徳田屋跡
神奈川県横須賀市東浦賀2丁目7-6
1811年、浦賀には商人や文化人、各藩の武士等が訪れた。
当時、宿場のない浦賀では商人や文化人は親類縁者を頼った。
各藩の武士も浦賀の商人と取引のあるところで宿泊。
原則、船乗り以外の旅人の宿泊は禁止、一般で通行手形等を所持の場合、村名主が宿場を紹介し、宿泊許可。
東浦賀では徳田屋を含む3軒、西浦賀では吉川屋等の旅籠が許可、徳田屋には多くの武士や文化人が宿泊。
特に「松下村塾」の塾頭・吉田松陰はマシュー・ペリー艦隊の対応策について徳田屋の主人からの情報を下に、師の佐久間象山らと協議。
黒船来航では日本側の防備の実情を知って残念に思っていた。