関西が好っきゃねん
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八重洲・日本橋

八重洲・日本橋

まいどまいど! 東京を代表する繁華街といえば八重洲・日本橋。 名は日本橋でも「にほんばし」と読み、大阪・日本橋の「にっぽんばし」とは読み方がちゃいまんねん。 また東京の日本橋は経済の中心地としても知られ、中心部には日本銀行本館、日本銀行金融研究所貨幣博物館、そして東京証券取引所などがおまして、ビジネスマンの姿が絶えへん界隈ともなってまんねん。 周辺には厳かな雰囲気を持つ三越百貨店があり、日本初の店前現銀売りや現銀掛値無し、小裂何程にても売ります(切り売り)を行った場所としても知られてまんねん。 最近では日本初のファッションショー、日本初の自動車(配達用)、デパートのバーゲンセール、第一回無形文化財日本伝統工芸展を開催。 その他、第一国立銀行跡・銀行発祥の地としても知られておまして、日本初の民間資本による銀行の発足ならびに株式会社が設立。 ここにも渋沢栄一氏の足跡を感じることができまんねん。 また、郵便局発祥の地としても知られ、郵便局を発足させた前島密氏の銅像も建立。 日本初・世界初がぎょうさん詰まった八重洲・日本橋界隈を闊歩しまひょ。

一石橋
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一石橋

東京都港区新橋一丁目と新橋二丁目とを結ぶ東京都道405号外濠環状線(通称、外堀通り)の一部。 皇居(旧江戸城)外濠(外濠川)と日本橋川の分岐点に架橋。 日本橋川に架かる橋では最も低い。 2000年、竣工。 江戸時代、北橋詰の本両替町に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰の呉服町に御用呉服商の後藤縫殿助の屋敷があり、橋が破損、これらの両後藤の援助により再建。 そのため後藤の読みから「五斗」、「五斗+五斗で一石」ともじった洒落から一石橋(別名、後藤橋)と名付けられた。 1963年、首都高速都心環状線が開通した際、親柱を撤去。 1973年、鈑桁橋に改修される際に袖柱を撤去、上流側に親柱2本が残るのみ。

一石橋迷子しらせ石標
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一石橋迷子しらせ石標

江戸時代、繁華街として発展し、迷い子が多く出た。 1857年、地元西河岸町の人々によって「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が南詰に建てられた。 しるべの右側には「志(知)らする方」、左側には「たづぬる方」と彫られて、上部に窪み。 使用法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見た通行人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせたという。

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