木津川飛行場跡
大阪市大正区船町1丁目3通称、大阪飛行場の規模は、約39万㎡。
1923年、水上機能と陸上機能の2種類を備えた民間の拠点空港として開港し、供用を開始。
1938年の発着回数は8800回、年間の旅客は1万人を越えた。
発着数が限界となった他、工業地帯に位置するため、付近の煙突が離着陸時に邪魔となり、地盤が弱いため大阪第一空港(大阪府堺市)、大阪第二飛行場(大阪国際空港)に移転。
方式は、クレーンで引き上げて滑走路あるいは水路に移送する方法を採用。
客室乗務員は当初、エアガール(後のシチュワーデスと呼ばれ、着物を着用した。
廃港後から空襲まで、格納庫などが残り、暁部隊が駐屯していた。