
相模原市の今と昔
神奈川相模原市の今と昔
まいどまいど! 閑静な住宅街に囲まれた場所に佇む神社や寺院。 でも、歴史をたどってみると、過去のいろんなものが見えてくる。 神奈川県の相模原市の南区という場所には古くから地域の人々に愛されてきた鹿島神社や自由民権運動での一つの舞台となった青柳寺。 ここには過去の歴史を今に伝えようと、小さな石碑が境内にひっそりと建てられている。 そして、近年の調査で明らかとなった関東ロームという存在。 相模原市内にある公園では数万年前という過去の地層を今でも見られるという。 そんな新旧が入り混じる神奈川県相模原市の南区。 手作りの美味しいお弁当を頬張りつつ、鎌倉道を散策しつつ、街歩きを楽しもう!
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神奈川県相模原市に鎮座する神社。 祭神は、武甕槌命。 武甕槌命は、鹿島神社の総本社・鹿島神宮(茨城県)の祭神としても知られている。 創建時期など詳細は不明となっている。 町田森野と鵜野森(日枝神社に合祀)と谷口村下森のそれぞれに鹿島神社が鎮座していたため、三鹿島と呼んでいたとか。 1801年、当地へ遷座。 かつて、境川付近に鎮座していた場所は現在、「元鹿島」と呼ばれ、記念碑と石岡が建立。
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日蓮宗の寺院。 山号は方運山。 旧本山は小町本覚寺、潮師法縁。 1499年、日朝が結んだ草庵清龍寺が起源。 1583年、渋谷義重(足利義昭に仕えていた武士)によって開基、律正院日題を開山に創建。 本覚寺(神奈川県鎌倉市)の末寺で(現在は身延山久遠寺の末寺)。 江戸時代、教育の場として寺小屋が開かれていた。 1884年、経済は不況となり、農民は多額の借金を抱えていた。 農民は、金融会社の負債問題を協議するため、青龍寺の境内に集結。 数ヶ月間行われ、武相困民党の先駆けとなり、上鶴間村を先頭に数千人の農民が御殿峠に蜂起、武相7郡150村に及び、大組織に発展。
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武相困民党発祥之地
困民党事件は、自由民権運動の影響の下で、借金地獄からの脱出と生存の自由を求めて立ち上がった運動であったが、翌年には弾圧され、沈静化。 現在、碑「武相困民党発祥之地」が建立。 大型の近世上層民家の構達と庫裡の要素を持つ庫裡は神奈川県指定文化財に指定され、相模川自然の村公園に移築、復元。
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製造工場は相模原市南区上鶴間。 町田や相模大野を中心に弁当、総菜を製造販売、仕出し弁当を配達しているという。 昔ながらの家庭の味を楽しん見ることにしましょう。
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祭神は、武甕槌命。 武甕槌命は、鹿島神社の総本社・鹿島神宮(茨城県)の祭神としても知られている。 創建時期など詳細は不明となっている。 町田森野と鵜野森(日枝神社に合祀)と谷口村下森のそれぞれに鹿島神社が鎮座していたため、三鹿島と呼んでいたとか。 1801年、上鶴間本町3丁目に遷座。 当地は現在、「元鹿島」とも呼ばれ、記念碑と石岡が建立。
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各地より神奈川県鎌倉市内に至る道路の総称。 鎌倉時代、鎌倉政庁が在った鎌倉と各地を結んだ古道については鎌倉往還、鎌倉道、鎌倉海道とも呼ばれている。 鎌倉幕府の御家人が有事の際、「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道として知られ、源頼朝が鎌倉で幕府を開くと、支配力強化のため、鎌倉と東国の各地域を結ぶ道路整備に尽力。 次々と道路網が建設され、鎌倉街道は無数に存在した。 鎌倉街道の幹線道は全国の国府を通り、街道沿いに守護所も置かれた。
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古淵鵜野森公園内には多目的グランド、屋内外プールなどがある。 また、公園内には数万年前の火山活動によってできた関東ローム(地層)を観察することができる。 関東ロームとは、数万年前の火山活動(富士山、箱根山、愛鷹山、浅間山、榛名山、赤城山、男体山など)によって火山灰層に覆われたものをいい、多摩ローム、下末吉ローム、武蔵野ローム、立川ロームの4層に区分される。 当地はかつて海の底であったといい、火山灰の他、相模川の川底や河原の名残である砂や小石が詰まっている。