浅草猿若町
東京都台東区浅草6-19-4西詰から言問通り北側一帯、現在の浅草6丁目は昔「猿若町」と呼ばれていました。
江戸時代、日本橋の堺町や葺屋町(現在の人形町近辺)や木挽町(現在の東銀座近辺)では、芝居小屋や人形小屋が繁盛しておりました。
しかし幕府から天保の改革の一環として郊外の浅草に移転を命ぜられます。
町中に散在していた歓楽街を一か所に集約することで風紀紊乱を封じ込めようとの狙いからでした。
幕府は天保13~14(1842~43)年、移転先として浅草観音裏に猿若町を起こします。
江戸唯一の劇場街となった猿若町は浅草観音や吉原遊郭に近いこともあり、空前の繁盛ぶりだったとか。
その賑いは明治時代初頭まで続いたそうです。