
八甲田山雪中行軍ゆかりの場所を訪ねて
青森八甲田山雪中行軍ゆかりの場所を訪ねて
たくさんのすばらしい映画に出演された高倉健さんが逝去され、その中でもかなり強烈なインパクトのある映画『八甲田山』を見てから一度は訪れてみたい場所、でした。映画と実際の遭難事件はかなり違う部分もありますが、210名中、199名が亡くなられたというのは事実です。 生存者のほとんどが四肢切断、除隊を余儀なくされ、五体満足で生還した倉石大尉は日露戦争で戦死、伊藤中尉・長谷川特務曹長は日露戦争で重傷を負いながらもその後帰国しました。 今回ここには記載しておりませんが、田茂木野には遺体安置所跡地(簡単な案内板のみあり)などがあります。
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明治35年1月の日露戦争前の日本、八甲田連邦で起きた史上最悪の遭難事故です。210名中199名が死亡しました。新田次郎さんの『八甲田山死の彷徨』が有名ではないでしょうか? 画像の人物は後藤伍長、雪に埋もれていく自分の体を銃で支えながら立ち続け、捜索に来た救難隊に遭難したことを知らせた兵士です。 後藤伍長の目線は対ロシアをにらみつけているということです。
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銅像茶屋
雪中行軍記念碑(後藤伍長の像)近くにあります。 左側の入口に向かうと『鹿鳴庵』、雪中行軍を研究した小笠原孤酒さんが個人で収集した資料が展示されています。
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雪中行軍遭難の地
第一露営地など、このように看板だけあるところが点在しています。 本当に山の中を広範囲で彷徨したんだな・・・と思ってしまいます。
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幸畑陸軍墓地の隣りにあるので迷うことはありません。 雪中行軍に興味を持った方はここに訪れると当時の時代背景や当時の兵士たちの服装を試着することが可能です。
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幸畑陸軍墓地
雪中行軍の兵士たちが眠るお墓です。陸軍墓地であることから、雪中行軍成功を願ってお参りしてから出発しています。 その翌年、自分たちがここに記されるとは夢にも思わなかったはず。 現在でも陸上自衛隊の雪中行軍が行われているのは有名です。必ずこの場所が撮影されます。 墓標には遺体発見日あるいは救出時に生きていたけれどほどなくして亡くなられた場合は死亡年月日が記載されています。
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遭難凍死者英霊堂
幸畑陸軍墓地を正面から見て左奥、小さなお堂があります。 中に入るとひとつひとつが木彫りでできた兵士たちが陳列されています。 狛犬はハッコウとベンケイ、雪中行軍兵士の捜索に携わったアイヌ犬の子供だそうです。
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遭難した5連隊が在籍していた庁舎です。当時は現在の青森高校付近にあったそうですが、現在の場所に移転されました。 大きさは少し縮小され、雪よけ部分など一部変わりましたがましたが、ほぼ明治時代のものといっても過言ではありません。中の階段の手すりなど、明治時代特有の重厚感があります。 自衛隊駐屯地内なので、見学希望の際は事前に広報室へ予約することをお勧めします。
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神成大尉の画像
雪中行軍の指揮をとった人物です。たたき上げの優秀な士官だったそうです。
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雪中行軍史料のほかにも日清・日露戦争の史料が豊富です。
画像は神成大尉が雪中行軍時に身に着けていたサーベルや、上記画像の実物の勲章が展示されています。 映画『八甲田山』フアンならかなり感動します。
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