岸の治水で川西市、尼崎市、豊中市、池田市、伊丹市を含む猪名川沿岸各自治体への上水道供給。
川西一庫ダム周遊マラソン大会
周辺は猪名川渓谷県立自然公園に指定され、兵庫県立一庫公園・国崎せせらぎ広場・知明湖キャンプ場等のアウトドアスポットが整備、近畿自然歩道のハイキングコースとなった。 毎年11月には「川西一庫ダム周遊マラソン大会」が開催。 知明山は「奇妙山」が訛って呼ばれ、銀・銅を産出する鉱山があった。
知明湖
ダム湖百選選定。 1938年、物部長穂「河水統制計画」提唱、全国7河川1湖沼において河水統制事業が展開。 1941年、猪名川河水統制事業の根幹施設として猪名川ダム計画があったが太平洋戦争により中止。 1953年、台風により多大なる被害を受けた。 1954年、淀川水系改修基本計画、1962年、水資源開発促進法の開発指定水系に指定、大規模な河川総合開発の開始。 湖「知明湖」は付近の知明山に由来。
一庫ダム知明湖の湖畔に整備された川西市立のキャンプ場。 敷地内には常設展と、炊事棟やシャワー室、トイレなどが完備。