霧島で坂本龍馬とお龍の日本最初の新婚旅行を体験しましょう!
鹿児島霧島で坂本龍馬とお龍の日本最初の新婚旅行を体験しましょう!
霧島温泉は日本最初の新婚旅行が行われた地と言われています。しかも、その新婚旅行に行った人物はあの坂本龍馬と妻お龍というから驚きです。 寺田屋で左手に怪我を負ったその治療を兼ね、かつ、龍馬の命をその機転からすくったお龍を連れての道中は龍馬の一生でも一番楽しい時間だったかもしれません(この直後長州で戦争をするのですが、笑)。 今でもそれなりにハードな登山も入っていますが、当時を思いながら是非体験してみてください。
龍馬の新婚旅行は、慶応2年(1866年)3月10日、薩船『三邦丸』で鹿児島に入港。帰りは、同年6月2日桜島丸で出港という間の約3ヶ月間のことです。その後は長崎でお龍を降ろし、長州に向かい幕府と長州の戦争に参加します。 この到着出発の地である鹿児島市の天保山には『坂本龍馬新婚の旅碑』が建てられています。
到着
龍馬は錦江湾でみた桜島を、桜が咲いているようなところだと思っていたら噴煙を吐いていてとてもおもしろがったといいます。また、薩摩には「島津」「桜島」「霧島」と島がたくさんあるとダジャレをいったとか。
帰路
「夫より六月四日より桜島と言、蒸気船ニて長州へ使を頼まれ、出航ス。 此時妻ハ長崎へ月琴の稽古ニ行たいとて同船したり。 夫より長崎のしるべの所に頼ミて、私ハ長州ニ行けバはからず別紙の通り軍をたのまれ、一戦争するに、 うんよく打勝、身もつつがなかりし。」 と新婚旅行後のことを書いています。
薩摩にやってきた龍馬が霧島地域のいわゆるハネムーンロードをゆくのに上陸した場所です。
上陸の地
坂本龍馬上陸の地なんてサインがあります。
ハネムーンロード
坂本龍馬のハネムーンロードと呼ばれる霧島コースの案内があります。
龍馬とお龍を渡した天降川の渡しの碑がある日当山温泉です。鹿児島でも最も歴史のある温泉で、西郷隆盛も良く来ていたとか。龍馬とお龍は、行き帰り両方の行程でこちらに滞在しています。
西郷どんの宿
西郷隆盛が泊まったという宿が復元されています。
坂本龍馬がお龍を連れて日本最初の新婚旅行に訪れたといわれているのが霧島です。寺田屋事件で手に怪我を負った治療を兼ねていたのでいわゆる湯治なのですが、その際、もっとも逗留した場所が塩浸温泉といわれています。「龍馬公園」と呼ばれているところが実際にその場所で、「坂本龍馬・お龍新婚湯治碑」として龍馬とお龍の銅像があります。
塩浸温泉
浴槽は二つの源泉が引かれており「鶴の湯」と「塩浸温泉」で両方楽しめます。ちなみに龍馬が入ったのは、鶴の湯の湯だそうです。 泉質は「炭酸水素塩泉」。適応症にも、きりきずがあり、龍馬もここで寺田屋の傷を癒したわけです。
龍馬が入った湯
本当に龍馬が入ったとされる湯が河原にあります。鶴の湯の源泉が引かれているそうですが、今は法律上の制限で入れないそうです。
龍馬資料館「この世の外」
龍馬が姉乙女に送った新婚旅行報告の手紙に「げに、この世の外かと思われるほどのめずらしきところなり」という一節があり、そこから「この世の外」という名前をつけたようです。
足湯
無料の「龍馬とお龍の縁結びの足湯」があります。
犬飼の滝に訪れた龍馬は、姉乙女への手紙で「此所ハもお大隅の国ニて和気清麻呂がいおりおむすびし所、蔭見の滝の布ハ五十間(約100m)も落て、中程にハ少しもさわりなし。実此世の外かとおもわれ候ほどのめずらしき所ナリ。」と絶賛しています。 また付近の谷川についても「此所に十日計も止まりあそび、谷川の流にて魚をつり、短筒を持ち手鳥をうちなど、まことにおもしろかりし」と書いています。 実際には100mなんて全然ないのですが、それでも結構迫力ある滝です。 このあたりに10日もいたと言うから昔の人の旅行はゆとりがあります。
隠見の滝
龍馬は「蔭見の滝」と呼んでますが、一般的には「イヌカイ」を「インケン」と聞き違え「蔭見」の字をあてたなどと言われています。しかし、この滝が裏からみることができることから「裏見」の意味で「蔭見」と言ったという説もあります。
鹿児島出身の哀川翔さんが愛する茅葺き屋根の温泉宿だそうです。ここは泊まりたい。龍馬のルートにありますが、龍馬はもちろんここには泊まってません。
温泉
ひなびてますねぇ。
全10室
全10室しかないそうです。
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和気神社は犬飼滝の近くにある神社で、和気清麻呂公を祭神としてます。坂本龍馬が訪れたときには、まだ神社はなく、島津斉彬公が植えた松があっただけだったそうです。龍馬も「和気清麻呂がいおりおむすびし所」と触れています。
龍馬とお龍の絵馬
龍馬のお龍の絵馬が印象的です。
小松帯刀の日記によると、栄之尾(えのお)温泉に滞在する小松を龍馬が塩浸より見舞にきた記述があります。その際、龍馬が宿泊したのが硫黄谷温泉の霧島館(現霧島ホテル)だと伝えられています。また高千穂登山、霧島神宮に参詣した翌日にも宿泊しています。
霧島ホテル
龍馬が宿泊した硫黄谷温泉の霧島館は現在の霧島ホテルになっています。かなり現代化されプールかと思うような温泉施設が売りになっています。
龍馬の石碑
霧島ホテル敷地には龍馬滞在の石碑が建てられています。
龍馬の資料
霧島ホテル館内ロビーにも龍馬とお龍の行程を知ることができる資料が展示されています。
この霧島いわさきホテルの緑渓湯苑は、1866年には当地で長期療養中の小松帯刀を吉井友実の案内で坂本龍馬・お龍夫妻が訪ねたという「栄乃尾温泉」のことだそうです。 また、2010年9月19日に放映されたNHK大河ドラマ『龍馬伝』 第38話「霧島の誓い」の冒頭、龍馬が霧島の温泉で傷を癒すシーン、高千穂峰に登るという龍馬とおりょうのやり取りのシーンの舞台は、 この霧島いわさきホテルの露天風呂『緑渓湯苑』で撮影されたそうで、今は「龍馬の湯」の案内もあります。
小松帯刀
薩摩藩の家老で、寺田屋事件で傷を負った龍馬に薩摩での治療をすすめた人です。
龍馬の湯
NHK大河ドラマ『龍馬伝』 第38話「霧島の誓い」の冒頭、龍馬が霧島の温泉で傷を癒すシーン、高千穂峰に登るという龍馬とおりょうのやり取りのシーンの舞台は、 この霧島いわさきホテルの露天風呂『緑渓湯苑』で撮影されたそうで、今は「龍馬の湯」の案内もあります。
龍馬とお龍が引っこ抜いたと伝えられる天の逆鉾がある高千穂峰です。龍馬は、新婚旅行のクライマックスでここへの登山を行いました。姉乙女への手紙の中では、頂上に「天のさかほこ」を描いた高千穂山のスケッチに朱線で登山道を入れ、道中の様子を細かく注記するなどしています。 手紙本文では「此所より又山上ニのぼり、あまのさかほこを見んとて、妻と両人ずれニてはるばるのぼりしニ、立花氏の西遊記ほどニハなけれども、どふも道ひどく、女の足ニハなけれども、ども、とふとふ馬のせこへまでよじのぼり、此所にひとやすみして、又はるばるとのぼり、ついにいただきにのぼり、かの天のさかほこを見たり。」と書いています。
乙女への手紙
龍馬の手紙では最も有名なものですが、龍馬はこの高千穂峰への旅行を姉乙女への手紙の中で図解で送っています。頂上に「天のさかほこ」を描いた高千穂山のスケッチに朱線で登山道を入れ、道中の様子を細かく注記するなど非常に楽しかった様が伝わる手紙になっています。
霧島神宮古宮跡
現在の場所へ霧島神宮が移転する前の場所で、噴火などで何度も焼失を繰り返していたものです。まずはこちらで道中の安全を祈願しましょう。
最初の山道
はじめは比較的歩きやすい細い山道が続きます。
赤い石が続く斜面
龍馬も手紙で「イ-ロ 此間ハ山坂焼石斗 男子でものぼりかねるほど きじ(急)なること たとえなし やけ土さらさら すこしなき そうになる」といっています。この辺り?
馬の背越え
手紙では「ロ~ハ 此間彼ノ馬のせごへなり なるほど左右目のよバぬほど下がかすんでおる あまりあぶなく手おひき行く」と書かれている場所です。
お鉢
馬の背越えの先に火口があります。
天の逆鉾
天の逆鉾には、天狗の面がついています。 龍馬も「其形ハ是ハたしかに 天狗の面ナリ、両方共ニ其顔が つくり付てある。からかね也。 まむきに見た所也。やれやれと こしおたたいて、はるバルのぼりしニ、かよふなるおもいもよらぬ 天狗の面があり、大ニ二人りが笑たり。」と述べ、苦労した登山の先にこんな面白い天狗かと拍子抜けした様子を伝えています。龍馬は逆鉾を引っこ抜いたと伝えていますが、今は触れません。
下りの霧島つつじ
龍馬は「此所に来れバ実ニ高山なれバ目のとどくだけハ見へ渡り、おもしろかりけれども何分四月でハまださむく、風ハ吹ものから、そろそろとくだりしなり。なる程きり島つつじが一面にはへて実つくり立し如くきれいなり。」と帰り道で見渡す霧島つつじの美しさを書いています。
建国神話の瓊々杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、最初は高千穂峰と火常峰の間にある背門丘に建てられたらしいのですが、霧島山の噴火による焼失と再建を繰り返し、約500年前に現在の場所に移ったそうです。なので龍馬が来た時はこの場所です。 龍馬は霧島山へ登ったあと、こちらに来たようです。
樹齢千年の御神木
龍馬もこの樹齢千年の大杉を見て感動したと伝えられているそうです。 乙女への手紙でも「霧島山より下り きり島の社にまいりしが 是は実大きなる杉の木があり、宮もものふり極とふとかりし」と書いています。
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