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セゾンな視点から「池袋」を懐かしむ〝タイムトリップ〟へGO!

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セゾンな視点から「池袋」を懐かしむ〝タイムトリップ〟へGO!

セブン&アイHDが進めていた百貨店「そごう・西武」の売却が大詰めを迎えています。 売却先が決定すれば西武池袋本店も都市再開発の波に呑まれて姿を消すかもしれません。 また、ホームセンター大手のカインズが東急ハンズを買収。 サンシャイン60の入り口にあった池袋店も姿を消しました。 ところで「東池袋52(フィフティーツー)」というユニットをご存知でしょうか? サンシャイン60の52階に居を構える信販会社クレディセゾンが宣伝のため自社グループの女性社員のみで結成。 この、東池袋52のプロモーションビデオ「わたしセゾン」「雪セゾン」の撮影は池袋が舞台。 そこに映し出される景色は日本が史上空前に盛り上がっていたバブル時代。 「おいしい生活。」を演出していたセゾングループ……の残影。 西武デパートも、PARCOも、西友も、ファミリーマートも、無印良品も、LOFTも、LIBROも…  すべて今でも日本中に有るっちゃあ有りますが。 近い未来、街の姿が激変する予感漂う池袋にある店舗を巡りながら、 ぜ〜んぶセゾングループだったあの頃にタイムトリップしてみませんか?

  • 池袋のシンボルといえば「いけふくろう」 池袋は最近、住みたい町ランキングで急上昇中 JR、東京メトロ、西武、東武と公共交通機関がタコの足みたいに延びている一方 家賃の相場は渋谷や恵比寿に比べて格安なのがありがたいところ 豊島区も子育て支援の施策を打ち出し、ファミリー層も増加中 まさに今、注目株の〝副都心〟なのです!

    • 西武池袋駅

      西武池袋駅

      ♫ふしぎなふしぎな池袋〜 ひがしが西武で にし東武〜 と、ビッグなカメラ量販店のCMソング(古っ!)にある通り 西武の池袋駅は東口にあります

    • JR池袋駅

      新宿、渋谷と並ぶ〝副都心〟池袋の顔、池袋駅の年間利用者数は200万人弱にものぼる巨大ターミナルです

    • 東武池袋駅

      東武池袋駅

      ビッグなカメラ量販店のCMソングにある通り 東武の池袋駅は西口にあります

    • 東武ホープセンター

      東武ホープセンター

      東武池袋駅に隣接してホープセンターという地下街があります 昔からある商店街ですが、入っている店舗はピッカピカ ちなみにここはセゾングループではありません

  • 前身の武蔵野デパートが池袋で開業したのは1940年3月のこと。 戦後の1949年4月に社名を現在の西武百貨店に変更し、今に至ります。 1968年4月に渋谷店が開店するまで、西武の店舗はここ池袋にしかありませんでした。 江戸時代の呉服店にルーツを持つ三越や高島屋といった日本橋の老舗百貨店と比べ、新興の電鉄系、しかも池袋という立地から当時は格下感が拭えなかったそう。 こうした劣勢を挽回すべく、当時としては珍しく海外の高級ブランドを積極的に取り入れます。 また、店内には美術館などの文化施設を設け、消費と文化の融合を目指していきました。

    • 戦前の創業なのに〝老舗〟ではない

      江戸時代の呉服店に起源を持つ三越や高島屋ら老舗百貨店と比べて新興の電鉄系、しかも池袋という立地から当時は格下感が拭えなかったそうです。こうした劣勢を挽回すべく、当時としては珍しく海外の高級ブランドを積極的に取り入れます。 また、店内には美術館などの文化施設を設け、消費と文化の融合を目指していきました。

    • 21世紀の消費スタイルを先取りしていた「文化との融合」

      「生活総合産業」を標榜する西武流通グループは、1985(昭和60)年に西武セゾングループと改称。 折しもバブル経済が最盛期を迎え、傘下企業も100社超え。 1990年(平成2)には名称を「セゾングループ」へ正式に変更。 西武百貨店は1987年度に売上高が百貨店業界の1位になるなど「セゾン」の本丸として存在感を発揮。 糸井重里による「おいしい生活」など宣伝文句は新時代の消費スタイルを喚起させました。

    • 経営者・堤清二と作家・辻井喬の狭間で花開いたセゾンのカルチャー

      こうした「消費と文化の融合」路線を積極的に推進したのがセゾングループの総帥、堤清二。 一方では作家・辻井喬として文壇でも活躍。 こうした〝二足の草鞋(わらじ)〟の経営者が目指した消費社会とは… ・物質と精神の両面から新しい価値観を創造 ・因習から解放された自由かつ豊穣な文化を流通事業から生み出して消費者に提供 この〝哲学〟は後の流通業界に大きな影響を与えていくことになります。

    • セゾングループは瓦解…だけど西武百貨店は終わらない!

      セゾングループは瓦解…だけど西武百貨店は終わらない!

      2000年に傘下の不動産開発会社、西洋環境開発の破綻を機に堤清二はセゾングループから引退。 総帥を失った西武百貨店は損失補填のため所有するグループ各社の株式を次々に売却。 結果、グループ各社は次々と離脱し、セゾングループは事実上解体しました。 西武百貨店自体もそごうと提携し「ミレニアムリテイリンググループ」を形成。 後にセブン&アイHDの傘下に入り、現在に至るのです。

    • デパ地下で誂えた酒肴を携え、屋上でクロード・モネの「睡蓮」を眺めつつ至福の味わい

      デパ地下で誂えた酒肴を携え、屋上でクロード・モネの「睡蓮」を眺めつつ至福の味わい

      というわけで西武百貨店の栄枯盛衰を綴ってまいりましたが、店を紹介しないのも野暮。 ファッションや化粧品には興味ないので、ここは地下の「西武食品館」で酒肴を贖い、屋上の「食と緑の空中庭園」で独酌と洒落込みます。 屋上にもフードショップはあるのですが、折角なのでデパ地下で誂えました。 「空中庭園」にはシンボル的存在の「睡蓮の庭」があります。 クロード・モネの「睡蓮」をイメージして造園されたそうですよ。

  • 渋谷の流行発信基地といえば今でこそ東急系の渋谷109が脳裏に浮かびますが、昭和の時代は圧倒的に渋谷PARCOが優勢でした(ちなみに「109」の由来は「とうきゅう」です)。 何が何だかワケの分からないテレビCMや、万柳コピーライター仲畑貴志が繰り出す奇天烈にして絶妙な宣伝文句に彩られたパルコ独特の世界観(ちなみに東池袋52の楽曲も仲畑氏が作詞しています)。 それらと比べたらガキっぽさでのし上がった109のそれは「人類って退化してるのでは?」と思えるほど。 それはさておき、現在では全国各地に展開するPARCOの1号店が、ここ池袋PARCOです。

    • 前身は東京丸物百貨店

      前身は東京丸物百貨店

      丸物は京都発祥の百貨店で、中部地方を中心に店舗を展開。 東京でもここ池袋と新宿に店舗がありました。 1954(昭和29)年に池袋駅ビルの建設が始まると、これに丸物も資本参加。 1957(昭和32)年、事業をステーションビル運営から百貨店業に変更し東京丸物百貨店が開店しました。 ちなみに新宿店は現在、伊勢丹デパートの北半分になってます。

    • 東京丸物が池袋PARCOに

      東京丸物が池袋PARCOに

      現在の建物は東京丸物時代のものが使われています。 設計したのは日生劇場や近鉄本社ビルなどを手がけた名建築家の村野藤吾。 1969(昭和44)年6月、丸物が業績不振を理由に撤退し、東京丸物百貨店は閉店。 代わって西武百貨店が資本参加し「(株)東京丸物」は「(株)パルコ」に商号を変更。 同年11月23日、池袋PARCOが開業しました。

    • パルコはセゾングループを離れてJ.フロントリテイリング傘下へ

      前述の通り、西武百貨店がグループ企業の持ち株を次々に売却したことにより、パルコもセゾングループを離脱。 不動産開発業者の森トラストグループを経由して、新たにJ. フロントリテイリングの傘下へ入りました。 同社は大丸と松坂屋が経営統合した際に誕生した持株会社。 なので2017年、松坂屋上野店の隣にPARCO_ya上野が開店したわけです。

  • かつてセゾングループの中核企業として流通業界に君臨したスーパーマーケット西友。 もともと無印良品は西友のプライベートブランドだったし。 ファミリーマートは西友が立ち上げたコンビニだったし。 それどころかバブル絶頂期にはイギリスのインターコンチネンタルホテルズを買収し、傘下に収めていたこともあったほど。 このように西友はセゾングループの“実戦部隊”として最前線に投入されてきたのです。 (写真はサンシャイン西友店)

    • 西武ストアー、西友ストアー、そして西友へ

      西武ストアー、西友ストアー、そして西友へ

      西武百貨店は1956年2月、西武ストアーを設立し、大規模小売業に進出。 1958年には土浦に1号店を開店します。 1957年のダイエー、1961年のヨーカ堂(現イトーヨーカドー)と並び、スーパーマーケット時代が花開きました。 西武ストアーは商号を1963年に西友ストアー、1983年に西友へ再変更し、現在に至ります。

    • ファミマ、無印と事業を拡大

      ファミマ、無印と事業を拡大

      西友は1978年3月、ファミリーマート事業部を発足させ、コンビニ事業に進出します。 1980年にはプライベートブランド「無印良品」を開発。 2000年には日本で初めてネットスーパー事業をスタートさせました。 2002年、世界最大のスーパーマーケットチェーンである米ウォルマート・ストアーズと包括的な資本・業務提携を締結します。

    • 世界最大のスーパーマーケットチェーン、ウォルマートの子会社に

      世界最大のスーパーマーケットチェーン、ウォルマートの子会社に

      しかし2003年には西武百貨店の経営危機により巨額の特別損失を計上し決算は大幅な赤字。 2005年には上場を廃止し、ウォルマートの完全子会社に。 現在はウォルマートから持ち株の大半を譲渡された楽天と米ファンドが運営しております。 今となってはセゾングループ時代の面影が薄らいでしまいましたが、お近くに西友がありましたら立ち寄って往時に思いを馳せてみてはいかがでしょう。

  • 日本国内のみならず海外にまで幅広く出店している無印良品。 銀座の世界旗艦店(!)には無印良品ブランドのホテルやレストランまで併設。 「MUJI」な世界の膨張っぷりは止まるところを知りません。 そんな無印良品の原点を求めて過去に遡ると、なんと西友のプライベートブランド(PB)に行き当たります。 もとはイトーヨーカドー「セブンプレミアム」やイオン「トップバリュ」の〝仲間〟だったんですよ! 誕生したのは今から約40年も前の1980年12月。 西友220店舗をはじめ西武百貨店やファミリーマートで販売が開始されました。 食品31品目、家庭用品9品目の計40品目でスタートしたそうです。

    • 誕生!ナショナルブランド「無印良品」

      1983年6月、無印良品は青山に直営店の1号店をオープン。 同年10月には大阪のアメリカ村へも出店し、卸売だけでなく直売にも進出。 そしてバブル経済ド真ん中の1989年、西友は子会社「良品計画」を設立して無印良品を独立させました。 スーパーのプライベートブランドが「無印良品」というナショナルブランドになるというパラドキシャルな事態が巻き起こったのです!

    • 無印良品に息づく堤清二の哲学

      無印良品に息づく堤清二の哲学

      従来の商品に見られた、過度な機能や過剰な装飾・包装などを省き、実質本位の商品を廉価で流通させるというコンセプト。 この堤清二の商品開発と生活哲学が「無印良品」という名称には集約されているそうです。 今でも商品は合理的な価格志向を反映させる方向に展開され、時代に合致した開発が続けられています。 最近ではショッピングモールなどへも積極的に出店。 商品を手に取り堤清二の哲学を感じてみてはいかがでしょう。

  • ファミリーマート…略して「ファミマ」。 am/pmやサークルKサンクス、ココストアなどを呑み込み、今や店鋪数でセブンイレブンに次ぐ第2の巨大コンビニチェーンとなりました。 その「ファミマ」もまた無印良品と同様、西友が生みの親なのです。 (写真はサンシャイン南店)

    • ファミマの1号店が誕生したのは埼玉県狭山市でした

      1973年9月、西友ストアーは埼玉県狭山市に実験第1号店を開店しました。 セブンイレブンが米事業会社との合弁企業だったのに対し、ファミリーマートは日本発祥のコンビニでした。 1981年9月、西友ストアーは前身の休眠会社に営業と資産を譲渡し、(株)ファミリーマートが誕生。 1989年にはキャッチコピー「あなたと、コンビに、ファミリーマート」を制定、コンビニ隆盛時代を迎えるのでした。

    • セゾングループから離れて総合商社伊藤忠の傘下へ

      1978年のフランチャイズ制度導入を機にシンボルマーク「太陽と星」を制定。 1992年2月、店舗デザインに現在のブルー&グリーンを導入。 このマークは1998年まで使用されていました。 1998年2月、セゾングループの解体に伴い西友から保有株式を譲渡された伊藤忠商事グループが筆頭株主に。 2010年3月am/pm、2015年12月ココストアを吸収合併します。

    • 近所のファミマでもセゾン時代の洒落た雰囲気を思い起こせる…かも?

      近所のファミマでもセゾン時代の洒落た雰囲気を思い起こせる…かも?

      2016年9月にユニーグループを吸収合併すると同時にサークルKサンクスを統合、店舗数国内第2位の巨大コンビニチェーンが誕生しました。 2019年1月にはユニーの全株式をドンキホーテHD(現PPIH)に譲渡。 2020年7月、伊藤忠商事はファミリーマートを完全子会社化し、今に至ります。 セゾン時代のファミリーマートは結構シャレたテレビCMを流していたのが、今となっては懐かしいですね。

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  • 今や日本中いたる所で見かけるようになった生活雑貨専門店「ロフト」もまた、元はセゾングループの一員でした。 渋谷で隆盛を誇っていた王者「東急ハンズ」に対抗すべく、1987年に西武百貨店がシブヤ西武の隣に立ち上げた「シブヤ西武ロフト館」が原点。 1996年8月8日に「株式会社ロフト」を設立、西武百貨店から独立します。 2002年、ロフトはセゾングループ解体に伴い不動産デベロッパーの森トラスト傘下入り。 2007年3月にはセブン&アイHDがロフトの全株式を取得して完全子会社。 それに伴い傘下の西武百貨店と10年ぶりに再び同じグループとなりました。

    • 9階フロアのMoMAデザインストアでセゾン美術館の雰囲気を堪能

      9階フロアのMoMAデザインストアでセゾン美術館の雰囲気を堪能

      屋上の「食と緑の空中庭園」に連なる9階フロアには「MoMA Design Store」があり、フレーム付アートが陳列販売されています。 どこかセゾン美術館の雰囲気を感じさせてくれる空間です。

    • サンシャイン60の〝門番〟東急ハンズ池袋店…の跡

      サンシャイン60の〝門番〟東急ハンズ池袋店…の跡

      2021年10月31日、サンシャイン60通りのシンボル的な存在だった東急ハンズ池袋店が閉店。 2022年3月31日、後を追うように東急ハンズ本体もホームセンター大手のカインズに買収されました。 2000年代あたりまでは好敵手な関係にありましたが、専門的な東急ハンズに対し楽しく買い回りできるロフトが徐々に優勢。 2010年代以降はネットショップの勃興に押され差が決定的になってしまったのです。

  • 西武池袋本店の別館地下1階と書籍館地下1〜4階に「三省堂書店 池袋本店」があります。 この書籍館には以前、セゾングループ「書の殿堂」リブロ 池袋本店がありました。 現在でも書店チェーンのリブロが三省堂書店とは別に存在しますが、それぞれは全く別の組織。 ここでは堤清二が築いた「書の殿堂」リブロについて紹介していきます。

    • 「リブロ池袋本店」とは何だったのか?

      〝辻井喬〟の筆名を持つ作家でもあった堤清二ですが、自前の書店はありませんでした。 そこで1975年9月、西武百貨店の書籍部として池袋西武に「西武ブックセンター」を開設。 百貨店としては採算度外視だったそうです。 1985年には西武百貨店や西友の書籍売り場を統合して(株)リブロが発足。 当時、隆盛を迎えていた〝ニューアカデミズム〟の聖地として、セゾンカルチャーの一翼を担ったのでした。

    • まだリブロは存在してますが…

      1998年には経営をパルコが引き受け、パルコブックセンターと経営統合。 2003年にはセゾングループの解体に際し、取次大手の日本出版販売がパルコより株式を取得して経営を継承します。 日販の傘下となってからは全国各地への出店を推進する一方、普通の書店としてのカラーが濃くなっていきます。 そして2015年7月20日、リブロ池袋本店は閉店。 セゾン美術館と双璧をなす「書の殿堂」は終焉を迎えたのでした。

    • セゾングループには「リブロポート」「トレヴィル」という2つの出版社がありました

      リブロポートは主に美術や写真などの書籍を出版。 トレヴィルは美術書の出版社。 いずれも堤清二の肝入りで設立されセゾンカルチャーの一翼を担っていました。 セゾングループの崩壊に伴い、どちらも1998年8月に閉鎖。 ただ、トレヴィルは出版社「エディシオン・トレヴィル」が志を受け継ぎ、現在も〝命脈〟を保っております。

  • 池袋とは無関係ですが、セゾングループを語る上で欠かせない施設なので取り上げました。 ここでは既に姿を消した「セゾン美術館」を中心に紹介します。

    • 西武池袋で無印良品のある場所には、かつて美術館がありました

      1975年開館の西武美術館、89年に改称したセゾン美術館です。 都内の百貨店はバブルの頃どこも美術館を構えてましたが、催事場の延長みたいな代物。 しかしセゾン美術館は学芸員を配するなど、一線を画す本格指向でした。 理念に「時代精神の根拠地」を掲げ、絵画だけでなく建築、デザイン、写真など20世紀の前衛的な企画展を数多く開催していたのが特徴です。

    • 時代を先取りし過ぎていた?美術書専門店「アール・ヴィヴァン《ART VIVANT》」

      また、美術館内には美術書専門店「アール・ヴィヴァン《ART VIVANT》」がありました。 開店は開館と同じ1975年。 1995年の閉店まで、前衛的アート専門書や現代音楽のレコードなどを取り扱う稀少な書店でした。 なお、ラッセンの版画などを販売している会社「アールビバン」とは無関係です。

    • セゾン美術館の〝命脈〟を受け継いだ「セゾン現代美術館」

      セゾン美術館は1999年に閉館し、所蔵品は全て軽井沢のセゾン現代美術館へ移されました。 前身は西武グループのファウンダー堤康次郎が蒐集した日本の伝統美術品を保存・公開するため、高輪プリンスホテル内に設立した鉄道系の高輪美術館。 その後、収蔵品が増えてきたためセゾングループが中心となって1981年に軽井沢へ新築移転し、91年に現在の名称となりました。

  • 池袋ではなく渋谷ですが、セゾンカルチャーの〝スピリット〟を最もキチンと受け継いだ店なので取り上げました。 2019年11月22日、新築なった渋谷パルコの1階に"キオスクスタイル"のショップとしてオープンした「WAVE渋谷パルコ店」。 実は〝新規開店〟でもありつつ、2011年に消滅したセゾングループのCDショップ「WAVE」の復活でもありました。 音楽やファッションだけでなく、多様なカルチャーをミックスした〝実験室〟として情報を発信しております。

    • セゾングループの中で最も悲しい運命をたどったCDショップ「WAVE」

      セゾングループの中で最も悲しい運命をたどったCDショップ「WAVE」

      源流は1977年3月にパルコが設立したディスクポート西武。 1983年、それを基盤としてセゾングループが六本木に立ち上げた大型レコードショップが「WAVE」でした。 その後、チェーン店化され全国に展開。 2004年、セゾングループの解体に伴い2004年にタワーレコードへ売却され、家電量販店ノジマなどの傘下を経て2011年7月までに全店舗閉鎖。 自己破産を申請し、消滅いたしました。

    • 「音と映像の前衛的ショウウィンドウ」だった六本木WAVE

      WAVEの本店は池袋ではなく“知の殿堂“六本木WAVEビルにありました。 開館はバブル経済勃興前夜の1983年。 場所は今の六本木ヒルズ、メトロハットあたりですかね。 CDショップはレコード店というより音楽のセレクトショップ。 地下には日本のミニシアターの草分け「シネ・ヴィヴァン・六本木」。 いわば「音と映像の前衛的ショウウィンドウ」。 閉館は1999年で、実働年数はたったの16年でした。

    • FMラジオ局「JーWAVE」もまたセゾングループでした

      ここも池袋とは関係ありませんが、FMラジオ局「J-WAVE」を紹介します。 実はセゾングループが設立に深く関っており、局名にはCDショップ「WAVE」の名を継承。 現在でも前出のクレディセゾンが主要株主として名を連ねております。 本社所在地が六本木ヒルズの33階にあるのも「六本木WAVE」との何かの縁なのかも知れませんね。

  • 池袋ショッピングパーク、略称「ISP」は池袋駅東口から先の地下一帯に広がるショッピングセンター。 かつてはここも西武グループの一員でしたが、現在では株式をセゾングループから西武百貨店を継承したそごう・西武が60%超、電鉄系の西武HDが約25%を、それぞれ保有しております。 ISP内に飲食店はスタバぐらいしかなかったので、ここはセゾングループとは縁もゆかりもありませんが、大戸屋を紹介いたします。

    • 大戸屋 池袋東口店

      大戸屋 池袋東口店

      ISP33番出口を出て眼前のサンシャイン中央通りを進むと、少し先に池袋東口店があります。 ここが大戸屋の第1号店。 開店は1958年1月のことでした。 厳密に言えば最初の名称は「大戸屋食堂」。 場所も現在地とは少し違うところにあったかも知れません。 ですが、現在では国内・海外合わせて総店舗数430を超える一大和食チェーン店も、ここから始まったのです。 ちなみにメニューや内装は他と同じです。

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  • 超高層ビル「サンシャイン60」の開業に合わせ、池袋駅東口からのアクセスルートとして整備された「60階通り」。 後に「サンシャイン60通り」と改称され、池袋随一の繁華街となりました。 バブルの頃は「渋谷センター街vs池袋サンシャイン60通り」などとライバル視する向きもありましたが。 池袋と渋谷は「西武vs東急」というライバル関係をウリにしている面もあったので、その一環でしょう。 現在ではサンシャイン60の〝門前町〟というより、アニメイトを中心にした〝オタク女子の聖地〟として活況を呈しております。 また、再開発も活発なので、あと数年もしたら通りの姿が一変しているかもしれませんね。

    • サンシャイン60

      開業は1978年4月6日、来年で四半世紀を迎えます。 地上高(屋上)226mは1990年に今の東京都庁(同241m)が完成するまで日本一を誇りました。 敷地には1970年まで巣鴨拘置所が。 戦後はGHQに接収され「巣鴨プリズン」となり、戦争犯罪者が収監、死刑を執行されました。 このため隣接する東池袋中央公園でデートすると、そのカップルは破局する…という都市伝説が一時あったとか。

    • サンシャインシティ

      サンシャイン60のB1F〜4Fにある複合娯楽施設。 そのうち専門店街を特に「alpa(アルパ)」と称しています。 開業当時の池袋は「駅袋」と言われるほど商業施設が駅に集中し、駅から外へ買い物客が流れていかない状況。 そこで巣鴨拘置所の移転跡を再開発する際、堤清二が旗振り役となって跡地の再開発計画を立案。 展示ホール、ホテル、劇場、水族館、博物館などの施設が配され、今でも大勢の方が訪れています。

    • 専門店街「alpa」

      専門店街「alpa」はサンシャインシティのB1F〜3Fに広がります。 ファッションや雑貨からレストラン、食事処まで多種多彩。 特に1階の噴水広場は「アーティストの登竜門」とも称され、年間を通じて様々なアーティストがミニライブを開催。 一部アイドルのファンからは「聖地」として崇められております、

    • MIXALIVE(ミクサライブ東京)

      MIXALIVE(ミクサライブ東京)

      2020年3月、サンシャイン60通りの中ほどにあったシネコン「シネマサンシャイン」を丸ごとリノベーションした複合エンターテイメント施設です。 各フロアを講談社、キングレコード、ブシロード、テレビ東京などの企業がプロデュース。 館内にはクラブ、ホール、スタジオ、シアター、ライブカフェといった〝表現者のためのスペース〟が軒を連ねます。 また「D4DJ」などのグッズを販売するストアも設置されています。

  • サンシャインシティへ行くなら池袋駅より東京メトロ有楽町線東池袋駅のほうが激近。 駅からサンシャインシティまでは地下通路も整備されているので雨模様でも心配ご無用!

    • 東池袋四丁目駅

      サンシャインシティには、もう一つアクセス駅があります。 それが都電荒川線「東京さくらトラム」の東池袋四丁目駅。 荒川線はかつて都内に張り巡らされていた都電路線網の中で、唯一生き残った路線です。 往路は池袋駅からアクセスし、復路は東京さくらトラムで帰っても味わい深いかも知れません。

    • 東池袋52とは何者か?

      東池袋52とは何者か?

      最後に、このプランを作成するきっかけとなった東池袋52について触れておきましょう。 先述したように東池袋52はクレディセゾンが宣伝のために結成したグループ。 なのでメンバーは全員が普通のOLさん。 ただ、惜しむらくは2022年6月30日を以って解散いたします。 しかし彼女たちがいなければ、こうしてセゾンカルチャーを振り返ることもなかったことでしょう。 謹んで感謝を捧げます。 (©江口寿史)

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