東京の吉田松陰スポットをグルメとともに
東京東京の吉田松陰スポットをグルメとともに
2015年の大河ドラマは吉田松陰が題材です。「先生」と語られることも多い吉田松陰の生涯、実はあまりにクレイジーです。 詳しくはこちら(http://bakumatsu.org/blog/2012/05/syoin.html)にまとめられていますが、東京にも縁ある場所が沢山あります。 そんな場所を近くの美味しいものやさんとともにまとめてみました。 一日で回るのはちょっと辛そうですが、是非色々訪れてみて下さい。
吉田松陰を奉った神社、松陰神社は東京と萩の両方にあります。東京の松陰神社は松蔭の死後墓を毛利ゆかりの地に移して作ったことをきっかけに建てられたもので、墓地由来の神社です。 萩の神社は殉節から31年後の明治23年、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われ、そのとき松陰の実家、杉家の手で松陰を祀る土蔵造りのほこらが建立されたのが神社のはじまりのようです。 実際にご遺体のある東京の松陰神社が大分先だったのですね。 いずれも学問の神様とされています。
吉田松陰の墓
吉田松陰は、安政の大獄に連座して江戸伝馬町の獄中で刑死しました。その4年後の門下生であった高杉晋作、伊藤博文らが世田谷若林の現松陰神社の地に改葬したそうです。一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主の別邸のあったところだったそうです。
木戸孝允寄進の鳥居
松陰の墓の入口に建てられている鳥居は墓所の修復の際木戸孝允によって奉納されたもの。「大政一新之歳、木戸大江孝允」と刻まれています。
徳川家奉納の水盤と石燈籠
禁門の変の後、長州征伐の際、幕府によって破壊された松陰の墓を明治元年、木戸孝允等が修復したという経緯があるそうです。その墓所前の葵紋のついた石燈籠と水盤は修復を聞いた徳川が謝罪の意を込め奉納そたそうです。葵紋があるそうですが、現在は風化により紋は判別しにくくなっているようです。
石燈籠
境内には毛利元昭公を始め、門下の伊藤博文、山縣有朋等が奉献した32基の石燈籠があります。
松下村塾レプリカ
境内には松下村塾のレプリカがあります。なんか萩の実物より小さい気がします。
松陰神社全体
松陰神社全体は結構しっかりした大きな神社です。
時の大老井伊直弼の墓がある豪徳寺です。井伊直弼は吉田松陰が斬首された安政の大獄という大粛正を起こした責任者で、松蔭の人生を29歳で終わらせた張本人です。実は墓が凄く近くにあるのです。これも因果か。
井伊直弼の墓
安政の大獄の中心井伊直弼の墓です。松蔭にとどめを刺した人物です。ちなみに松蔭は萩での幽閉時代、彼の右腕・間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺しようとしたりしました。そんな因果がこの墓地の近さにつながっているのでしょうか。
招猫伝説
豪徳寺では、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置いています。 江戸初期の大名井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞けたことで井伊家御菩提所としたそうで、これがきっかけで願が成就したお礼として、多くの招福猫児を奉納するようになったそうです。これがいわゆる小判の招き猫になっていったのかはよくわからないそうですが。
江戸伝馬町牢屋敷跡にあたる十思公園。つまり黒船への密航の企てにより捕まった吉田松陰が入っていた牢屋です。他にも高野長英をはじめ江戸時代の著名な人々が捕まっていた場所でもあります。
石町(こくちょう)時の鐘
この鐘の音を合図に死刑囚の首を刎ねたと伝えられる鐘があります。やや不気味です。
吉田松陰終焉の地碑
吉田松陰の終焉の地碑がありますが、実際に首を切られたのは向かいの小伝馬町刑場跡大安楽寺です。 碑には、辞世の句「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」が刻まれています。 獄中にて遺書として門弟達に向けて書かれた「留魂録」の冒頭に記されたもの。 実は家族向けには「永訣書」を残していて「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」という辞世の句もあります。
十思公園の向かいにあるのですが、小伝馬町刑場跡のこの地が実際に松蔭が斬首された場所です。 他にも数多くの人が斬首されていますが、松蔭と同じ安政の大獄で言えば、橋本左内などもいますね。 十思公園含めて場所柄心霊スポット的に言われています。
小伝馬町に行くならそれは都寿司です。大きめの握りの寿司が本当に美味しいです。ただ難点は予約が全然取れません。食べログでも脅威の4.5付近の高得点!
大きめのにぎり
特徴は大きめの握りです。最高レベルですね。
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黒船への密航を企てて捕まり小伝馬町の牢獄に運ばれる最中、この泉岳寺の前を通った吉田松陰は、ここに埋葬されている赤穂浪士四七士を想い「かくすれば かくなるものと知りながら やまぬやまれぬ大和魂」という句を詠んだそうです。
赤穂浪士の墓
赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。討ち入り前に周囲の反対にあって切腹曝れられた萱野三平の供養墓もあるので(明和4年(1767年)9月建立)泉岳寺の墓碑は48あります。
赤穂義士記念館
討ち入り300年の記念で建てられた義士に関する資料館です。中には義士の貴重な遺品などが納められていて、忠臣蔵についてのビデオも上映されています。
チジミが名物の韓国料理やさんですが、本格韓国料理なので味わいが違います。美味しい。
チヂミ
オモニがこれ食べてって言うチヂミです。美味しい!
乃木将軍を奉った乃木神社の一角にある正松神社ですが、日露戦争の英雄乃木将軍ですが、出身の長州藩の精神的支柱吉田松陰を幼い頃から慕っていたので、実際にその叔父玉木文之進の門に入り薫陶を受けたとも伝えられています。この吉田松陰と玉木文之進から影響を受けたことをもって乃木神社戦災復興のときに、萩の松陰神社から分霊を請い受け、摂社として境内に正松神社が作られたということです。
こざっぱりしたおそば屋さんです。乃木坂のランチなら。せいろや鴨なんが美味しいです。
せいろ
こざっぱりしたせいろがでてきます。
本所回向院の住職弟誉義観が、行路病死者や刑死者の供養のため、1667年に小塚原刑場の小塚原刑場の傍に供養を含めて建てたのが小塚原回向院です。橋本左内、頼三樹三郎、吉田松陰や鼠小僧、高橋お伝の墓など多くの供養碑があります。 またこの場は蘭学者杉田玄白らが解体新書(ターヘルアナトミア)を翻訳するきっかけとなった刑死社の解剖を行った場でもあるそうです。
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小塚原回向院のすぐ近くの美味しいお店と言えばうなぎやさんの尾花でしょう。食べログでも4点台ですね。
うなぎ
南千住でいえばもはや名物です。