玉出駅周辺のおすすめ文化スポット情報が掲載されているページです。
阿部野神社
北畠親房公とその息子顕家公の祀られている神社です 顕家公の銅像があります!台風の影響を受けたようで本殿の屋根が被害を受けていました。
生根神社
住吉大社摂社であった生根神社から独立したのに始まるとされる。 1966年、戦災の被害に遭い、社殿や社務所などを復興した。 生根神社には、「だいがく(台楽、台額)」が現存し、伝えられている。 古来より、雨乞い神事に使用された、高さ約20mの柱に約70個の提灯を飾り付けた櫓のことである。 1972年、「だいがく」は、大阪府の有形文化財に指定され、夏祭りの二日間のみ一般公開される。
天神ノ森天満宮
1394年から1428年に北野天満宮の分霊を奉斎。 付近には、紹鴎の森。 武野紹鴎とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した商人、茶人として知られる千利休の師匠にあたる。 千利休は、わび茶の専門。 今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられ、子孫は三千家として続いたとか。
大海神社
住吉大社の第1の摂社。海の神様のお社です。ご本殿と同じ住吉造り。重要文化財に指定されています。 海幸彦、山幸彦の神話に出てくる豊玉彦命、豊玉姫命を祀っています。 ご本殿の内部は白い布が掛けられていて、豪華な絵の描かれた金の扉を見ることができませんが、この大海神社は、布がないので、金地に鮮やかな彩色の扉絵を見ることができます。
帝塚山古墳
本来は、明治時代まで「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる二つの古墳があった。 この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。 大帝塚は現在、中学校の敷地となっている。 小帝塚は古墳として現存している。
天下茶屋跡
かつて当地にあった芽木家の跡の一部である。 住吉大社へ行く途中、豊臣秀吉が紀州街道沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋という名前が付いた。 江戸時代、紀州藩主などの諸大名も宿泊したと伝えられる。 明治天皇も、住吉行幸の途中、立ち寄っている。
祭神は、少彦名命。 通称、「奥の天神」や「住吉の淡島明神」と呼ばれている。 式内社で、住吉大社の摂社となっていたが、明治時代に独立し、旧社格は郷社。 また、大阪市西成区に、当社より少彦名命の分霊を勧請した生根神社がある。 社伝によれば、住吉大社の鎮座以前よりこの地に鎮座していると言う。 淀殿が当社を崇敬し、現存する本殿・拝殿を造営した。 毎年、旧暦3月3日は、淡島祭が開催されている。
こつま南瓜塚
住吉大社摂社であった生根神社の玉出の古名である勝間(こつま)村だった。 当地の名産であり、江戸時代の「なにわ野菜」の一つだった「かぼちゃ」を記念した塚だと言う。 勝間商人によって、勝間街道を使って大坂まで行商された。 冬至になると、勝間南瓜神事が行われる。 また、「こつまなんきん」とは、幼い海女の様に、色が黒く、小柄で、体のよく締まった、肌理の細かい女性を、閨房でもてはやす言葉として使用されると言う。
大阪
大阪市住之江区
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