
かつての大阪市の中心地・江之子島界隈を散策
大阪かつての大阪市の中心地・江之子島界隈を散策
まいどまいど! 現在の大阪市の中心地っちゅうたら、中央区の大阪城・大阪城公園の目の前にある大阪府庁大手前庁舎、住之江区のアジア太平洋トレードセンター(ATC)やインテックス大阪があるその付近には大阪府庁咲洲庁舎(旧大阪ワールドトレードセンタービルディング)がおまして、北区の中之島と呼ばれる地域に大阪市役所の庁舎が建ってまんねん。 庁舎があるそれぞれの地域では、それぞれの賑わいを見せてはりますが、かつての大阪府と大阪市の庁舎は大阪市西区に置かれ、一時は大阪府と大阪市の業務を兼任してはったとか。 当時、大阪市西区には大阪港の前身にあたる港があり、多くの船が入港し、海外との貿易が盛んでおました。 港周辺では多くの外国人が行き交い、独自の文化が生まれ、外国人が多く住む川口周辺は今も旧川口居留地と呼ばれ、かつての雰囲気を今に伝えてはりまんねん。 さて、今回はかつての政治・経済の中心地でおました江之子島やその界隈を散策していきまひょ。
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1889年、市制・町村制により大阪市が成立した。 また、同時に施行された市制特例により、府庁内に市役所が置かれ、府知事は市長を兼務していたと言う。 1899年、府庁から市役所を独立させるため、この地に市役所を移転した。 1912年、大阪市北区中之島に移転した。
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江戸時代、この付近には、「百間堀川」と呼ばれる川が流れていた。 川幅は約30mだったとされ、橋長35m、幅員16mである。 この川の下流は、江戸堀川や京町堀川、阿波堀川を集めて木津川に合流していたと言う。
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1868年、大阪市中央区本町にある本願寺津村別院に大阪鎮台を設置。 大阪裁判所に改称し、大阪市中央区本町橋の大坂西町奉行所跡に移転。 江之子島に移転後、大阪府立博物場、大阪府立商品陳列所などを経て、現在はマイドームおおさかとなった。 1874年、大阪府に改称し、大阪市西区江之子島に2代目庁舎が完成し、移転した。 大手前に移転後は工業奨励館、後の産業技術総合研究所として使用。 戦災で庁舎が焼失した。 1926年、大阪市中央区大手前に3代目庁舎が完成し、移転した。
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大坂三大市場の一つである雑喉場の魚市が300年続いた。
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2012年、ギャラリーやレンタルスペースの事業を目的として開館。 企画展や公演、セミナー・ワークショップなどが行われている他、展覧会、イベント情報の公開も行っている。
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大阪市西区にある一般住宅。 大正時代、木造2階建の洋館として建設された。 かつて、大阪市西区に大阪府庁があり、大阪府の官舎として建設された。 登録有形文化財として指定された。
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大阪市・ベイエリアへの観光にも便利な施設である。 大阪府下で初めて温泉利用プログラム型健康増進に認定されました。 地下1000mから湧き出た天然温泉は、循環かけ流し方式で豊富な湯量を誇っている。 バージンウォーターを常に供給している。
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江戸時代、薩摩屋仁兵衛は、薩摩堀川を開削し、代々天満組惣年寄を勤めた。 また、この薩摩蔵屋敷に付属し、薩摩定問屋の一人として活躍した。 1868年、自ら火を放ち、消滅した。
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江戸時代、石見津和藩の蔵屋敷があったとされ、蔵屋敷内に井戸があった。 1868年、この井戸水を明治天皇に供した。 このころ、「此花乃井」と名付けられ、通称、「花乃井」と呼ばれる。
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儒学、蘭学、医学、西洋兵隊学に通じ、幕末から明治維新にかけて日本の近代化に非凡な才能を発揮した。 長州藩(現・山口県)の医師だったという。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。 1849年から大阪市西区にある倉敷屋作衛門の座敷に住みながら緒方洪庵の適塾で医学を学び、後に明治新政府の兵部大輔(兵部省次官)となり、近代国家の制定に貢献した。
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大阪上等裁判所とは現在の大阪高等裁判所にあたる。 かつて大阪上等裁判所は西道頓堀の旧金沢邸に位置していた。 江戸時代、薩摩藩蔵屋敷があった。 明治時代、蔵屋敷の廃止に伴い、当地に移転した。
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明治から昭和期に活躍したジャーナリスト。 新聞史研究家、江戸明治期の世相風俗研究家でもある。幼名は亀四郎。 1867年、香川県綾南町小野に生まれた。 "外骨"と言う名で、亀四郎の亀は"外骨内肉"の動物であることにちなみ、自ら正式に改名したもの。 晩年の外骨と生活をともにし、外骨の伝記や復刻本を多数刊行、近代史関係の著作もある吉野孝雄は甥。
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1928年、清水組によって設計され、建設された。
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江戸堀センタービルの地下1階にあり、天然温泉・サウナ、エステ・マッサージ、サロンなどがある。 天然温泉「御隆の湯」は、源泉かけ流しにこだわっている。 全長12mのヒノキの湯船は、床面に天然御影石を敷き詰めている。
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江戸時代に活躍した日本の蘭方医、蘭学者である中 天游。 1783年、京都府・丹後に生まれた。 江戸で、大槻玄沢の私塾・芝蘭堂に入門。 のちに稲村三伯より蘭学や蘭方医学を学んだ。 大坂に移り、靭本町で町医者として開業した。 その後、江戸堀に移転した。 弟子の一人に、緒方洪庵がいる。
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井上操、小倉久、鶴見守義、手塚太郎ら関西の司法官が、児島惟謙、吉田一士らの後援を得て創立した仏法系の私立法律学校。 現在の関西大学の前身である。 1886年、大阪市西区の願宗寺に開校。 1887年、北区の興正寺へ校舎を移転。 1904年、専門学校令により専門学校となる。 1905年、「私立関西大学」と改称。 1922年、大学部と大学予科が現在の千里山キャンパスへ移転、大学令による大学となる。
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