連続テレビ小説「カーネーション」のロケ地・岸和田かじやまちを歩く
大阪連続テレビ小説「カーネーション」のロケ地・岸和田かじやまちを歩く
まいど! だんじり祭りのまち・大阪府岸和田市には、岸和田城跡をはじめ、だんじり会館があるなど、一日中いても、商い(=飽きない)楽しさがそこにはおまっせ! なぜなら、南海電車岸和田駅前には商店街。 比較的に新しい街並みの中に、大正時代から昭和時代にかけて流行したモダニズム建築が点在。 ほんで、和風と洋風が入り混じった街並みの中に、かじやまちと呼ばれる古い街並みが残った場所がありまんねやで。 かじやまちとは、その名の通り鍛冶屋のことで、一昔前まで鉄砲を製造してはった。 周辺では由緒正しい寺院が数多く残り、度々、ドラマのロケ地に使用されてまんねん。 最近、注目を浴びたのが連続ドラマ小説「カーネーション」。 カーネーションは大阪府岸和田市のこの場所を舞台に、コシノ洋裁店が取り上げられました。 今もなお、絶え間なく観光客が訪れ、隠れたスポットとして人気を集めてます! だんじりや岸和田城もおすすめやけど、かじやまちという存在も忘れたらあきまへんで! コシノはんゆかりのかじやまち界隈をぜひ、歩いて、見て、感じてください!
ファッションデザイナーとして活躍した小篠綾子氏のゆかりの地。 1934年、パッチ店、紳士服店、生地店で洋裁の修業を積み、ミシン一台でコシノ洋装店を開業。 川崎武一氏と結婚後、太平洋戦争の勃発により、弘子氏、順子氏、美智子氏の4人で暮らしていた。 1982年、洋装店経営の傍ら、次女・ジュンコがゲスト出演したテレビ番組に出演したのをきっかけに、多くの番組に出演、自らが主宰する「ザ・Uの会」等の会合で日本全国や世界各地を飛び回った。 1988年、ブランド「アヤコ・コシノ」を創設。 2011年、連続テレビ小説「カーネーション」が放送され、岸和田市とともに再び、有名となった。
江戸時代、岸和田に拠点を置いた岡部藩の鉄砲を製造していた鍛冶屋が住んでいたことが由来となり、「かじやまち」と名づけられた。 昔ながらの雰囲気漂う街並みとして知られ、2011年に放送された連続テレビ小説「カーネーション」の撮影現場としても知られている。 撮影に使用された場所は主に、「かじやまち」として掲げられ、道路は舗装。
昔ながらの街並み
ゆったりとした時間の中で、当時の面影を今に伝えている。
岸和田市内の観光案内が行われている。 また、紀州街道沿いに位置するため、旅人の休憩所としても使用されている。
本徳寺
- 大阪府岸和田市五軒屋町9-13
- https://search-api.estart-search.jp/web/search/redirect?data=06eeadc7585e01449e73f51b990344510473703d7b93e9b13ef480513108bc03bc34230b4c9b236caee5536f3f671132185723b6a2ca6a1630127bf70f9fa9c241b66c37b41fa9f8e973159c211dd6fd2deb885df8224484645a925b4f99fe204588&u=ecd4f52a-c7c3-4802-a800-929a322aa57e
京都府にある臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の末寺。 日本で唯一、明智光秀の肖像画を所蔵している。 南国梵桂は、「海雲寺(大阪府貝塚市鳥羽)」として開基した。 兵火により、現在地に移転。 岸和田藩主・岡部行隆の命で寺号を「本徳寺」と改称。 一説によると、南国梵桂は、明智光秀の長男・明智光慶であるとか。 光慶は出家し、妙心寺の塔頭瑞松院に住して「玄琳」を名乗った。 また、童謡「かごめかごめ」の一節、「後ろの正面誰」は、明智光秀の出身地(岐阜県)日光東照宮の方向を向くと、当地にあたると、噂される。
紀州街道本町一里塚
1604年、江戸幕府の命により、江戸・日本橋を五街道の起点と定めた。 36町歩を一里と定め、一里ごとに塚を築造。 この時、榎、松などを植樹した。 紀州街道は、大坂・の高麗橋を起点として、和歌山城下まで一里塚を設置。
1600年、岸和田城主小出播磨守秀政公の菩提寺として建立。 同時に、蘇鉄も植樹され、現在では、市の天然記念物に指定されている。
京都府の大本山本圀寺の旧末寺。 本尊は、大曼荼羅。 1634年、開基。
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1921年、岸和田貯蓄銀行が設立。 昭和時代初期、外壁はタイル張り、ヨーロピアン調の上心半円アーチを特徴として建築。 現在は、岸和田中央商業協同組合「かじやまち」事務所兼店舗として利用されている。
現在は、レンタルスペースとして利用されている。 毎月20日は商店街主催の「かじやまち講談寄席」が開催され、旭堂一門の講談が披露される。
知恩院の門末。 創建時期など詳細は不明となっている。 開山は、秀譽上人。 1500年代、薫譽上人によって中興開基。
1853年、長州藩の武士として知られる吉田松陰は、岸和田藩校講習館の館長であった相馬九方を尋ねた。 吉田松陰は、塩屋平衛門宅に10日間滞在した。
1878年、国立銀行「第五十一国立銀行」が開業。 以後、岸和田市の産業を支えてきた。 株式会社第五十一銀行として改称。 以後、泉州地域を地盤とする和泉銀行、寺田銀行、岸和田銀行と合併して「阪和銀行」を設立。 昭和時代、富田林銀行、辻林銀行と合併後、「住友銀行」と合併。 現在は、碑だけが当時を物語っている。
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旧古城川に架かる橋跡(欄干橋)。 欄干橋は、道路の元標として使用されていた。
1919年、赤の煉瓦と花崗岩を使用した旧四十三銀行として建設。 内部は柱が一本も無い吊天井となっているとか。 昭和時代、三十四銀行岸和田支店、三和銀行岸和田支店へと改称。
1995年、開館した。 岸和田市で発見された「キシワダワニ」の化石など、岸和田市を中心とした泉州地域の自然の調査研究・資料を展示。 2004年、チリメンモンスター探しをテーマとするイベントを、「きしわだ自然友の会」とともに開催。
店内を入ると、テーブル席があり、広々とした空間が広がる。 まわりを見ていると、かき氷を頬張っているお客さんが多かった。 ここでは、夏季限定で販売されるかき氷が人気のようで、「氷くるみ」、「宇治ミルクくるみ」などの種類があるようで。 ゆっくり過ごしていると、お持ち帰りを注文するお客さんが頻繁に訪れた。 なんと、店内で食べるかき氷の他にも、スイーツとしてアイスもなかも人気のようで。 アイスもなかは、定番中の定番として昔から愛されてきた地元のお店であると、インターネットを中心に口コミがあふれていた。
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