太田左近像 小山塚碑
和歌山県和歌山市太田1丁目15-31500年頃、紀伊国造第64代紀俊連が、神領保護を目的として太田城の他、秋月城、三葛城を築城、太田左近も関わったとか。
太田城の本丸は来迎寺にあったという。
1577年、織田信長が雑賀城に侵攻、太田左近を党首とする一部の宮郷衆らは織田信長に協力。
雑賀の地から織田信長が撤退、遺恨を持っていた雑賀衆は兵をあげて報復を開始。
織田信長は佐久間信盛を総大将に雑賀を送り込んだが失敗。
太田左近は根来寺の僧兵を味方にして攻城戦が繰り広げられたが、雑賀衆は攻め切れず、雑賀孫一は和睦を申し入れて停戦。