明延一円電車
兵庫県朝来市佐嚢1842
明延鉱山は752年に開眼した奈良・東大寺の大仏を鋳造するための銅を献上とも。
明治時代、但馬地域に位置する明延・神子畑・中瀬などの鉱山は生野鉱山を本部とする明治政府の直営鉱山となった。
宮内省御料局の所管となり、生野鉱山群と佐渡鉱山群も三菱合資会社に移管。
明延鉱山で錫の鉱脈を発見、三菱による近代鉱山としての開発が開始。
その規模は東洋最大ともいわれ、1987年の閉山時には日本国内のシェアは9割。
明延の地下約1000mまで掘り下げられ、現在も良質の錫鉱脈と日本一の埋蔵量とも。
明延鉱山で採掘した鉱石は、約6km離れた神子畑選鉱場に明神電車で輸送し、銅・銀・錫などの金属に分離。