7羽の鶴とエッグの相模原
神奈川7羽の鶴とエッグの相模原
まいどまいど! 閑静な住宅街に囲まれた場所に佇む神社や寺院。 せやけどほんの少しだけ歴史をたどると、いろんなものが見えてきはりまんな。 神奈川県の相模原市の南区という場所には、古くから地域の人々に愛されてきた鹿島神社や自由民権運動での一つの舞台となった青柳寺。 ここには過去の歴史を今に伝えようと、小さな石碑が境内にひっそりと建立されてはります。 ほんで、近年の調査で明らかとなった関東ロームという存在。 相模原市内にある公園では数万年前という過去の地層を今でも見られるっちゅうてめっちゃ貴重でんねん。 ほんでまた、相模大野には7羽の鶴に関する伝説も残っているという。 鶴は千年長生きすると言われ、白を意味し、「清楚」「上品」を表現。 そんな街の一角で養鶏場が集中していて新鮮な卵が販売されているだけでなく、新鮮で美味しい卵を使用したスイーツやランチが味わえるレストランも。 小田急線相模大野駅前にはぎょうさんの商業施設や商店街が連なり、にぎやか街並みも。 手作りの美味しいお弁当を頬張りつつ、鎌倉道を散策しつつ、街歩きを楽しもう!
1929年、大野信号所が開設。 1938年、付近に陸軍通信学校が開校し、通信学校駅として開業。 1941年、相模大野駅に改称。 小田急電鉄小田原線と江ノ島線の停車駅の一つである相模大野駅にある複合型商業施設。
ステーションスクエア
A館は「ミロード」、B館は「エクサイト」。 かつて、小田急百貨店相模大野店が営業していたが撤退。
専門店ビル(都市型ショッピングセンター)「MORE‘S(モアーズ)」。 1890年、神奈川県警川崎分署の警察官をしていた岡田宗直が川崎市川崎区で質屋を開店。 1933年、岡田屋呉服店を開店。 1963年、百貨店として営業開始。 1967年、横浜岡田屋を設立。 1992年、相模大野岡田屋モアーズが開業。
大型複合施設。 2012年、一般公募した再開発事業のタウンネーミングが「bono(ボーノ)相模大野」に決定。 2013年、商業施設部分がグランドオープン。 2016年、ショッピングセンターが食の専門店フロア「ボーノ食専館」としてリニューアル。 駅と施設の間にペデストリアンデッキ「サンデッキ」が設けられた。 北棟のノースモールと南棟のサウスモールの間を通る連絡通路は愛称「ボーノウォーク」。 施設内にはスーパーマーケット、食料品ゾーン「ボーノ食専館」、飲食店街「ボーノ横丁」、スポーツジム、屋上庭園「Saga-niwa」など。
飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ商店街。 全長約150m。 コリドーとは回廊の意味。
小田急電鉄小田原線と江ノ島線の相模大野駅周辺にある商店街。 南新町商店街を中心とし、愛称がハナミズキ通り、モザイク通りなどがある。 1938年、日本陸軍の教育機関である陸軍通信学校の開校に伴い、小田急電鉄「通信学校」駅が開業。 1941年、駅所在地「高座郡大野村」に因み、「相模大野」と改称。 1987年、商店街として発足後、マスコットキャラクター「みなみん」が誕生した。 「みなみん」は、鶴がモチーフ。 かつて駅周辺には深堀川が流れ、鶴が飛来してきたことから。
7羽の鶴
所在地の旧名称「上鶴間」には7羽の鶴にまつわる言い伝えがある。 鶴は千年長生きすると言われ、白を意味し、「清楚」「上品」を表現。
7羽の鶴
イメージフレーズは、「故郷の懐かしい感覚を誘発する街」「身近な暮らしが感じられる商店街」「手作り感覚の優しさがある商店街」「暖かみ、親しみのある商店街」。
製造工場は相模原市南区上鶴間。 町田や相模大野を中心に弁当、総菜を製造販売、仕出し弁当を配達しているという。 昔ながらの家庭の味を楽しん見ることにしましょう。
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日蓮宗の寺院。 山号は方運山。 旧本山は小町本覚寺、潮師法縁。 1499年、日朝が結んだ草庵清龍寺が起源。 1583年、渋谷義重(足利義昭に仕えていた武士)によって開基、律正院日題を開山に創建。 本覚寺(神奈川県鎌倉市)の末寺で(現在は身延山久遠寺の末寺)。 江戸時代、教育の場として寺小屋が開かれていた。 1884年、経済は不況となり、農民は多額の借金を抱えていた。 農民は、金融会社の負債問題を協議するため、青龍寺の境内に集結。 数ヶ月間行われ、武相困民党の先駆けとなり、上鶴間村を先頭に数千人の農民が御殿峠に蜂起、武相7郡150村に及び、大組織に発展。
武相困民党発祥之地
困民党事件は、自由民権運動の影響の下で、借金地獄からの脱出と生存の自由を求めて立ち上がった運動であったが、翌年には弾圧され、沈静化。 現在、碑「武相困民党発祥之地」が建立。 大型の近世上層民家の構達と庫裡の要素を持つ庫裡は神奈川県指定文化財に指定され、相模川自然の村公園に移築、復元。
神奈川県相模原市に鎮座する神社。 祭神は、武甕槌命。 武甕槌命は、鹿島神社の総本社・鹿島神宮(茨城県)の祭神としても知られている。 創建時期など詳細は不明となっている。 町田森野と鵜野森(日枝神社に合祀)と谷口村下森のそれぞれに鹿島神社が鎮座していたため、三鹿島と呼んでいたとか。 1801年、当地へ遷座。 かつて、境川付近に鎮座していた場所は現在、「元鹿島」と呼ばれ、記念碑と石岡が建立。
祭神は、武甕槌命。 武甕槌命は、鹿島神社の総本社・鹿島神宮(茨城県)の祭神としても知られている。 創建時期など詳細は不明となっている。 町田森野と鵜野森(日枝神社に合祀)と谷口村下森のそれぞれに鹿島神社が鎮座していたため、三鹿島と呼んでいたとか。 1801年、上鶴間本町3丁目に遷座。 当地は現在、「元鹿島」とも呼ばれ、記念碑と石岡が建立。
天然温泉が楽しめる施設。 施設内では露天風呂、高濃度炭酸泉、ドライサウナ、溶岩浴の効能を併せ持つ日本初の富士山溶岩蒸風呂などがある。
古淵鵜野森公園内には多目的グランド、屋内外プールなどがある。 また、公園内には数万年前の火山活動によってできた関東ローム(地層)を観察することができる。 関東ロームとは、数万年前の火山活動(富士山、箱根山、愛鷹山、浅間山、榛名山、赤城山、男体山など)によって火山灰層に覆われたものをいい、多摩ローム、下末吉ローム、武蔵野ローム、立川ロームの4層に区分される。 当地はかつて海の底であったといい、火山灰の他、相模川の川底や河原の名残である砂や小石が詰まっている。
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各地より神奈川県鎌倉市内に至る道路の総称。 鎌倉時代、鎌倉政庁が在った鎌倉と各地を結んだ古道については鎌倉往還、鎌倉道、鎌倉海道とも呼ばれている。 鎌倉幕府の御家人が有事の際、「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道として知られ、源頼朝が鎌倉で幕府を開くと、支配力強化のため、鎌倉と東国の各地域を結ぶ道路整備に尽力。 次々と道路網が建設され、鎌倉街道は無数に存在した。 鎌倉街道の幹線道は全国の国府を通り、街道沿いに守護所も置かれた。
ブランド「鳳凰卵」で知られる小川フェニックスが運営するカフェレストラン。 場所は相模原麻溝台地域にあり、古くから養鶏が盛ん。 養鶏家が集まって「麻溝畜産会」を結成し、鶏舎や直売所が点在する市道を「たまご街道」と名付け、地域商業の活性化に取組んでいる。 ここでは養鶏場で採れた鳳凰卵をはじめ、卵を使用したプリンやショートケーキ、カステラ、総菜、弁当の他、地元野菜も販売。
たまごたっぷり
店内ではテーブル席とテラス席があり、卵かけご飯をはじめ、オムライスやカルボナーラなどを味わうことができる。 待ち時間にはゆで卵のサービス(1人2個まで)。
複合型商業施設。 施設内では、飲食店や雑貨店、病院などが営業。
かつて当地には矢部義兼による矢部城(別名、矢部氏館)が築城。 矢部義兼が和田合戦で戦死し、供養を目的に建立されたとか。
別名、矢部氏館。 鎌倉時代、矢部義兼によって築城。 であった 矢部義兼とは平安時代から鎌倉時代にかけて、武蔵国多摩郡横山荘(東京都八王子市)を中心に割拠した同族的武士団の一つである横山党の一員として知られ、武蔵七党の一つに属する。 1213年、鎌倉幕府内で起こった有力御家人和田義盛の反乱により勃発した和田合戦で戦死。 当地には上矢部の土塁が現存する。
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