若者が集まる渋谷の日常
東京若者が集まる渋谷の日常
まいどまいど! 東京を代表する繁華街の一つといえば、「渋谷」。 渋谷は若者の集まる繁華街として知られ、渋谷駅前に設置されている忠犬ハチ公像や青ガエル観光案内所などは時々、メディアなどにも取り上げられ、駅周辺にある百貨店や渋谷センター街が集積していることから、流行の最先端発信基地としても知られてはりまんな。 そんな渋谷センター街もバスケットボールとなんや深い関係がおますようでして、ここでもそんな渋谷の秘密っちゅうのを取り上げていきまひょ。 ほんでまた、渋谷では一般道路の表参道や青山通りなどがあり、今日もぎょうさんの人でにぎわってまんねん。 そんななか、ちょっと変わったシンボルっちゅうのもおまして、イースター島のモアイ像ならぬモヤイ像っちゅうのが渋谷の駅前におまして、人との待ち合わせ場所や目印の一つともなってまんねん。 っちゅうことで、今回は、若者を中心としたエネルギッシュな町・渋谷駅周辺の街並みや歴史、文化を感じつつ闊歩していきまひょ。 ほな、まいどおおきに!
1920年に創建された明治神宮の参道の一つで、東京都港区と東京都杉並区とを結ぶ都道413号線の一部。 従来、青山通りから明治神宮(原宿駅前)の神宮橋交差点までの区間を指していた。 現在、原宿・青山地区の総称とし、銀座と並ぶ高級ブランドの旗艦店が集積しているエリアとなった。 かつて、表参道と裏参道の2本が建設され、裏参道は乗馬道として利用されていたが、戦後、首都高速道路の一部に転用。 表参道が整備された翌年にケヤキ200本が植樹された。
表参道の歴史
1920年、東京市電の走っていた青山通りと明治神宮を結ぶ路線バス、「表参道バス」の運行が開始。 1927年、同潤会渋谷アパート(後に青山アパートと改称)が建設。 戦後、アメリカ軍が明治神宮に隣接する代々木公園に軍施設、ワシントンハイツが建設。 1960年、原宿セントラルアパート、高級マンションのコープオリンピアが建設。 2003年、同潤会青山アパート跡地には表参道ヒルズが開業。
ハロウィン
毎年10月31日のハロウィンの時期になるとJR東日本の原宿駅、東京地下鉄の明治神宮駅、表参道駅付近の表参道でイベントが開催され、コスプレイヤーを中心としたパレードや抽選会などが行われている。
1949年、日本の私立大学として設置。 明治時代、学校法人青山学院は米国メソジスト監督教会から派遣された宣教師のD.E.スクーンメーカー、ジュリアス・ソーパー、ロバート・S・マクレイらによって設立された女子小学校、耕教学舎、美會神学校という3つの学校を母体とするキリスト教主義学校(ミッションスクール)。 学院院長・理事長および大学長・短期大学長を除く設置学校の長はキリスト者であることが義務付けられているとか。 その為、教育の基本は「キリスト教」で「キリスト教概論」の講義は、建学理念のバックボーンを理解するために必修科目として位置づけられている。
青山学院大学 青山キャンパス
前身にあたる東京英学校は築地から移転して東京英和学校となった。 江戸時代は藤原北家花山院流で譜代大名、明治時代は華族の青山氏の邸宅があったことから「青山」と呼ぶようになった。 それを由縁として「青山」が冠され、ミッションスクールとして、「College」の「学院」として「青山学院」と命名。 また、キリスト降誕に当たるクリスマスになるとクリスマスツリー点火祭りが開催、幼稚園から大学院まで共同で行う。
1969年、国際連合事務総長ウ・タントが構想を提案し、国際連合大学憲章が国際連合総会で採択されて設立された。 1975年、日本では唯一の国連機関であり、国際連合(国連)の自治機関として開設された。 通称、国連大学。 国連及びその加盟国に関連する緊急性の高い地球規模課題の解決に取り組むため、共同研究、教育、情報の普及、政策提言を行っており、全学生のうち、半数以上が外国出身である。 名称は「大学」であるが、日本国の学校教育法第1条に規定されている大学とは関係ない。
1985年、厚生労働省が児童の健全な育成を目的として、施設「こどもの城」を開設した。 正式名称、国立総合児童センター。 館内には劇場(青山劇場、青山円形劇場)、宿泊施設、医療機関、スポーツ施設、造形スタジオ、音楽ロビーがあった。 現在、こどもの城は閉鎖され、岡本太郎作のシンボルモニュメント「こどもの樹」が設置されている。
東京都千代田区から東京都渋谷区までを結ぶ国道246号線の一部。 金王坂の名称は金王八幡宮に由来。 金王八幡宮は渋谷城址に創建。 平安時代、渋谷氏が住み、河崎基家(渋谷重家)によって渋谷城を築城。 城周辺には渋谷川を利用した水堀が存在。 平安時代、河崎基家の没後、渋谷金王丸が城主となった。 室町時代、北条氏綱による関東攻略の際、後北条氏の別働隊によって焼失。 江戸時代、神社に隣接する澁谷山親王院 東福寺(天台宗)は別当寺であった。 社名の「金王」は、重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれ、金王丸と称したことに由来。
青山通りとは、東京都千代田区から東京都渋谷区までを結ぶ国道246号線の一部。 江戸時代、厚木街道と呼ばれ、五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)に次ぐ主要な街道の一つであった。 明治時代、市電が青山通りの三宅坂から青山4丁目まで開通、内堀通りから渋谷まで開通。 太平洋戦争ではアメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって、赤坂地区(赤坂・青山の旧赤坂区)は被災した。 被害率は約98%にも達していたとか。 1962年、1964年の東京オリンピック開催に伴い、「青山通り」が正式名称となった。
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渋谷区は千代田区、中央区、港区、新宿区と並ぶ「都心5区」の一つ。 また、渋谷は新宿、池袋と並ぶ3大副都心の一つとなっている他、代々木や千駄ヶ谷はオフィス街・繁華街となっている。 また、青山(港区)に隣接する原宿・表参道はファッションの中心地として知られる。 代官山周辺や恵比寿などには商業施設やファッション関連が集中する。
犬種は秋田犬。 名前はハチ。 愛称はハチ公。 1934年、渋谷駅前に銅像「忠犬ハチ公像」が設置。 ハチとは飼い主の上野英三郎氏が死亡した後も渋谷駅前で帰りを約10年間、待ち続けた忠犬。 上野英三郎氏は東京都渋谷区松濤一丁目に住んでいた東京帝国大学農学部教授で、愛犬家であった。 1923年、秋田県大館市の斉藤義一宅でハチは誕生。 父犬の名はオオシナイ(大子内)、母犬の名はゴマ(胡麻)。 ハチは大館駅を出発して東京の上野駅に到着し、「ジョン」と「エス」とともに飼われていた。 1925年に上野英三郎氏が死去。 以後もハチは駅前で待ち続け、新聞記事に掲載。 銅像「忠犬ハチ公像」の除幕式にはハチも参列。
忠犬ハチ公像
ハチは上野の妻で八重の親戚の日本橋伝馬町の呉服屋、浅草の高橋千吉(高橋子之吉)宅へ預けられたが再び、渋谷の上野宅に戻る。 以後、上野宅出入りの植木職人の小林菊三郎宅へ預けられた。 ハチが世界的な愛犬団体「ポチクラブ」から表彰、映画「あるぷす大将」(監督:山本嘉次郎)に出演。 1935年、渋谷川に架かる稲荷橋付近で死亡。 戦時中、金属供出によって忠犬ハチ公像が解体。 1948年、再建。
渋谷駅前の渋谷ハチ公前広場に開設された観光案内所。 施設は、電車のモニュメント。 名称の「青ガエル」は、車体の特徴である緑色と丸みのある形状から、「青ガエル」「雨ガエル」の愛称で親しまれてきた東京急行電鉄(東急電鉄)5000系の車両であることに由来する。 1954年から1970年までの間、東横線として実際に使用されていた。 現在の観光案内所では、渋谷区内を中心とした観光案内や情報発信を行っている。
1934年、創業。 1954年、西館を増築。 1970年、南館を増築。 西館には、大劇場「東横ホール(東横劇場)があり、歌舞伎公演、新派劇や落語などの舞台上演の場として人気を集めていた。 中心顧客である働く女性に「渋谷でのアフター6を楽しんでもらう(午後6時以降)」ことを目的に、女性社員18名で構成されたプロジェクトチーム「渋6組(しぶろくぐみ)」が結成。
1980年、新島の東京都移管100年を記念して、新島から渋谷区へ寄贈されたもの。 イースター島のモアイ像と似たデザインとなっているが、2種類の顔を持ち、胴体部分はなく頭髪を加えているのが特徴。 国民的に人気アニメ「ルパン三世」のキャラクターで主人公の「ルパン三世」に盗んでほしい物を募集する企画があった。 2009年、「モヤイ像を盗む」という「犯行予告」が行われ、盗み出された。 モヤイ像のあった場所にはルパンのサインが残された。 モヤイ像は実際、新島に輸送され洗浄を行なった後、同所に戻された。
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渋谷駅前にある商店街。 ここでは、飲食店、雑貨店などが軒を連ねている。 かつて、宇田川が流れ、周辺には住宅や商店が密集していた。 名称の「センター街」とは現在、メイン通り、センターこみち、文化村通り、井の頭通り、宇田川通りなどを含む。 2011年、センター街のメインストリートを「バスケットボールストリート」(通称、バスケ通り)に改名。 現在、「バスケットボールストリート」は廃止、渋谷センター街となった。
バスケットボール
ただ、「怖い・危ない街」という印象が定着していたことから、若者の持つ「情熱」や「エネルギー」を、異なった印象を持つ「スポーツ」と結びつけ、渋谷の「若者・ファッション・音楽・文化・国際性」という持ち味を表現できるのは「バスケットボール」であると判断したからという。 国立代々木競技場第二体育館は、日本におけるバスケットボールの聖地として知られている。
「イースト」と「ウェスト」の2棟で構成された複合施設である。 2000年、コンセプトは「オトナ発信地」として開業し、渋谷で生活する20歳代後半以上の女性をターゲットにしている。
渋谷駅周辺に位置し、さくら通りという名称で親しまれている通りがある桜丘町はかつて住宅地であった。 最近では、オフィスビルや飲食店などを中心とした商業地としての一面も持っている。 さくら通りでは、桜並木として整備され、春になると、多くの花見客でにぎわうとか。