宝蔵院跡 宝蔵院流 鎌槍発祥之地
奈良県奈良市登大路町55江戸時代、宝蔵院流槍術の流祖宝蔵院覚禅房胤栄は南都興福寺の学侶であった。
武芸を好み、柳生但馬守宗厳と共に上泉伊勢守から刀術を学ぶ。
槍の修練に努め、猿沢池に浮かぶ三日月を突き十文字鎌槍を工夫、宝蔵院流槍術を創めるに至ったという。
槍は通常の素槍に対し鎌槍と称する十文字形の穂先に特徴がある。
宝蔵院は興福寺子院の一つで、中世末・近世初頭以来、当地にあったが、江戸時代に退転。
明治時代、廃仏毀釈の際、取壊され、帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)構内に組込まれた。