
あわてない、あわてない。一休み、一休み。
京都あわてない、あわてない。一休み、一休み。
まいどまいど! 国民的な人気漫画・アニメの一つ「一休さん」の主人公といえば、その名の通り「一休さん」でんな。 その「一休さん」のモデルといえば一休宗純さん。 一休宗純さんは室町時代に活躍した臨済宗の僧やそうでおまして、「何やらえらい”とんち”が得意や」と噂を呼んだとの逸話も。 現在もその偉功は語り継がれ、そんな一休宗純さんゆかりの酬恩庵は人気観光地の一つともなってはりまんな。 酬恩庵は一休さんが晩年、過ごした場所として知られ、「一休寺」という愛称で親しまれておます。 現在も境内には当時と変わらぬ風景や雰囲気を楽しむことができまんねん。 ほんでまた、境内には像が建立され、記念撮影を楽しむ観光客の姿も。 最寄りの駅はJR西日本の京田辺駅。 駅前には観光案内所があり、京田辺市内の観光案内や情報発信を行ってまんねん。 ほんでまた周辺には道「とんちロード」や一休ゆかりの神社などがあり、一日中楽しむことができまっせ。 その他にも京田辺市には魅力がいっぱい。 京田辺の「一押し!」を探しにでかけまひょ!
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室町時代、能役者・能作者として活躍した金春禅竹は、一休禅師に対して猿楽の能を演じ観覧に供した。 1405年、金春禅竹は大和四座の一つである円満井座(金春座)の太夫金春弥三郎の子として生まれた。 能楽の大成者世阿弥の娘婿となり、世阿弥の能を発展させて金春流隆盛の礎を築いた。 「六輪一露之記」などの芸術論がある。 1467年、応仁の乱が勃発して一休禅師が酬恩庵を訪れていた間、禅竹も薪の多福庵に移り、二人の間に交流があったという。 一休も能に関心を示し、謡曲の「山姥」「江口」は一休の作とも伝えられる。
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寺院は臨済宗大徳寺派。 山号は霊瑞山。 本尊は釈迦如来。 別名、一休寺、薪の一休寺。 納豆の一種「一休寺納豆」としても知られている。 1290年頃、南浦紹明が妙勝寺を開基。
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一休宗純
1330年代、兵火に遭って衰退したが1456年、一休宗純が草庵を結んで中興。 宗祖の遺風を慕って師恩に酬いる意味で酬恩庵に改称。 以後、当地で過ごした。 能役者・能作者として活躍した金春禅竹は、一休禅師に対して猿楽の能を演じた。 1650年、加賀城主前田利常が伽藍を再興。 江戸時代、画家狩野探幽によって描かれた内部襖絵、障壁画を納め、江戸幕府から朱印状が与えられた。
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一休宗純
本堂は、足利義教によって建立。 木造一休和尚坐像には、一休の高弟墨済による頭髪と髭を植え付けた跡がある。 1467年、応仁の乱の戦禍が波及し、中国の禅僧虎丘紹隆に由来する虎丘庵を京都の東山から移築。 茶室造りの静寂穏雅の建物で屋根は檜皮葺。
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一休宗純
酬恩庵庭園は方丈庭園と虎丘庭園によって構成。 方丈庭園は松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作。 禅院枯山水庭園で、北庭は枯滝落水の様子をあらわした蓬莱庭園。 東庭は十六羅漢、南庭は白砂の大海をあらわした。 虎丘庭園は茶祖珠光の作品で禅院枯山水庭園。
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1580年頃、薪神社の星野天神・住吉・武氏の三社が再興。 1629年、薪村と大住村の山論を板文にして奉納。 1907年、天神社と八幡社を合祀、薪神社に改称。 境内は甘南備山頂に位置し、月の神である月読神が仮の姿をとって現れたと伝わる石も祀られている。 また、「能楽発祥の碑」と刻まれた石碑も建立。 室町時代、能役者・能作者として活躍した金春禅竹は、一休禅師に対して猿楽の能を演じ観覧に供した。 1405年、金春禅竹は大和四座の一つである円満井座(金春座)の太夫金春弥三郎の子として生まれた。
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能楽の大成者世阿弥
能楽の大成者世阿弥の娘婿となり、世阿弥の能を発展させて金春流隆盛の礎を築いた。 「六輪一露之記」などの芸術論がある。 1467年、応仁の乱が勃発して一休禅師が酬恩庵を訪れていた間、禅竹も薪の多福庵に移り、二人の間に交流があったという。 一休も能に関心を示し、謡曲の「山姥」「江口」は一休の作とも伝えられる。
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一休とんちロードは、府道八幡木津線から酬恩庵までの約600mの区間。 一休禅師生誕600年を記念して製作された「一休かるた」を使った22種類の案内板が設置。
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西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の停車駅の一つ。 1898年、関西鉄道長尾駅と新木津駅間の延伸時、田辺駅として開業。 1907年、国有化され、日本国有鉄道となった。 1987年、分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)となった。 1997年、京田辺駅に改称。 駅前には京田辺市ゆかりの一休宗純像が建立され、当駅から一休ゆかりの酬恩庵まで一休とんちロードが整備。
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京田辺市やその周辺の観光案内や情報発信などを行っている。
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京都府を代表する名産品である宇治茶は静岡茶、狭山茶と並ぶ日本三大茶の一つに数えられている。 1849年、初代今村長兵衛(長三郎)によって創業。 現在、茶の製造、販売、緑茶のスイーツの製造・販売などを行っている。
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京田辺ロール
ここでは、宇治茶をはじめ、緑茶のスイーツであるかんなびロール、京田辺ロール、抹茶生チョコ、どら焼き、シュークリームなどが販売され、味わうことができる。
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どら焼き
ここでは、宇治茶をはじめ、緑茶のスイーツであるかんなびロール、京田辺ロール、抹茶生チョコ、どら焼き、シュークリームなどが販売され、味わうことができる。
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別称、普賢寺、大御堂。 宗派は真言宗智山派。 山号は息長山。 本尊は一木造の心木のうえに木屎漆を加えて造形した木心乾漆十一面観音菩薩立像。
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塔の礎石が現存
法相宗の僧・義淵によって観心山親山寺が創建され、開基。 東大寺初代別当の良弁が中興。 以後、東大寺の実忠が入寺。 観音寺本堂裏の丘陵上には塔の礎石が現存。
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701年、唐の律令を参考に日本初となる日本の律令「大宝律令」が制定。 東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海に7つの官通が整備され、主要街道には駅を設置、駅馬・伝馬を置くことを定めた。 711年、古代山陰道と近江へ通じる交通の要所として山本駅が設置。 「続日本記」には平城京と太宰府を結ぶ山陽道の宿所また淀を経て丹波路へとつづく山陰道の要所「山背国綴喜郡山本駅」と記されている。
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別名、山本の大寺。 704年、創建。 本尊は十一面千手千眼観音立像。 四十手には、日輪、月輪、鏡、矢、雲、骨、剣など40の物を持つ。 1732年、木津川の氾濫により、現在地に移転。 明治時代、近隣の寺々と合併。
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かぐや姫
百味が供えられた前で神楽が舞われ、巫女は神笹で湯立を行う。 かつて東側には鶴の飛来し、仲秋の名月の名所である飯岡山と共に景勝地となっていたが現在は公園として整備。 その他、平安時代に成立した「竹取物語」で竹取の翁の舞台「山もと」にあたるとされ、「かぐや姫」とともに物語の発祥とも。
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