史跡石山合戦古戦場 灰賦峠
大阪府泉南郡岬町深日
浄土真宗本願寺勢力(一向宗)と織田信長による石山合戦が勃発。
石山合戦の終結後、鷺ノ森別院に織田勢が押し寄せた。
織田信孝は、泉州路を南進し、深日へ押し寄せた。
「織田勢の先鋒淡輪に到着」の報に、深日・多奈川では鐘や太鼓が鳴り渡り、村人総出の防御線となった。
当時、この付近に陣を張って織田勢を待ち受けて、攻め寄せてきた。
一同家の釜土から持ち出してきた灰が西風に乗って、敵方めがけてまき散らし、手籠に入れた小石を投げつける。
飛道具を持たない村人たちのゲリラ戦法に、織田勢は前進できず、鉄砲をうちかける。
この時、本能寺の変にて、明智光秀による織田信長の死が伝えられ、本隊から制止され、終結した。