海老江駅周辺のおすすめ文化スポット情報が掲載されているページです。
野田恵美須神社
1115年に創建。 野田城の城郭の一部とされる。 安土桃山時代、織田信長と三好三人衆と間で野田城・福島城の戦いがあった。 野田恵比須神社では、戎様が祀られ、毎年、商売繁盛を願って、笹を奉納する。 10日を本戎、前日を宵戎、翌日を残り福といい、境内では、「商売繁盛で笹もって来い♪」と鳴り響く。 関西では、「戎様」を「えべっさん」と呼び、長年、親しまれてきた。 十日戎の開催中、付近はたこ焼き店などの出店が立ち並び、多くの人でにぎわう。
野田城趾の碑
大阪市福島区玉川付近にあったとされる戦国時代の城郭。 1531年、中嶋の戦い(細川高国と三好元長の戦い)が勃発。 細川高国と関係の深い浦上村宗が築城した。 細川氏綱とは、舎利寺の戦い(細川晴元や三好長慶の戦い)などで活躍した武将。 1570年、三好三人衆は、野田城を増築、籠城した。 1576年、野田城は、織田信長によって落城した。
南桂寺
建立時期など詳細は不明である。 また、松瀬青々のゆかりの地とされ、境内には、「青々先生」と刻まれた碑が建立されている。
松瀬青々旧跡
1872年、松瀬青々は、船場の薪炭商の長男として生まれた。 本名は弥三郎。 北浜上等小学校を卒業後、丁稚奉公や呉服行商となる。 20代後半、子規と会い、勤めていた第一銀行を辞めて上京し「ホトトギス」の編集にあたった。 1900年、大阪へ戻り大阪朝日新聞社に入り朝日俳壇を担当。 1901年、「宝船」(のちに「倦鳥」と改題)を創刊。 1906年、当時の大阪市中央区北浜からこの付近に移った。
天神社
主祭神は、少彦名命、菅原道真。 別名、福島 下の天神。 901年、菅原道真が当社に参拝し海路の平穏を祈ったと言う。 菅原道真は、この辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけた。 以降、当社は人々に天神様として尊崇を集められたことが起源とされている。
了徳院
正式には、如意山了徳院と呼ばれている。 創建時期などの詳細は不明である。 1736年、再興の伝えがある。 戦災で多くを焼失したが、現在も残る山門は、寺院建築丸角流の代表作である。 この付近は「かきつばた」の名所として知られ、芭蕉の句碑が残っている。
大阪
大阪市福島区
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