吉田橋関門跡
神奈川県横浜市中区伊勢佐木町1丁目
1859年、吉田勘兵衛と太田敬明により吉田新田と太田屋新田が埋め立て。
派大岡川には仮橋が架けられ、東海道と横浜港を結ぶ横浜道が整備。
横浜港開港に伴い、外国人居留地と関門番所が置かれ、地名「関内」の由来とも。
1862年、木造の本橋に架け替え。
1869年、灯台技師リチャード・ブラントンにより錬鉄製の無橋脚トラス橋に架け替えられた。
鉄材はイギリス製、橋長は約24m、幅約9m。
日本初の無橋脚鉄製トラス橋、日本で2番目の鉄製の橋梁。
当時、通行料が徴収され「鉄と金銭」から「かねの橋」とも。
五雲亭貞秀「横浜鉄橋之図」、三代目歌川広重「横濱吉田橋ヨリ馬車道之真景」等で取り上げられた。