大阪城北詰駅周辺のおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
大阪城 隠し曲輪
#史跡
坐摩神社行宮
#史跡 #神社
西山宗因向栄庵跡
京橋川魚市場跡碑
石山本願寺の時期に設けられた鮒市場とされる。 明治時代、市場は中之島へ移転した。 現在の大阪中央卸売市場の前身となる。
都島由来記
都島区は、北区や中央区、城東区、旭区に隣接し、JR線や京阪線、地下鉄長堀鶴見緑地線などの公共交通機関がある。 1943年、北区と旭区から再編して発足。 古代、大阪市中央区に日本で初めてとなる本格的な首都「難波宮」が造営され、その付近であったことから「宮向島」と呼ばれるようになったとか。 江戸時代、京街道などの交通の要衝として発展し、宿場町があった。
淀川三十石船舟唄碑
大阪の八軒家・淀屋橋・東横堀・道頓堀と京都・伏見の平戸橋・蓬莱橋・京橋・阿波橋とを結ぶ船着き場の一つ。 淀川上流の枚方市では、「食らわんか」が流行。 三十石船などに、餅・汁・酒などを商っていた小舟で、“餅くらわんか”“ごんぼ汁くらわんか”などと汚い言葉で食べ物を売りにきたことから、“くらわんか舟”と呼ばれるようになった。 毛馬には“毛馬舟”が存在。
将棊島粗朶水制跡碑
将棊島は、大阪市内を流れる淀川の水が寝屋川や鯰江川に逆流し、水害を引き起こしていた。 その後、水害を防ぐため、三つある河川の合流点の綱島から天満橋周辺に隔流堤を築いた。 1873年、オランダ出身の技術者として知られたデ・レーケ、エッシェル、テイッセンが来日。 1874年、将棊島地先にオランダ式の粗朶沈床による水制工を実施。 現在、大阪市旭区の城北公園付近にある淀川左岸にもその名残がある。
天満組惣会所跡
江戸時代、大坂は、大川(旧淀川)を含め、3か所に区分されていた。 大川以北には、天満組。 それ以南の2組はそれぞれ、北組・南組に区分された。
天満の子守歌歌碑
大阪・天満では古くから子守唄がある。 「天満の市」は、大阪へ子守娘が多く出ていた。
天満・京橋・大阪城
大阪市都島区
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