本町駅周辺のおすすめ文化スポット情報が掲載されているページです。
北組惣会所
江戸時代、大阪における惣年寄の会所として設けられた現在の事務所。 惣代は惣会所に住んでいたと言う。
長州藩蔵屋敷跡
加賀屋当主の広岡九右衛門が蔵元を務めた。
大村益次郎先生寓地址
儒学、蘭学、医学、西洋兵隊学に通じ、幕末から明治維新にかけて日本の近代化に非凡な才能を発揮した。 長州藩(現・山口県)の医師だったという。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。 1849年から大阪市西区にある倉敷屋作衛門の座敷に住みながら緒方洪庵の適塾で医学を学び、後に明治新政府の兵部大輔(兵部省次官)となり、近代国家の制定に貢献した。
宮武外骨ゆかりの地碑
明治から昭和期に活躍したジャーナリスト。 新聞史研究家、江戸明治期の世相風俗研究家でもある。幼名は亀四郎。 1867年、香川県綾南町小野に生まれた。 "外骨"と言う名で、亀四郎の亀は"外骨内肉"の動物であることにちなみ、自ら正式に改名したもの。 晩年の外骨と生活をともにし、外骨の伝記や復刻本を多数刊行、近代史関係の著作もある吉野孝雄は甥。
上方落語寄席発祥の地
かつて、ここは、上方落語寄席の発祥地として知られ、人気を集めている。 江戸時代末期、初代桂文治によって、坐摩神社の境内で小屋を開設し、本格的に活動し始めたことによる。
懐徳堂旧阯碑
1724年、中井甃庵(しゅうあん)らによって創設された学問所である。 創設から廃止されるまでの145年間、多くの人材を育てたと言う。 現在、大阪大学では、年に2回、懐徳堂講座が行われている。
中天游邸跡
江戸時代に活躍した日本の蘭方医、蘭学者である中 天游。 1783年、京都府・丹後に生まれた。 江戸で、大槻玄沢の私塾・芝蘭堂に入門。 のちに稲村三伯より蘭学や蘭方医学を学んだ。 大坂に移り、靭本町で町医者として開業した。 その後、江戸堀に移転した。 弟子の一人に、緒方洪庵がいる。
帝国座跡
1901年、オッペケペ一節や壮士芝居で知られた川上音二郎が、新派の拠点として建築した。 大阪で初めてとなる純洋式劇場で「オセロ」「ベニスの商人」などを上演したと言う。
梅川忠兵衛 ゆかりの淡路町
碑が建立された地域である淡路町はかつて近松門左衛門が描いた浄瑠璃の作品「冥途の飛脚」の舞台となった。 近松門左衛門の作品「冥途の飛脚」は、登場する遊女の梅川と養子となった飛脚問屋で亀屋の忠兵衛が過ごしたという実話を題材にしたという。 「冥途の飛脚」は近松門左衛門の代表作「曽根崎心中」「心中天の網島」と並ぶ3大傑作とも評され、石碑が建立された。
INS発祥の地
大阪府大阪市中央区のアーバンエース北浜アネックスビル前に設置された石碑。 INSとは日本のNTT(NTT東日本およびNTT西日本)の電気通信サービスの登録商標。 1988年、旧NTTによって「INSネット64」「INSネット1500」の商標でIインタフェースによる商用サービスが開始。 1998年のNTT再編後、NTT東日本・西日本から提供されている。 「明日への通信 INS発祥の地」の石碑が建立。
天理教飾大分教会
1793年、大塩平八郎中斎が生まれた。 大塩平八郎は、大坂町奉行所の与力で、陽明学者としても知られる。 1837年、飢餓に苦しむ市民の救済に尽力し、武士や農民を率いて、幕府に立ち向かった。 これを後に大塩の乱と呼ばれる。 大塩の乱後、大塩平八郎は靭公園近辺にある美吉屋五郎兵衛宅に潜伏していたと言う。
撞木橋ビル
南北にかかった橋の親柱があります。この橋は「撞木橋」。西横堀に対して垂直に江戸堀があり、それにかかった南北の橋が「撞木橋」なんだそう。撞木橋ビルの1階のレストランの脇です。
大阪
大阪市中央区
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