神戸のロダンをご存知でっか!?
兵庫神戸のロダンをご存知でっか!?
まいどまいど! さて皆さん、ロダンの狸っちゅう伝説を知ってはりまっか? 地元・神戸市民の皆さんもそない知りはれへん思いますけど、ここにはロダンに関する像があちこちに建立されてまんねん。 場所は、神戸の繁華街の中心地でおます三宮駅や元町駅、神戸駅から少し東に位置する春日野道駅周辺でんねん。 ここでは阪急電車神戸線と阪神電車本線が東西に走り抜け、各駅停車の停車駅ともなってまんねん。 かつてはここに芝居小屋があったといい、客席からは「え?なんでタヌキが!?」と注目を集めた場所。 元々、狸は淡路島の出身であるといい、芝居が好きで日々、芸に励んでいたとか。 そんなある日、神戸に出て、舞台・大安亭を見て、衝撃を受ける。 今ではその舞台もあれへんねんけど、そんな伝説が今でも語り継がれ、石碑も建立されてまんねん。 今でも昔ながらの雰囲気が漂う商店街があり、下町らしさが残っている場所。 ロダンの狸や五郎太の木の伝説と出会い、ショッピングを楽しんでみてはいかがでっしゃろか。
1975年、市場として発足。 現在、飲食店や総菜屋、雑貨店、病院など約100店舗が営業。 元々、小屋「浪花節」が営業。 明治時代、小屋には次第に人が集まるようになって人気となり、商店街が形成。 明治時代、旧生田川の付け替え工事が完了し、東には新大安亭市場が発足し、当初の大安亭市場は消滅。 昭和時代、新大安亭市場が大安亭市場に改称。 また、小屋「浪花節」では芝居が行われ、一生懸命に芝居をする狸がいると評判となって人気を集め、中国の故事「魯之男子」に因んで「ロダン」と呼ばれるようになった。 意味は「物事を真似るので無く、精神を学ぶ」という意味。
民話による町おこしも活発に行われ、当広場に設置されている「ロダンの狸」に登場する狸の像が建立。 明治時代、淡路島の熊取山に芝居が好きな狸が住んでいた。 狸は仲間を集めては芝居の稽古を行い、村で芝居を披露しては楽しんでいた。 ある日、芝居を終えて帰ろうとしたが、疲れていて草むらで寝入ってしまう。 狸は行き交う旅人の話で目が覚めた。 噂によると神戸の小屋「大安亭」で活躍する役者の中村久米三郎が評判となっているといい、気になって会いに出かける。 狸は中村久米三郎と出会い、「芝居で勝負がしたい」と申し出た。 狸は芝居のため、舞台に立つと観客が「狸?」とざわついた。
一座で修行
狸は観客の反応が想像と違っていたことで焦ってしまい、頭の中が真っ白になったため、自慢の八畳敷きも縮み上がってしまう。 がっかりしながら舞台の袖に隠れ、淡路島に帰ろうとすると、久米三郎が呼びとめ、「落ち込むことはない、私と一緒に芝居に励んでみないか?」と誘われ、四国、中国、九州、北海道を巡業するなど、一座で修行に励んだ。
「魯之男子」に因んで「ロダン」
ある日、大安亭に戻り、久米三郎は「狸が座長となって芝居を披露してみては」と提案。 狸は了承して舞台に立つと、狸と観客に笑われたが、芝居が終わるころには大喝采となった。 大安亭の人達は、狸を中国の故事「魯之男子」に因んで「ロダン」と呼び、人気を呼んだ。
阪急電鉄神戸線の春日野道駅と阪神電気鉄道の春日野道駅との間に位置。 現在、飲食店や総菜屋、雑貨店、病院などが営業。 かつてこの付近を東西方向に通った道路を西国街道と呼び、その街道の中間地点にあたる。 701年、西国街道は大宝律令によって山陽道と呼び、京の都と九州の太宰府とを結ぶ主要幹線として整備。 西国街道では大名行列などに利用された「本街道」と、庶民の生活道路として利用された「浜街道」がある。 また、春日野道商店街付近にはかつて阪神電気鉄道の春日野道駅があったとされ、神戸市電も付近を走行していた。 現在、飲食店や総菜屋、雑貨店、病院などが営業。
西国街道
かつてこの付近を東西方向に通った道路を西国街道と呼び、その街道の中間地点にあたる。 701年、西国街道は大宝律令によって山陽道と呼び、京の都と九州の太宰府とを結ぶ主要幹線として整備。 西国街道では大名行列などに利用された「本街道」と、庶民の生活道路として利用された「浜街道」がある。 また、春日野道商店街付近にはかつて阪神電気鉄道の春日野道駅があったとされ、神戸市電も付近を走行していたとか。
昔々、筒井村には親思いの五郎太という男が住んでいた。 五郎太の母はとても元気で何でも仕事をこなし、人の役に立てることが嬉しかったとか。 庭には木「五郎太の木」が植えられ、その木を触ると家族が仲良く暮らせるという噂が広まり、訪れる人も。 ある日、台風による被害を受けて木は折れたが、その木の種を五郎太の子孫が広場に植えた。
かつてこの付近を東西方向に通った道路を西国街道と呼んだ。 701年、西国街道は大宝律令によって山陽道と呼び、京の都と九州の太宰府とを結ぶ主要幹線として整備。 江戸時代、西国街道と呼ばれた。 西国街道では大名行列などに利用された「本街道」と、庶民の生活道路として利用された「浜街道」がある。 1923年頃、旭通1丁目、2丁目にかけて阪神電気鉄道の生田川駅があり、神戸市電が、北本町、南本町付近で合流。 また、民話による町おこしも活発に行われ、当広場に設置されている「ロダンの狸」に登場する狸の像が建立。
六甲山系の摩耶山北側を源流とし、兵庫県神戸市内を流れて大阪湾へと注ぐ二級水系の本流。 かつては神戸市中央区「フラワーロード」付近を流れ、広域集落の「八部郡」と「菟原郡」、後の「葺合区」と「生田区」の境界ともなっていた。 当時、水害が発生すると、その被害は広範囲に及んだ。 神戸港の開港に伴って外国人居留地が整備され、加納宗七らによって生田川の付け替え工事を行い、1871年に完成。 旧生田川の河川敷は加納宗七に払い下げられ、地名「加納町」の由来とも。 現在、生田川の河川敷には生田川公園が整備、憩いの場として親しまれ、桜の名所ともなっている。
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