商業の中心地・御堂筋を楽しむ(南編)
大阪商業の中心地・御堂筋を楽しむ(南編)
まいど! 大阪の政治と経済を担う大動脈ともいわれ、かっこええ高層ビルが建ち並ぶ御堂筋。 場所は大阪梅田駅前近辺を始点に船場・本町を経由して、難波を終点に約4km。 大阪国際女子マラソンや大阪マラソンなどの大規模なイベントで使用され、全国的に知られてますのとちゃいますやろか。 京都では一般的に、道の名称を「通」としているが、大阪・神戸では、南北に通る道を「筋」、東西に通る道を「通」とする場合がほとんど。 たとえば、京都では東西南北に関係なく四条通、烏丸通としているが、大阪では南北に通る道では御堂筋、堺筋、谷町筋のように「筋」を、東西に通る道では曽根崎通、中央大通、千日前通として古くからつこてはります。 そんな京都と大阪の文化の違いを知りつつ、御堂筋、中央大通など筋と通の違いを見ながら散策するとなお一層、楽しめることでしょう。 また御堂筋、堺筋界隈では江戸時代より「あきんど」のまちとして栄え、大阪証券取引所、大阪商工会議所が。 庶民の楽しみの一つとして文楽が生まれた。 その他、今に残る塾(学校)跡や商店跡、明治・大正・昭和に流行した西洋風の近代建築物など、南御堂を中心に楽しみまひょ!
国道「御堂筋(みどうすじ)」。 名前は、沿道に北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(難波別院)があることに由来する。 全長4027メートル、幅43.6メートル、全6車線の幹線道路である。 日本の道100選のひとつ。 沿道には約887本のイチョウが植えられている。 2007年10月、路上喫煙禁止条例を施行。 起点は、大阪市北区にある阪神前交点。 終点は、大阪市中央区にある難波西口交点。 江戸時代以来は、「淀屋橋筋」と呼ばれていた。 道幅は約6m。 1937年に現在のような形になった。 公共交通機関では、地下鉄御堂筋線、市営バス103号系統が走っている。
歩行者天国
毎年、定期的に御堂筋の一部を車両の通行止めにしてイベント会場へと様変わり。 イベント会場は歩行者天国となり、車道を自由に行き来することができる。
銀杏並木
秋になれば、大阪のメインストリート・御堂筋もイチョウが美しい銀杏並木へと変わる。
イルミネーション
冬になれば、中之島界隈を中心にイルミネーション輝く大阪へと変貌を遂げ、御堂筋沿いに建つビルと重なり合い、幻想的な世界へと観光客を誘う。
祭神の五柱を総称して、「坐摩神」と称している。 祭神は、生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神。 坐摩巫によって神祇官西院で祀られていた。 1583年、現在地に遷座した。 1960年、戦火により焼失した社殿を復興し、今も陶器祭りが行われている。 境内社の陶器神社では、御祭神は、大陶祗神、迦具突智神を祀る。 陶器問屋、繊維問屋の守護神で、境内には、大阪府神社庁のビルがあり、当社は社務所を兼ねている。
陶器祭
旧瀬戸物町の鎮守で、7月22から26日の祭礼で展示される、
陶器祭
皿・茶碗などの陶器で飾りつけた瀬戸物人形は、大阪の夏の風物詩として知られている。
陶器祭
当日周辺の陶器問屋街では陶器の廉売りも開催されている。
かつて、ここは、上方落語寄席の発祥地として知られ、人気を集めている。 江戸時代末期、初代桂文治によって、坐摩神社の境内で小屋を開設し、本格的に活動し始めたことによる。
松尾芭蕉は、江戸時代に活躍した三重県伊賀市出身の俳諧師である。 紀行文「奥の細道」などで知られている。 などの紀行文や名句を生み、俳聖と呼ばれるまで至った松尾芭蕉を弔った場所。 その後、俳聖と呼ばれる。 1694年、この地で生涯を終えたとされる。
kitchen座和炉 ドアを開けると奥から、いらっしゃいませ!との声。 こちらの席へどうぞ。 メニューは、すわろ弁当、和定食など。
かつとじ丼定食
割り箸でかつとじ丼をつついて口へ運ぶと、少し甘い感じがした。 うどんも麺にコシがあって、出汁も飲みながら楽しめる。
真宗大谷派の寺院である。 通称、南御堂と呼ばれ、本尊は阿弥陀如来である。 1591年、大阪市北区の地に本願寺第12世教如により創立された。 1598年、現在地に移転。 1602年、東本願寺(京都市)が建立されるまでは、当寺は同派の本山であった。 御堂筋(大阪市中央区)と言う名は、北御堂(大阪市中央区)と南御堂に由来する。 1945年、戦火により焼失。 1961年に再建された。
ブットンくん
真宗大谷派大阪教区として知られる通称「南御堂」で活躍する。 年齢は9歳。 好きな食べ物は、白いご飯。 苦手な食べ物は豚カツとのこと。 仏様への恩を忘れないとの願いから、ブットン(仏恩)くんと名付けれられたという。
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主祭神は仁徳天皇、配祀は素盞嗚尊。 400年代、大阪府松原市で創建された。 943年、大阪市天王寺区上本町に遷座。 1597年、大阪市中央区に遷座。 1974年、再建された。
稲荷社文楽座跡
1811年、二代目文楽軒のとき、この場所に小屋を建てた。 1871年、文楽軒の芝居と呼ばれ、全盛期を迎えた。 これが今日の「文楽」の名称のもととなったと言う。
難波神社と文楽
1811年、植村文楽軒が人形浄瑠璃小屋を開場したが、その後すぐに、移転。 1856年、再び、当地に復帰した頃に「文楽軒の芝居」と呼ばれる。 1872年、大阪市西区九条に移転。 1884年、三味線の豊沢団平氏が当地に「彦六座」を開場し、「文楽軒」も当地に復帰を果たす。 その後、彦六座は解散し、小屋は稲荷座と改称した。
「どぶいけ すとりーと」と呼ばれている。 1954年、丼池問屋街が設立された。 1989年、丼池問屋街を解体し、丼池卸連盟が設立された。 1993年、大阪で初めてできたと言うアーケードを撤廃した。 丼池筋は、繊維商品を中心に栄えてきた。 「せんば丼池問屋街」と呼ばれ、その活気が残る。 現在、丼池ストリート呼ばれる筋名となった。
1825年、三木佐助氏が楽器販売店を創業。 1925年、鴻池組によって建設された。 1階は、ピアノ売り場、2階は、ピアノサロンとなっている。
1878年、明治維新後、大阪の経済発展を願って、大阪商法会議所が開設された。 初代会頭は、五代友厚(ごだいともあつ)氏。 1928年、「大阪商工会議所」となり、現在に至る。