
北国廻船で栄えた富山港を散策
富山北国廻船で栄えた富山港を散策
まいどまいど! ほたるいか、白エビのかき揚げ、鰤大根、深海魚の幻魚(げんげ)などに代表されるように「海鮮料理が美味しい」と人気を集める富山湾。 江戸時代には日本海海運の北前船によって商品の売買で栄え、富山港やその周辺が発展。 東岩瀬町にある展望台からは周辺を一望することができまんねん。 また、展望台周辺には江戸時代の雰囲気を今に伝える回船問屋森家があり、ぎょうさんのメディアに取り上げられるなど、観光地として注目を集めてはりまんな。 その他、銘酒「満寿泉」「岩泉」で知られる酒蔵・桝田酒造があり、周辺には酒麹などの匂いが漂うことも。 特にお土産としての人気もおまして、周辺の酒店では実際に販売されておます。 そもそも、蝦夷地(北海道)・旭川で創業したといい、北海道とは深い縁を持ってはります。 さらに付近に鎮座する諏訪神社の例祭「曳山祭」は有名で毎年5月17日と18日、14基の曳山車が岩瀬町内を練り歩き、夜には激しくぶつかりあう「けんか山車」は迫力があるとか。 今と昔の時間が重なり合う富山県富山市の北部・東岩瀬。 富山県のターミナル富山駅から路面電車に乗ってお出かけしまひょ!
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1986年、展望台として竣工。 高さは20m。 晴れた日には、立山連峰や富山湾などを一望できる。 展望台は灯篭と似た形をしており、琴平神社(金刀比羅社)にある「常夜燈」をモデルにしているとか。 「常夜燈」は江戸時代、燈台の役目を果たしていた。
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清酒蔵元直送銘柄 満寿泉・勝駒・菊姫・天狗舞・黒龍・八海山・だるま正宗・南部美人・澤屋まつもとなど。 日本酒、ワイン、焼酎などが店頭に並ぶ。
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遊具が設置された公園。 公園の一角には江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北前船のモニュメントが設置。
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北前船
買積みの北国廻船。 商品を預かって運送するのではなく、航行する船主が商品を購入・売買して利益を上げる。 当初、近江商人が行っていたが貿易を行うようになる。 上りでは対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海の大坂に向かう航路(下りはこの逆)及び、この航路を行きかう。 西廻り航路(西廻海運)の通称で、航路は蝦夷地(北海道・樺太)に延長。 江戸時代、鉄道が敷設され、衰退。
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江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北前船の廻船問屋。 行きも帰りも荷を載せて「倍倍」に儲かることから、地元では北前船のことをバイ船と呼ぶとか。 往復で儲かるので「のこぎり商売」ともいわれ、財をなした。 東岩瀬港では江戸時代から明治時代にかけて最盛期を迎えた。 1878年、建築。 屋久杉の板戸、能登産黒松のはり、土間には小豆島産の巨大な1枚岩など、全国各地の材料を使ったつくりとなっている。
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江戸時代、富山湾に面した岩瀬地区は日本海を行き来する北前船の寄港地として発展。 現在でも旧海鮮問屋や酒蔵、老舗料亭が軒を連ねている。 1900年、岩瀬支店は岩瀬銀行本店として営業を開始。
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銘酒「満寿泉」「岩泉」で知られる酒蔵。 江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北前船の廻船問屋。 行きも帰りも荷を載せて「倍倍」に儲かることから、地元では北前船のことをバイ船と呼んでいた。 初代兵三郎は当時、岩瀬の五大家と言われた廻船問屋から妻を迎え、長男亀次郎らと共に北前船に乗船。 北海道の旭川で酒造業を創業。 明治時代、銘酒「都松」を酒造するも現在地に移転。
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江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北前船の廻船問屋。 行きも帰りも荷を載せて「倍倍」に儲かることから、地元では北前船のことをバイ船と呼んでいた。 当地は加賀藩の領地の一部で御蔵があり、北前船で米や木材などを大阪などに運んでいた。 明治時代、大火があり焼失。 多くは岩瀬地区独自の家屋様式「東岩瀬回船問屋型」として再建。 また、東岩瀬村は町建ての宿駅があり、駅馬が配備され御蔵を中心に維持された。 江戸時代、東岩瀬村は前田候参勤のための御旅屋が置かれた。
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山崎覚太郎先生の像
漆芸家。 1899年、富山県富山市出身。 1924年、東京美術学校漆工科卒。 1925年、パリ万国博覧会で金賞受賞。 1928年、東京美術学校助教授、東京芸術大学教授を歴任。 文展審査員、日展審査員、日展運営会参事、常任理事、日本芸術院会員、日展常務理事など。 1954年、日本芸術院賞受賞、帝展特選受賞。 1961年、現代工芸美術家協会を設立。 勲二等瑞宝章受章、勲二等旭日重光章受章。
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富山地方鉄道富山港線の停車駅の一つ。 1924年、富岩鉄道の越中岩瀬駅として開業。 1936年、西ノ宮信号場が開業し、1939年に日満工場前駅として開業。 1941年、富山電気鉄道への路線譲渡により同社富岩線の駅となる。 1943年、富山地方鉄道への改称により同社富岩線の駅となる。 富山地方鉄道富岩線の国有化により鉄道省(国鉄)富山港線の駅となる。 1950年、東岩瀬駅に改称。 1987年、国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。 2006年、富山ライトレールの駅として再開業。 2020年、富山ライトレールが富山地方鉄道に吸収合併され、当駅は富山地方鉄道の駅となる。
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1659年、西岩瀬の鎮守である諏訪神社の分霊を勧請し創建。 1660年、度重なる神通川の氾濫により河口に面する港などが浸水。 川の流れが東に移動し、当地に新たな港が造られ、住民も移住。 1827年、岩瀬荻浦町(カネヤの宮)に遷座、諏訪町に遷座。 1942年、富山市街地と岩瀬を結ぶ富岩運河が開削、現在地に遷座。 創建当初、北前船の船主や廻船問屋らの信仰を集め、絵馬や玉垣などが奉納。
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曳山祭あんどん山車
1659年、例祭「曳山祭」は社殿を造営する際、材木を運ぶ為に用意した運搬車が曳き山の起源に。 1792年の岩瀬大火の復興を祝い、1796年に「あんどん山車」が町内を練り歩いた。 毎年5月17日と18日、14基の曳山車が岩瀬町内を練り歩き、夜には激しくぶつかりあう「けんか山車」とも。
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