
温泉のまち熱海の日常を散策
静岡温泉のまち熱海の日常を散策
まいどまいど! 関西を代表する温泉の町っちゅうたら、兵庫県では豊臣秀吉がこよなく愛した有馬温泉をはじめ、城崎温泉、洲本温泉、赤穂温泉、大阪府では箕面温泉、京都府では夕日ヶ浦温泉、和歌山県では白浜温泉、勝浦温泉、滋賀県では雄琴温泉などが挙げられまんねやけども、中部地方に属している静岡県を代表する温泉の町の一つが熱海やおまへんか。 熱海市内の中心地にある熱海駅前付近には温泉施設をはじめ、ぎょうさんのホテルや旅館などの宿泊施設があり、かつては徳川家康もこよなく愛したという熱海の温泉を心行くまで楽しむことができまんねん。 ほんでまた、海に近く、夏になると、海水浴客でにぎわってはりまんな。 その他、食にも力を入れてはりまして、名物の熱海温泉熱海プリンや温泉饅頭だけやなく、かつてはぎょうさんの文豪が統治で執筆し、ゆかりの地であったことから、尾崎紅葉、志賀直哉、谷崎潤一郎らの伝説も残ってはりまんな。 最近でも天皇の御用邸として、政治家や政治高官らが来遊する場所の一つとしても愛されてきた熱海。 今回は、ぶらぶらと散策してみることにしまひょ!
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東海旅客鉄道(JR東海)、東日本旅客鉄道(JR東日本)の停車駅の一つ。 ここでは、東海道新幹線、JR東日本とJR東海の東海道本線、伊東線が乗り入れる。 1925年、開業。 1964年、東海道新幹線の熱海駅が開業。 旧熱海駅舎「熱海駅デパート」は現在地の南隣りに所在した。 「熱海アボンデ」として改称後、「熱海ラスカ」に改称した。 2016年、湘南ステーションビル熱海店(ラスカ熱海)が現在地に開業。 熱海の名産物やお土産などが並ぶ。 駅前には小田原と熱海間を結んでいた熱海鉄道旧軽便鉄道線で使用されていた車両が静態保存、準鉄道記念物に指定されている。
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熱海鉄道
熱海は地形が険しく、交通が不便であったため、地元民らによって鉄道の敷設運動が活発化。 小田原馬車鉄道の馬車鉄道は国府津駅前から小田原市内までを結び、それに合わせて鉄道を敷設を計画したが、人力で車両を押す人車軌道に規格を変更、豆相人車鉄道が開通。 1907年、蒸気機関車牽引の軽便鉄道に切替え、7号蒸気機関車を導入。 大日本軌道に買収され、小田原支社管轄となる。
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熱海鉄道
1922年、新東海道本線の小田原駅と真鶴駅間が「熱海線」として開業、一部区間を廃止、関東大震災によって被災して廃止。 熱海線は熱海駅までの区間が開業、丹那トンネルが開通して東海道本線へと改称。
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熱海駅前にある天然温泉。 2004年、徳川家康来熱400年の記念事業として天然温泉の足湯として設置。 温度は、約41度(源泉は約68度)。 泉質は、ナトリウム、カルシウム、塩化物。 効能は、神経痛、筋肉痛、関節痛、打ち身、慢性消化器病、冷え性、疲労回復、切り傷、火傷など。
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熱海駅前にある商店街。 飲食店や喫茶をはじめ、特産物やお土産が並ぶ他、熱海プリンや温泉まんじゅうなどを味わうことができる。
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平和通り商店街
飲食店や喫茶をはじめ、特産物やお土産が並ぶ他、熱海プリンや温泉まんじゅうなどを味わうことができる。
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昔懐かしのプリンの味を再現したという熱海プリンは、行列のできる人気店の一つ。 熱海プリンはテイクアウト専門。 店舗横ではスペースがあり、ごみ箱などが設置されている。
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かばマーク
プリンのパッケージに描かれている「かばマーク」は、熱海をイメージしたとか。
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かばさん」をモチーフ
熱海温泉は塩分が多いのが特徴で、塩が好物の「かばさん」をモチーフにした熱海プリンが誕生したとか。
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温泉玉子プリン
温泉玉子プリンは、甘いプリンの上に温泉玉子を割って乗っけてから食べる。 瓶に入った熱海プリンは、チーズプリンやフロマージュプリンなど、いろんな味を楽しむことができる。
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薄皮まんじゅう、利久まんじゅう、温泉まんじゅうなど温泉饅頭を中心に販売する和菓子の専門店。 特に饅頭は、第19回全国菓子大博覧会褒章之證で名誉大賞を受賞。
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温泉饅頭
味は、つぶあんやこしあん、しろあん、サツマイモあん、グリーンピースあんなどがある。
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泉質は、カルシウム、ナトリウム、塩化物、硫酸塩泉。 効能は、神経痛・関節痛・疲労回復など。 地蔵尊が隣接し、お湯かけ地蔵さんが鎮座し、「お湯かけて夢がかなって幸せに」との言葉が添えられている。
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夏は海水浴場としてにぎわう。 夜間は、世界的に有名な照明デザイナーの石井幹子氏が手がけた日本初のビーチのライトアップも行われ、毎日、幻想的な世界へ来場者を誘う。 また、釜鳴屋平七夫婦像が建立されている。 釜鳴屋平七とは、江戸時代に活躍した漁場騒動の指導者。 1828年生まれ。 伊豆の熱海村の網主であったが、鮪網の権利を独占する村役人に対し、韮山代官所にて直訴した。 捕らえられ、八丈島へ遠島途中の大島にて死去。
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静岡県熱海市渚町15
熱海市は北イタリアのサンレモ市と姉妹都市であり、地形と街並みが似ていることから、 地中海北部のリゾート地のイメージで整備されたという。 「スカイデッキ」は「南欧・コートダジュール」をイメージ、 「レインボーデッキ」は「北イタリア・サンレモ・リヴェラ海岸」をイメージ、渚小公園とペデストリアンデッキで結ばれたエリアは、「南イタリアのナポリ海岸」をイメージしたという。
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国道135号線沿いに植えられた松。 明治時代以後、多くの文豪が居を構え、名作を執筆。 その中でも代表的な作品の一つが「読売新聞」「新小説」に掲載された小説「金色夜叉」。 「金色夜叉」は尾崎紅葉が執筆、この小説に登場する「お宮の松」「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる歌謡が全国的に有名となった。 小説に登場する主人公の「貫一・お宮」は架空の人物であるが、実在した人物のような存在になった。 1919年、初代の松は「羽衣の松」と呼ばれていたが、紅葉の弟子・小栗風葉により、金色夜叉の句碑が建立され、お宮の松と呼ばれた。 現在、舘野弘青作の「貫一・お宮の像」が建立、「お宮の松」が植樹されている。
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熱海銀座通り商店街では戦後直後に建てられた建物が現在も店舗として利用されていることから昭和時代の雰囲気を今に伝えている。 また、熱海の名産品や特産品、和菓子、遊技場など約50店舗が軒を連ねている。
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1946年創業の養殖の老舗。 特にビーフシチューは志賀直哉や谷崎潤一郎も愛したといい、今も創業当時から変わらぬレシピと秘伝のソースで1週間は煮込んでいるとか。
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昭和時代の雰囲気を今に伝える店舗の一つとして知られ、カレーとライス、サンドイッチなどが販売されている。
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カツカレーも人気
チキンカレーやハヤシライスがある他、静岡県産ブランド豚ふじの国を使用したカツカレーも人気。
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カツカレーも人気
チキンカレーやハヤシライスがある他、静岡県産ブランド豚ふじの国を使用したカツカレーも人気。
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源泉「熱海七湯」の一つ「佐治郎の湯」は、佐治郎氏の邸内にあったことから「佐治郎の湯」と呼ばれるようになった。 明治時代、源泉は上杉助七市の邸内になった。 後に、新かど旅館の所有となったことから、「新かどの湯」と呼ばれるようになった。 効能は、火傷、眼病であることから、別名、「目の湯」と呼ばれている。
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源泉「熱海七湯」の一つ「風呂の湯・水の湯」で、「風呂の湯」は、湯気の上騰が盛んであったため、饅頭を蒸したり酒を温めて販売していたという。 効能は、外傷など。 また、「風呂の湯」の隣では塩分の無い温泉が湧き出し、淡白無味常水を温めていたことから、「水の湯」と呼ばれている。
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源泉「熱海七湯」の一つ「大湯間歇泉」は、古くから間歇泉で世界的にも有名な自噴泉であった。 「大湯」の噴出は昼夜6回で、交互に激しい勢いで吹き出し、地面が揺れるようであったとか。 1923年、活動は休止。 1962年、市の文化財として保存。
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古くから、熱海は温泉街としての賑わいを見せ、全国各地から多くの観光客が訪れた。 明治時代、多くの政治家や政府高官が保養や会談のために来遊。 この時、政治家や政府高官は東京との連絡が多かった為、東京と熱海間に電話回線が敷かれた。 東京の電話交換業務を開始したのは、約2年後。 その間、熱海側は内務省(熱海電信局)、東京側は木挽町に東京電信局を設置、通話料の他、呼出手数料も徴収して、日本で初めてとなる公衆電話の取扱いを開始。 当地に設置された公衆電話は、明治100年を記念して、日本初のボックス公衆電話(明治時代、東京の京橋周辺に設置。ボックスは六角形で白塗り)を模して復元したものを、改装した。
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祭神は、少彦名神。 社前では走り湯と並び熱海温泉本来の源泉とされる大湯が湧いている。 749年、小児に神託が下り、諸病を除く効果があるので温泉を汲み取って浴せよとの神教があった。 その報恩として祠を建立し、少彦名神を祀ったのに創まる。 700年代、箱根山の金剛王院(現在は廃寺)に住した万巻満願上人は、熱海の海中に温泉が湧き、その熱湯で多くの魚介類が死んでいたのを哀れみ、海浜に祈祷の壇を築いて100日間の勤行に励んだ。 満願の日、内陸部へと湯脈が移ったので、その傍らに「湯前権現」と称して温泉の守護神として祀るようになった。 毎年2月と10月に熱海湯まつりが開催される。
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境内の雰囲気
江戸時代、江戸城へ熱海温泉の湯水を献上した古例に因んで、初日に「湯汲み道中」が再現され、温泉を入れた湯おけを手にパレードが行われる。 また、神前に大湯の温泉を献じる「献湯祭」が行われる。
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1941年、温泉旅館として創業(現在は日帰り温泉施設)。 別名、出世の湯。 大湯の間欠泉は、世界の三大間欠泉の一つ。 700年代、箱根山の金剛王院(廃寺)に住した万巻満願上人は、熱海の海中に温泉が湧き、その熱湯で多くの魚介類が死んでいたのを哀れみ、海浜に祈祷の壇を築いて100日間の勤行に励んだ。 満願の日、内陸部へと湯脈が移ったので、その傍らに「湯前権現」と称して湯前神社を建立、温泉の守護神を祀った。
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徳川家康も愛した温泉
江戸時代、徳川家康は義直、頼宣の2人を連れて湯治に訪れた。 徳川家康は、京都で病気療養中の吉川広家のお見舞いとして熱海のお湯を運ばせた。 以後、歴代将軍も湯治に訪れ、熱海から江戸まで約15時間かけて定期的に檜の樽で運ぶ「お汲み湯」を行った。
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2017年、熱海市の市制80周年に合わせてリニューアルオープン。 あたみ桜、梅(冬至梅と八重寒紅)、ブーゲンビリア等が植樹されている。 明治時代、三菱合資会社の岩崎弥太郎によって管理したが、宮内省が無償取得。 1888年、天皇の養育主任・曾我祐準は、熱海温泉におけるリュウマチ療養の経験に基づいて推挙し、明治天皇の皇太子・明宮嘉仁親王(大正天皇)の避寒・療養地の為、熱海御用邸が造営。 邸内には「大湯」が引湯、馬場も設置。 1911年、皇太子の昭和天皇や高松宮、秩父宮の皇孫が滞在。 1928年、廃止。 以後、裁判所、図書館に転用され、御用邸御殿は撤去後、熱海市役所となった。
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1919年、岩崎別荘、住友別荘と並ぶ熱海の三大別荘の一つ称賛される別荘が築かれた。 和館「麒麟・大鳳」は内田信也によって築かれ、実母の静養の場所として利用された。 畳廊下の窓ガラスは、当時の職人が一枚一枚、丁寧に流し込んで作った「大正ガラス」を使用しているため、歪みがあるのが特徴。
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広い庭
群青色の壁は、「加賀の青漆喰」と呼ばれる石川県加賀地方の伝統的な技法として知られている。 洋館は根津嘉一郎によって築かれた。
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ヨーロッパ風
玉姫は、暖炉があるヨーロッパのデザインが特徴で、日本の神社仏閣に見られる建築様式「折上格天上」などが用いられ、「喜」の文字をデザインした中国風の彫刻や唐草模様の彫刻などが飾られている。 玉渓は、ヨーロッパの山荘風の造りが特徴で、中世英国の「チューダー様式」に「名栗仕上げ」を取り入れたという。
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まるで海外のよう
金剛は、暖炉上方のスペード、ハート、ダイヤ、クラブを象った模様をはじめ、草花の模様などが、螺鈿細工によって施されている。
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和風のお部屋も
和館「孔雀」は、「床の間」や「付け書院」があり、和館「麒麟」に隣接していたが、現在地に移築され、。 1947年、旅館として営業し、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳らが宿泊したとか。 施設内では、緑豊かな庭をはじめ、日本、中国、欧州などの装飾や様式が融合されている。
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ローマ風浴室
ローマ風浴室は、ステンドグラスの窓やテラコッタ製の湯出口などがある。
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静岡県熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設。 1959年、観光施設を目的に海抜100mの位置に建設された。 外観5重、内部9階。 日本の城郭のような天守を模した天守閣風建築物である。 浅野祥雲作の天守からは、熱海市街を一望することができる。 208本の桜が植樹され、3月下旬から4月上旬にかけて見頃を迎える。 また、「熱海城桜まつり」が開催される。 かつて、地下に温泉施設があり、宿泊棟も存在したが、閉鎖された。