開山は中正院日長聖人。
福禄寿を祀る。
大阪七福神の一つに数えられ、多くの人が参詣に訪れる。
1579年、豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。
1712年、焼失したが、復興した。
淀君が建立した本堂、大門等は奈良西之京・薬師寺に移され、現在は慈恩院として活用されている。
淀屋辰五郎が寄進した客殿は奈良・樫原市の愛和之道本部に、鐘楼は茨木市・妙徳寺に、妙見堂は池田市・本養寺に、小門は能勢・安隠寺に移築、現存している。
尚、境内の墓地には赤穂浪士の1人に数えられる原惣右衛門の墓がある。