淡嶋神社を散策。松の木を眺めながら
和歌山淡嶋神社を散策。松の木を眺めながら
まいどまいど! 本州最南端の場所として知られる和歌山県。 そんな和歌山県の中心地として知られる和歌山市内を今回は散策していきまっせー! 和歌山市では特に、大阪の老舗総合電機メーカーとして知られるパナソニックの創業者、松下幸之助翁の出身地として知られ、実際にこの場所で幼少時代を過ごされてはったという。 その後、路面電車に乗って大阪市内中心部に出て、丁稚奉公となり火鉢店や自転車店、電力会社などを転々とし、パナソニックの前身を創業しはりましてんけど、幼少期を過ごしたというゆかりの場所は現在、公園として整備されてまんねん。 ほんでまた、淡嶋神社では人形供養が有名で、約2万体を数える多くの人形が境内に所狭しと並べられてまんねん。 この光景は全国的にも珍しく、時々、マスコミにも取り上げられるほどでんな。 その他にも江戸幕府を開いた徳川家康ゆかりの紀州東照宮があり、毎年三が日にはぎょうさんの参拝客でにぎわいます。 その他、和歌山市内を代表する人気観光名所の一つである紀三井寺もおすすめ。
別名、加太淡嶋神社、加太神社。 全国の淡島(嶋)神社・粟島神社・淡路神社の総本社。 境内では無数の人形が奉納され、その数は2万体とも。 2月8日の針祭、3月3日のひな流しなどでも有名。 祭神は、少彦名命、大己貴命、息長足姫命(神功皇后)。 日本を創造したと伝えられる少彦名命と大己貴命の祠が加太の沖合いの友ヶ島のうちの神島(淡島)に祀られたことが始まり。 婦人病、安産、子授けなどにご利益があるとか。
人形供養の数々
境内にはこれまで集められてきた多くの人形が所狭しと並んでいる。
大阪府松原市と和歌山県田辺市とを結ぶ阪和自動車道上にあるサービスエリア。 レストランやガソリンスタンドがある。
総合電機メーカーのパナソニック(前身の松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)の創業者として知られる松下幸之助。 松下幸之助はこの地で生まれ、幼少時代を過ごした。 現在、この公園には遊具が設置され、子供たちの遊ぶ声がこだまする。
家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。
松下幸之助生誕の地
松下幸之助は、1894年11月27日、和歌山県和歌山市禰宜で生まれた。 父は、小地主の松下政楠。 母は、とく枝。 父が米相場で失敗して破産。 一家で和歌山市本町1丁目に転居し、下駄屋を始めた。 事業は失敗し、店は閉店。 尋常小学校を4年で中退し、9歳で大阪府大阪市に転居。 丁稚奉公となり、宮田火鉢店、五代自転車など職を転々とする。 大阪で見た路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を選択した。
パナソニックの創設者の松下幸之助が、地元への感謝を込めて自費で建設。 和歌山市に寄付した。
雑賀山に鎮座。 祭神は徳川家康(東照大権現)、徳川頼宣(南龍大神)。 徳川家康は江戸幕府初代将軍、徳川頼宣は徳川家康の十男で紀州藩初代藩主。 1621年、徳川頼宣は南海道の総鎮護として東照大権現を祀る東照社を創建。 本殿には左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の壁画がある。。 一時、関西の日光とも称された。 明治時代、別当寺に天台宗の天曜寺、天海大僧正が初代別当に就任したが、神仏分離と廃仏毀釈により廃寺。 1622年、東照宮の例祭が風流の祭りとして創始、国中第一の大祭であり諸国から多数の見物人が訪れた。
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1886年、出漁先の九州でコレラに感染、蔓延した。 港周囲の丘陵部に家々が建ち並ぶ風景から「日本のアマルフィ」とも呼ばれる。 アマルフィとはイタリア共和国カンパニア州サレルノ県にあり、急峻な海岸に面して築かれた都市のことでユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 2023年、衆議院和歌山1区補欠選挙のため、内閣総理大臣の岸田文雄氏が当地に訪れ、襲撃事件が発生した場所として知られる。
紀三井山金剛宝寺護国院。 西国三十三所第2番札所。 救世観音宗総本山。 770年、創建。 真言宗山階派に属したが、1948年に独立し救世観音宗総本山とした。 山内子院6ヶ寺及び末寺14ヶ寺を包括する。 名草山の中腹にあり、境内からは和歌浦湾やその周辺を一望することができる。 山内に涌く三井水(吉祥水・清浄水・楊柳水)は紀三井寺の名の由来とされ、これらは徳川頼宣の命により設けられたもの。 三井水は環境庁(環境省)が選定した「名水百選」に選定。 桜の名所として知られ、日本さくら名所100選に選定。