東京駅周辺を一周する日帰り旅
まいどまいど! 日本の中心地っちゅうたら、やっぱり、世界の東京でっしゃろか。 まわりの多くは、関東弁。 まちには関東弁であふれかえってまんねやけど、やっぱり、方言っちゅうもんが一番、よろしいでんな。 さて、駅構内にあるエスカレータも関西(大阪や兵庫など)とは違って、左側に立ち、時々は戸惑いながらも、珍しい別世界の日常がそこにはおました。 東京駅構内にはぎょうさんのお店が立ち並んでおまして、見どころもたくさん。 東京駅構内には様々な飲食店、雑貨店、お土産専門店があり、地下街にはラーメンストリートやキャラクターストリート、周辺の大丸百貨店や八重洲地下街へと接続。 1日ではすべてはまわることはできへんかもしれまへんけども、それだけのおもろさが詰まってまんねん。 ほんでまた、東京の歴史は、大阪を中心とする関西が動かしてきたっちゅうても、過言やおまへん。 でも、そんな東京にも楽しみがいっぱい。 頭の片隅に関西を思いつつ、東京観光を満喫しまひょ!
鍛治橋跡
当地はかつて江戸城の外濠であった。 1629年、築造。 門に附属する鍛冶橋は現在の丸の内二、三丁目と中央区の八重洲六丁目を結んでいた。 名称は、外堀の門外の町名が南鍛冶町(現在の中央区八重洲二丁目・京橋二丁目)であったことに由来。 江戸時代、御用絵師の狩野探幽の屋敷があった。 門内には大名屋敷が立ち並び、幕末には、津山藩(岡山県)松平家、土佐藩(高知県)山内家が付近に上屋敷を設けていた。 1873年、鍛冶橋門は桝形石垣を残して撤去。 1876年、橋はアーチ橋として再建。 戦後、瓦礫処理で外堀が埋め立てられ、橋も姿を消した。
東京府庁舎跡
東京府庁舎は当初、東京市幸橋門内(現在の内幸町一丁目)の旧大和郡山藩邸に開設。 1894年、丸の内(現在の有楽町駅付近)に移転。 1898年、東京市庁舎が完成。 1943年、東京市と東京府が廃止され、東京都が設置。 戦災により、建物は焼失。
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