勝海舟の断食修行の跡
神奈川県横須賀市東浦賀2丁目21-25勝海舟は江戸時代から明治時代にかけて活躍した武士(幕臣)、政治家。
山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれる。
海舟は号で、佐久間象山直筆の書「海舟書屋」からとったもの。
通称、麟太郎。
諱は義邦、明治維新後、改名して安芳。
武家官位である「安房守」を名乗ったことから勝安房に。
新潟出身で江戸に出て米山検校となる。
島田虎之助に入門し、剣術・禅を学んで直心影流剣術の免許皆伝となる。
家督を継ぎ、永井青崖に蘭学を学んで赤坂田町に私塾「氷解塾」を開塾。
安政の改革で才能を見出され、長崎海軍伝習所に入所。
1860年、咸臨丸で渡米、帰国後に軍艦奉行並となり神戸海軍操練所を開設。