日本酒の名産地・西宮と灘五郷
まいどまいど! 兵庫県の西宮市では豊かな水源に恵まれ今も昔も日本酒の名産地として名高い。 古くから兵庫県西宮市と神戸市を中心とする西宮郷、今津郷、魚崎郷、御影郷、西郷は、灘五郷と呼ばれ「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地。 かつては伊丹・池田が代表的な酒処でおましてんけど、江戸時代、当時の技術では品質を落とさずに江戸まで酒を輸送するには困難やったさかい、輸送所要日数が短縮可能な灘地区が主流となり、絞油業も賑わいを見せたという。 現在、酒蔵が立ち並ぶ酒処としてだけやなく、日本酒の製造工程や製造に必要な備品の展示、歴史の紹介などを行っている酒蔵博物館が開設され、見学することもできまんねん。 さらに一部では、お土産の販売や利き酒のコーナーもおまして、日本酒を楽しむ人もぎょうさんいたはりまっせ。 特に、灘五郷は駅からも近く、駐車場も完備。 徒歩で、多くの酒蔵をめぐる人やバスツアーで当地を訪れる人など、灘五郷の楽しみ方は様々。 京都の伏見に負けてへん人気と趣ある雰囲気を今に残してまっせ。 その他、歴史では西宮砲台、ゲゲゲの鬼太郎の原作者・水木しげるさんの足跡も追います。
水木しげる邸跡
「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」等の作品で知られる漫画家、紙芝居作家、妖怪研究家として活躍した水木しげる氏の邸宅跡。 1922年、大阪府大阪市住吉区生まれ。 鳥取県境港市入船町育ち。 ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から。 1958年に漫画家デビュー。 幼少時代、神仏に仕える拝み屋の妻でまかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)が語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受ける。 1953年、父を頼りに神戸に移住。 大阪に移住するまでの4年間、当地に住んでいたという。
宮水と酒文化の道
市内の酒蔵通りを中心に設置された案内板。 2004年、案内板が西宮商工会議所によって設置。 西宮は古くから酒蔵がひしめきあい、現在も酒蔵通り周辺には多くの酒蔵が密集する。 また、付近から湧出する宮水は、江戸時代から日本酒つくりに使用され、灘五郷(今津郷・西宮市今津地区、西宮郷・西宮市浜脇・用海地区、魚崎郷・神戸市東灘区魚崎・本庄地区、御影郷・神戸市東灘区御影・住吉地区、西郷・神戸市灘区新在家・大石地区)の酒造に欠かせない名水として知られる。 宮水発祥地には、有名酒造会社の井戸が立ち並ぶ。 桜正宗の六代目蔵元・山邑太左衛門が発見し、西宮と魚崎で造り酒屋を営んでいた。
旧辰馬喜十郎住宅
1888年、擬洋風建築として建設された。 明治時代、阪神地域では近代的な芸術・文化・生活様式が育まれ、阪神間モダニズムが形成。 灘の酒造家をはじめとする実業家は、洋館建の邸宅や酒造工場、酒蔵を残したほか、美術館・博物館・学校を創設。 この邸宅は辰馬財閥・辰馬本家の分家、南辰馬家当主・辰馬喜十郎(十代目当主・辰馬吉左衛門の四男)が自邸を新築するにあたり、日本人大工、山下某に神戸旧居留地の英国領事館を模すように命じたという。 木造総2階建の母屋と木造平屋建の附属屋で構成。
御前浜公園
大阪湾に面した海浜公園。 公園内には1866年に竣工した西宮砲台が現存する。 また香櫨園浜と接続する。
西宮砲台
御前浜(香櫨園浜)にある砲台跡。 西宮砲台は高さ約12m、内径約17m、石造円堡。 1階は床叩土で中央に防火用(砲身冷却用)の井戸があり、床板敷の弾薬庫が設置。 2階は砲眼、大砲2門を設置して筒口を四方に向ける装備。
ログイン