黒岡神社
兵庫県揖保郡太子町太田917
763年、5本足の子牛が生まれた。
不吉に思い、朝廷が占わせたところ、異賊に攻撃されて戦乱が起こると託宣が出た。
764年、新羅の軍船2万余艘に攻められ、家島に陣をとった。
朝廷は、弓の名手の藤原貞国を将軍に任命し、異賊の追討を命じた。
貞国は、国分寺・太田寺・松原八幡・魚吹八幡などの寺社に戦勝を祈願し、魚吹津から出陣したところ、大風が吹いて多くの敵船が沈没。
貞国は鉄の鎧を纏った敵の大将を射抜いて勝利をおさめ、西播磨の領主となり、黒岡明神として祀られた。