鍛治橋跡
東京都中央区八重洲2丁目4 都 道 405 号線 丁目
当地はかつて江戸城の外濠であった。
1629年、築造。
門に附属する鍛冶橋は現在の丸の内二、三丁目と中央区の八重洲六丁目を結んでいた。
名称は、外堀の門外の町名が南鍛冶町(現在の中央区八重洲二丁目・京橋二丁目)であったことに由来。
江戸時代、御用絵師の狩野探幽の屋敷があった。
門内には大名屋敷が立ち並び、幕末には、津山藩(岡山県)松平家、土佐藩(高知県)山内家が付近に上屋敷を設けていた。
1873年、鍛冶橋門は桝形石垣を残して撤去。
1876年、橋はアーチ橋として再建。
戦後、瓦礫処理で外堀が埋め立てられ、橋も姿を消した。