京都大原の三千院と鞍馬寺
京都京都大原の三千院と鞍馬寺
まいどまいど! 京都の人気観光地といえば、日本三大稲荷の一つに数えられている伏見稲荷大社や清水寺、金閣寺、銀閣寺、祇園などが挙げられるかと思いますが、都心部から少し離れた場所に位置する三千院や鞍馬寺も外せまへんな。 鞍馬寺は鞍馬山に位置し、市内中心部から走るケーブルカーが便利。 年中通じて、ぎょうさんの参拝客が訪れはります。 また、付近に鎮座する貴船神社は絵馬発祥の地として知られ、ご利益があるとも。 なかでも、「大吉」や「小吉」、「凶」でおなじみの「おみくじ」でんけど、「大凶」が出る場合もあるので要注意。 「吉」が出ればよろしいねんけど、大凶と出て、がっかり凹みすぎへんように気張っていきまひょ(笑) ほんでさらに三千院も鞍馬寺から少し離れた場所に位置しますねやけど、雪の降り積もった中で参拝してみるのも風情があってよろしおました。 是非、皆さんも機会がありましたら寄ってみてください。
貴船神社の総本社。 地域名は貴船「きぶね」。 貴船神社では、水の神様・高龗神をお祀りしていることから、「きふね」と読むとか。 古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されていたが、後に、木の板に描いた馬「絵馬」を奉納されたことにより、絵馬発祥の地ともいわれている。 また、縁結びの神としての信仰を集める一方、縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。 おみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、複数の白紙の中から一枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。 当社のおみくじには「大凶」が存在という。
通称、靫明神。 祭神は、大己貴命、少彦名命。 祭神はかつて宮中に祀られていたが、大地震・天慶の乱が勃発し、朱雀天皇の勅により、当地に遷宮、北方鎮護を仰せつかった。 例祭「鞍馬の火祭」は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるもの。 社名の「靫明神」は、天皇の病や国難時に神前に靫を献じて平穏を祈ったことによる。 洛中の五条天神社は、国難時、責任を取って「流罪に処す」として国の役人が神社の扉に靫を架けて閉じるということが行われていた。
鞍馬山の南斜面に位置する。 鞍馬は牛若丸(源義経)が修行した地として知られ、能の「鞍馬天狗」も有名である。 また、鞍馬寺へと結ぶケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)は、宗教法人としては唯一の鉄道事業である。 770年、鑑真の高弟・鑑禎が草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まり。
鞍馬寺が運営する鞍馬山鋼索鉄道鉄道の最寄駅。 宗教法人が運営する日本で唯一のケーブルカーであり、日本一短い鉄道である。
天台宗の寺院。 三千院門跡とも称する。 山号は、魚山。 本尊は、薬師如来。 開基は、最澄。 700年代、比叡山に建立された円融房が起源。 比叡山東麓の坂本に移され、現在地に移った。
境内
四季折々の美しい景色を楽しみながら楽しむことができる。
境内
四季折々の美しい景色を楽しみながら楽しむことができる。
境内
四季折々の美しい景色を楽しみながら楽しむことができる。
境内
四季折々の美しい景色を楽しみながら楽しむことができる。
有清園は池泉回遊式庭園。 中国の六朝時代を代表する詩人・謝霊運の「山水清音有」より命名。 春には山桜と石楠花、夏には新緑、秋には紅葉、そして冬には雪景色を楽しむことができる。
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平安時代、「往生要集」の著者で天台浄土教の恵心僧都源信が父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立。 阿弥陀三尊像が安置。 天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が描かれている。
約3mの観音像が祀られている。 小観音堂には小観音像が安置。
重要文化財収蔵施設。 円融蔵には、三千院開創以来の記録や典籍文書を所蔵。 展示室には現存最古と言われる往生極楽院の「舟底天井」、藤原時代の人々が現世に往生極楽を願い、浄土思想に基づいて描かれた天井画が再現されて展示。
大原など地元周辺で獲れた新鮮な農作物を中心に販売する直売店。 店内では、農作物の生産者の顔写真や場所が掲示されている。
天台宗の寺院。 山号は清香山。 寺号は玉泉寺。 本尊は地蔵菩薩。 聖徳太子によって開基。 平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後、隠棲した場所として知られ、「平家物語」ゆかりの寺として知られている。
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天台宗の寺院。 山号は魚山。 本尊は阿弥陀如来。 別称、問答寺。 835年、円仁によって開基。 1013年、寂源によって中興。 古くから天台声明の道場であったとか。 1186年、顕真と法然との宗論(大原問答)が行われた。
法然上人腰かけ石
勝林院付近には、法然上人が腰かけたとされる石が残っている。
鉈捨藪跡
1186年、大原寺勝林院で法然上人の大原問答の折に、弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、鉈を隠し持っていたが、上人に諭されて鉈を藪に投げ捨てたと伝えられている。